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戦争、テロ、自然災害、パンデミック...「オールハザード」の時代に求められる制度と法律とは

2026年05月11日 公開
2026年05月11日 更新

米村敏朗(元内閣危機管理監),福田充(日本大学危機管理学部長・教授)

オールハザード

高市政権が推し進めている国家情報局の設置をどう評価するべきか。スパイ防止法案の必要性は――。警視総監や内閣危機管理監などを歴任した米村敏朗氏と、 日本の危機管理研究の第一人者である福田充氏による対談の後編。(構成:編集部)

※本稿は、『Voice』2026年3月号より、より抜粋・編集した内容をお届けします。

 

民主主義社会における「情報」の在り方

【米村】国家の危機管理においては、たとえ悪い情報でも、というよりも悪い情報を国民に開示してこそ、危機管理は前に進むということです。国民の理解と協力がなければ、国の安全を維持することはできません。国民の理解と協力を得るためには情報の開示が必要です。ウィンストン・チャーチルは、第2次世界大戦で戦況がイギリスにとって極めて不利なとき、「我々は断じて目をつぶってはならない」と言って、ありのままを説明し、そのうえで国民を鼓舞しました。日本とは大違いです。

東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会のCSO(チーフ・セキュリティ・オフィサー)を務めたとき、開催前は「コロナ禍の最中で無事に開催できるのだろうか」という非常にネガティブなムードがありました。それに対して、私はトランスペアレントな(透明性の高い)議論をすれば、理解してもらえるはずだと考え、あえてテレビに出演して現状を説明しました。当初は周囲に反対されましたが、やがて私以外の関係者もメディアで話すようになりましたね。

【福田】インテリジェンスが重要であることには間違いありませんが、いま先進国が悩んでいるのは、民主主義国家としてそれをいかに合法的に運営するか、という問題です。言い換えれば、民主主義的な社会におけるインテリジェンスの在り方が課題となっている。

インテリジェンス活動で集めた情報は、本来であれば開示を控えたいケースが存在しますが、他方で開示することが求められる側面もあります。昨今、セキュリティ・クリアランスやスパイ防止法について議論されていますが、結局のところ「社会で情報をどの程度共有すべきか、または秘匿すべきか」についての検討が必要です。この点を突き詰めることは、そのままリスクコミュニケーションにつながります。

もう一つ、民主主義の観点からお話しすると、情報公開が大事であるとともに、インテリジェンス・コミュニティの運用経験が乏しい日本で、政府のインテリジェンス活動が適切に運用されているか、どうチェックするかという問題も存在します。米国には、上下両院にインテリジェンス委員会が設置されています。

【米村】私が内閣危機管理監を務めていた2013年に成立したのが特定秘密保護法でした。当時、内閣情報調査室が作成した原案を見たときに「これは揉めるな」と直感したのですが、それは福田さんがお話しされたチェック機能が十分ではないと感じたからです。案の定、その後、この点が大きな議論を呼びました。

特定秘密保護法そのものについては、国家として当然整備されるべき法律でしょう。ただ、危機管理の現場で働いてきた人間として、嫌と言うほど情報が漏洩したケースを見てきました。これは人間の性なのか、人は秘密を知っているだけでは満足せず、誰かに喋りたくなる生き物なのかもしれません。この現実をふまえたうえでセキュリティ・クリアランスなどの制度を整えるとともに、インテリジェンス・コミュニティの情報の管理の在り方については、民主主義国家として厳しい目を向けなければいけません。

【福田】国家情報局が新設されるとして、その活動をどうチェックすべきでしょうか。たとえば特定秘密保護法については、適切に情報が管理・運営されているのか確認する情報監視審査会が国会に設置されています。インテリジェンス・コミュニティに対してもシヴィリアン・コントロールが必要です。

【米村】私は衆議院の情報監視審査会に出席したことがありますが、それなりには機能していると評価しています。ただしこれから問われるのが、やはり情報公開の在り方でしょう。政府のインテリジェンス・コミュニティが収集する情報とは国家の専有物ではありません。むしろ国民の共有物だと言うべきでしょう。

情報の収集もその活用も、国民の理解と協力がなければできない側面があります。もちろん、何でもすぐに開示することはできませんから、公にできる情報については何年後に公開するという開示基準を設けたうえで、それを国民に理解してもらう作業が必要です。

【福田】米国の場合はFOIA(情報自由法)が定められていて、原則として入手から一定期間を経た情報は公開されますが、戦争など安全保障の分野を含む公開できない九つの適用除外事項も定めている。このように基準を設けて国民に周知することが求められるはずです。

【米村】おっしゃるとおりです。実際には米国がすべての法制度を適切に運用しているかと言えば疑問もありますが、それでも、このように基準を設けて国民に周知している点については学ぶべきでしょう。

 

拉致事件のときにスパイ防止法があれば――

【福田】高市政権ではスパイ防止法の導入についても検討されています。私は先ほどご紹介いただいた特定秘密保護法については、その是非が議論されていた当時より賛成の立場でした。なぜならば、近代国家が国民を守るためには、特定の機密情報を保護するのは当たり前のことだからです。しかも、実際に機密情報を漏洩して罰せられるのは政治家や公務員であり、一般市民ではないことも理解されるべき大事なポイントです。

