金権腐敗と与野党の野合、国民の生活を無視して利権が牛耳る官僚政治。失われた民主主義の規範はどうすれば取り戻せるのか。新たな政治モデルをめぐり、かつて社会民主連合の活動に身を投じた2人が熱く語り合う。
※本稿は、『Voice』2025年1月号より抜粋・編集した内容をお届けします。
【福田】まず泉さんとのご縁について話すと、高校3年生のとき、社会民主連合(社民連)代表の江田五月(故人・元法務大臣)さんの地元が旧岡山1区で、私の故郷に事務所がありました。当時から政治に関心があった私は、江田さんがいると思って事務所を訪ねたら不在で、何も知らず秘書の方に向けて青臭い政界再編論をぶったんです。
「いまさら社民連が社会党と組んでも仕方ない。自民党のリベラル勢力と組み、共闘すべきではないでしょうか」。すると面白がってくれて、「大学に入ったら議員会館の事務所で手伝ってくれないか」と。1988年、上京して江田事務所へ行ったら、石井紘基さん(故人・元衆議院議員)が第一秘書としておられたんです。
【泉】石井紘基さんはお父さんの江田三郎さんの代から秘書を務めており、つねに江田五月さんの傍で働いていました。1990年に石井さんが社民連から出馬を決意し、東京の三軒茶屋に選挙事務所を構えたとき、私がお手伝いをすることになりました。そこに福田君がいたわけです。「政治志望の学生は軒並み自民党の古株議員のカバン持ちなのに、変わったやつがおるな」と話題になっていました。
【福田】当時は大学2年生で、週末によく辻立ちの手伝いやポスター貼りなど行なっていましたね。
【泉】私が石井さんの元で働くことになったきっかけは、石井さんが出馬前に書いた『つながればパワー』(創樹社、1988年)に感銘を受け、手紙を書いたことです。「あなたのような方に政治家になってほしい」と。
そうしたら石井さんから返事があり、「会いたい」と連絡が来て選挙を手伝うことになったんです。本当に真面目な方で、朝5時半に迎えにいって駅頭で一所懸命、演説をするのですが、残念ながらあまり上手ではない(笑)。ビラを隣で配りながら、何度「マイクを代わってほしい」と思ったことか(笑)。
【福田】『つながればパワー』は、題名どおり市民のネットワークと連帯によってこの社会は変えられる、という信念に満ちた素晴らしい本です。折しも発刊同年にリクルート事件が起き、いまと同じく「政治とカネ」による政治不信が沸き上がりました。
自民党の金権政治と55年体制下における社会党との野合、社会党を支える労働組合同士の対立に国民の嫌気がさすなか、石井さんの「政党の枠を超えて市民がネットワークでつながる政治」という発想は新鮮でした。
【泉】先述の江田五月さんはその後、1992年に「シリウス」という政党横断の政策集団を立ち上げます。この江田さんの動きが新党結成、政界再編の起爆剤となり、1993年の非自民・非共産八党派の細川護熙連立政権に至ったのです。
当時は自民党と社会党の55年体制が強固で、政界再編の気配すらありませんでした。ところが糾合役となった江田さん、そしてシリウスの事務局長を務めた石井紘基さんらの働きもあって、新しい政治が始まったのです。
【福田】当時の政界再編をまずは政権交代ありきの野合と見る向きもありましたが、根底には市民の連帯による新しい政治を求める人びとの思いがあったことは間違いなく、この流れがまさに現在にもつながっています。
【泉】しかも昔ながらの社会党路線ではなく、現実路線を志向した点に意味があります。惜しむらくは、再編のキーマンが江田五月さんではなかったこと。
小沢一郎さんは実力と剛腕に疑いの余地はありませんが、古いタイプの政治家でした。当時の大蔵省と結託して消費税を7%の「国民福祉税」に衣替えする増税構想を細川首相に吹き込むと、突然の表明が不興を買って直後に撤回、連立終焉の一因となってしまいました。2009年の民主党による政権交代後も野田佳彦首相が消費税の増税を掲げ、民主党の分裂を招いています。