一方で、スパイ防止法は特定秘密保護法と同じ「カウンター・インテリジェンス(防諜)」の機能を狙いとした法律ですが、他方で異なる性質をもつのも事実でしょう。機密情報を「漏らした人間」ではなく「収集して盗んだ人間」を罰するのがスパイ防止法です。私自身は、スパイ防止法に関しては時間をかけて検討すべきという慎重な立場ですが、制定の意義について、米村さんはどう考えますか。

【米村】まず、特定秘密保護法が制定された動機をもう一つお話しすると、日本がグローバルなインテリジェンス・コミュニティの一員として活動するためでもありました。提供する情報が守られるという保障がなければ、他国のコミュニティのメンバーは日本と連携してくれません。国際的に信頼を得るためにも特定秘密保護法は必要不可欠でした。

それに対して、スパイ防止法はわが国としてスパイ活動を放置してよいのか、という問題意識です。外事警察として働いていた経験から申し上げるならば、スパイ防止法が存在したほうが間違いなく活動しやすい。たとえば北朝鮮の拉致事件については、「あのときスパイ防止法があれば」と臍をかむ思いがします。

拉致事件の始まりは、1977年、東京・三鷹市役所の警備員が石川県で北朝鮮工作員によって拉致された事件だとされています(宇出津事件)。当時、石川県警は刑法で言う所在国外移送目的拐取罪で立件しようとしましたが、「本当に本人の意志に反していたのか証拠がない」とする地検と対立し、立件に至りませんでした。北朝鮮の拉致事件を「捜査」という観点から捉えるかぎり、どこまでも容疑性の問題になってしまいます。しかし一連の拉致事件は、北朝鮮の国家機関がわが国の主権を踏みにじり、次々に日本国民を北朝鮮に拉致するという、日本の危機管理の問題にほかなりません。拉致協力者の自宅からは、スパイ道具の乱数表や暗号解読表などが押収されています。実態に適用できる法律の制定は、国家の危機管理上必要なことです。

実際に北朝鮮の工作員は日本に潜入して米軍基地などの調査もしていたわけで、スパイ防止法の対象となりうる存在でした。もちろん、戦前の治安維持法を想起して反発する国民の声は十分斟酌すべきものであり、法律が乱用されないような監視システムが求められます。

【福田】戦後の長い期間は、戦争やテロが安全保障の主領域として語られてきましたが、もはや安全保障が総合化している時代でしょう。現に「経済安全保障」「食料安全保障」「エネルギー安全保障」「情報安全保障」などの言葉が定着していて、私は「感染症安全保障」という概念も提唱しています。

いずれにせよ、危機管理と同様に安全保障が「オールハザード化」した現代においては、スパイが狙う情報も多様化しているわけで、スパイ防止法についてもどれだけそうした広がりに対処できるかが問われます。これまでの法制度とは違う仕組みを検討しなければ、オールハザードの時代に対応することは難しいかもしれない。

【米村】一つ言えることは、国家情報局をつくるのにスパイ防止法が存在しないのであれば、それは矛盾した話です。この二つはセットで考えるべきでしょう。

 

「オールハザード」の時代に求められる体制

【福田】私が教鞭を執る日本大学危機管理学部は「オールハザード・アプローチ」という表現を用いていて、危機管理とはすべての危機に対応できるようにしなければいけない、という問題意識を抱いています。国家としても当然、戦争やテロにかぎらない「オールハザード」に備えなければいけないわけですが、そのためには平時からどのような備えが求められるでしょうか。

【米村】東京電力会長などを務められた平岩外四さんは、企業マインドとして「事いまだ成らず小心翼々。事まさに成らんとす大胆不敵。事すでに成る油断大敵」が大事だとお話しされていましたが、「事いまだ成らず小心翼々」は、私が冒頭で申し上げた「想像と準備」と同じ意味でしょう。そしてそれは、まさしく「オールハザード」に対処するうえで求められる態度です。

実務面のお話をすると、「オールハザード」の時代であることは間違いないけれども、他方で危機の種類によって対処法は異なります。さらに言えば、同じ種類の危機でもケースによって対応は異なる。

2009年にメキシコのベラクルスで新型インフルエンザが発生すると、やがて世界はパンデミックに覆われましたが、翌2010年にはバンクーバーオリンピック・パラリンピックが予定どおり開催され、2021年の東京オリンピックのときのような対策も講じられませんでした。2009年の新型インフルエンザの致死性は季節性の場合とほぼ変わらず、しかもタミフルやリレンザという薬が効いたからです。このように、同じ新感染症の領域でさえ、感染力や致死性の違いによって危機管理対応は大きく変わります。

もう一つ申し上げると、オールハザードのうち日本にとって最大のテーマは、やはり「自然災害」でしょう。日本は地震や台風、火山などのリスクが圧倒的に高い。ですから私は、これらの対策に特化した組織が必要だと考えています。私が務めた内閣危機管理監も、1995年の阪神・淡路大震災のときに官邸に情報が入ってこなかったことへの反省をふまえ、3年後の1998年に内閣官房に設置された官職です。その意味では、コロナ禍を経た2023年、感染症に特化した内閣感染症危機管理統括庁を設立したのは歓迎すべきことでした。

【福田】じつは私が危機管理学の研究を始めるきっかけも阪神・淡路大震災でした。当時は大学院生で、兵庫県西宮市の出身で生まれ故郷が被災しましたが、被災地の調査をしたときに「これは人災だ」と痛感しました。関西人の防災意識がもう少し高ければ、あるいは自衛隊の出動がもう少し早ければ、救えた命がもっとあったのではないかと思ったのです。そして、その2カ月後に東京を襲ったのが地下鉄サリン事件でした。

米村さんにご指摘いただいたように、危機管理とは結局のところ、個別のケースにプラクティカルに(応用的に)対応しなければいけない性質があります。それに対処できる組織や法制度が求められるというのが本日の議論ですが、話題に出た国家情報局は、そこまで網を張れるでしょうか。

【米村】私のイメージとしては、国家安全保障に関わる領域に限定するのが合理的ではないでしょうか。もしも自然災害や感染症などの情報まで国家情報局に集めてしまえば、おそらく収拾がつかなくなります。だからこそ、もっとも「身近」と表現すべき自然災害の危機管理に特化した組織があって然るべきだと思うのです。

現状、内閣危機管理監は自然災害などが起きたあとの初動対応がメインですが、平時からの「想像と準備」がなければ初動対応にも限界があります。防災庁をつくるのであれば、平時と非常時の活動についてそれぞれどう制度設計するのかも含めて議論するべきでしょう。

【福田】防災庁は内閣感染症危機管理統括庁と同様、まさに平時から危機管理に向けて活動する組織として位置づけるべきです。国家情報局や防災庁を設立すると仮定して、次なる課題はそれぞれの役割や所掌範囲をどのように位置づけて、情報をいかに集約し共有するかというグランドデザインを描くことになります。

【米村】国家の危機管理の責任者はトップである内閣総理大臣です。危機管理はまさしくトップの仕事で、部下任せにはできません。企業でも同じことでしょう。トップでなければ判断できない問題はいくらでもあって、ならば実際の権限や情報をいかに収斂させて、決断を担保するか、そのスキームを慎重に考えるべきで、そのうえで全体のグランドデザインを検討すべきでしょう。

 

危機管理は国民の共有物

【福田】一方、危機管理についてすべてが「国任せ」ではオールハザードに対処することは難しいでしょう。国民に求めるべき意識については、米村さんはどのようにお考えなのでしょうか。

【米村】私は1986年から1989年まで、当時は旧ユーゴスラビアだったベオグラード(現セルビア共和国)に三年間勤務しました。旧ユーゴスラビアとは「1つの国家」「2つの文字」「3つの宗教」「4つの言語」「5つの民族」「6つの共和国」「7つの国境」があると言われる、いわばモザイク国家でした。だからこそ人びとは、国家とは本質的にアーティフィシャル(人工的)な存在だと知り、それが壊れないよう必死に努力していた。しかし宿痾とも言うべき国内の民族問題が噴火し、ユーゴスラビア(南スラブ人の国)は完全に崩壊しました。

翻って日本に目を転じると、無意識のうちにも国家とはナチュラルな存在で、形が変わるなどとは思っていない国民が多いのではないでしょうか。そこには、とてもラッキーな地政学的な要因などが影響しているでしょうが、戦略的思考の欠如にしても、根本には国家というものについてナイーブで、その本質について考える精神的風土が希薄だからかもしれません。国家とは何か、このテーマについて議論をせずに、国民の危機管理への意識を高められるものでしょうか。

【福田】じつに重要なご指摘です。私からはあえて別の視点からお話しすると、日本の戦後とは危機管理にとっては不幸な時代で、PKO法や通信傍受法の制定も、国際的な環境の変化へのリアクションでしか改革できてきませんでした。国民保護法にしても小泉内閣が圧倒的な支持率と議席数を背景に押し通しましたが、メディアは大反対した。結果、法案の中身は二の次で、各々の党派性から賛成と反対が叫ばれ続け、国民はその議論に十分に参加できなかった。その積み重ねが、私たちの危機管理や安全保障の環境をどれだけ歪めてきたでしょうか。

本来であれば、危機管理とは左右の対立や党派性を超えて考えるべきテーマのはずで、なおかつ国民が「私たち」としてどう参加するのが適切なのかという本質的な議論を深めなければいけない。そうして皆で安全や平和の在り方を考え議論することが、民主主義社会における危機管理の理想形ではないでしょうか。

【米村】国家の危機管理は、まさに言うなれば「国民の共有物」ですからね。

【福田】そうなのです。情報の扱い方やその罰則にしても、国家がどこまでやれば私たちの自由や人権が損なわれるかという線引きやバランスのとり方は、国民が積極的に議論に参加して答えを出さなければいけない。それこそが民主主義のはずです。これは市民参加型のリスクコミュニケーションの問題で、私はこうした考え方を「リベラルな危機管理学」と呼んで推奨しています。

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