じつは小沢さんには以前、「3回目の政権交代を一緒にやろう」と声を掛けられたことがあります。そのとき、私が小沢さんにお伝えしたのは「政権交代自体を目的にするのではなく、政権交代の先の国民を笑顔にするとか、生活の安心を提供するというメッセージを直接、有権者に伝える必要があるのではないか」ということでした。
【福田】そこで振り返りたいのが、まさに石井紘基さんの功績です。彼が切り込んだ日本の「闇」は、特殊法人と特別会計でした。一般会計とは別枠で膨大な額が毎年使われており、公共事業の肥大化と国民負担額の増大、族議員・官僚・業界団体による政官財の癒着、市場の約半分を特殊法人やファミリー企業の事業が占める「官制経済」が自由経済を阻害している。
もちろん東日本大震災の復興費用や食料の安定供給など必要な特別会計もあるけれど、財政投融資や外国為替など資金の配分について、国民の代表たる国会議員のシビリアン・コントロールが機能していないのではないか、と国会で指摘したのです。
【泉】石井さんは国会議員でありながら、政治家の利権にいっさい忖度せず、いきなり国会質問で特殊法人、特別会計の問題を切り出しましたからね。
【福田】私が学生のころ議員会館に出入りして驚いたのは、何よりも国会議員の答弁の質問例、回答例を官僚がつくっていたことです。国会討論も委員会も、すべて官僚の情報とレクチャーに基づいており、茶番にすぎなかった。
しかし石井さんは官僚の情報にいっさい頼らず、自分で徹底的に調査し、質問を作成していました。与野党間の根回しもせず国会で突然、税金の無駄遣いや政府の不正を糾弾したのが「爆弾発言男」と呼ばれるゆえんでした。ところが志半ばにして2002年、右翼団体の人間によって刺殺されてしまう。
【福田】石井さんの戦いがいま私たちに教えてくれることは、この国のかたちがどうあるべきか、日本を導く理想や理念、国家のフレームワークづくりをもう一度、国民の代表である国会議員の手に、政治に参加する市民の手に取り戻さなければならない、という点です。
【泉】石井さんはソ連(当時)のモスクワ大学大学院に留学し、官僚が支配する社会主義国の実情を目の当たりにしました。ところが日本に帰ってきたら、わが国もソ連同様の官僚が支配する国家であったことを知って愕然とするわけです。資本主義も共産主義も同じではないか、と。
日本とソ連の共通点として、第1に、国民に情報が知らされていないこと。第2に、お金の流れが不透明であることです。石井さんはそこで、国民自らが政府のお金の流れを監視、検証できる「国民会計検査院」という構想を打ち上げました。国民から選ばれた議員が責任をもって決めるべき予算を、責任を負わない官僚が仕切る現状をいまこそ変えなければいけません。
【福田】石井さんが当時、追及した問題は彼の死後、じつは何も変わっていない。
【泉】むしろひどくなっている、といえます。日本における税金と保険料の国民負担率は約5割に達しており、水道光熱費、食料品の価格は上がる一方。30年間、経済成長もせず給料も上がらないのに、税金や保険料や負担額ばかりが上がっている。この状態がおかしいということをほとんど誰も検証してこなかったわけです。石井さんが訴えたように、「国民のお金はどこへ消えているのか」と。
【泉】国民の窮状に対し、かつての政界再編は十分に応えることができませんでした。細川政権の国民福祉税、野田政権の消費税増税はいずれも国民ではなく財務省のほうを向いた官僚主導政治の政策で、国民の期待が失望に変わってしまった。政権を取って豹変したというよりも、そもそも国民を救う意思と理念がどれほどあったのか疑問です。
石井さんは1990年代の時点で、すでに市民ネットワークの機能を官僚支配の構造に組み入れて政治主導を成し遂げる構想を描いていた。この違いでしょう。
【福田】たとえば小泉純一郎政権や安倍晋三政権は、郵政民営化や安全保障法制の面では改革を行なったけれども、少子化対策や教育の支援など国民の生活に向けた政策は打ち出してこなかった。
【泉】結局、国民のお金をどのように使うかという肝心の点について、政治主導になっていない。私が明石市長を12年務めた実感として、官僚の権限は肥大化する一方です。兵庫県治水・防災協会の会長を務めた際、財務省や国土交通省などに予算のお願いに回りましたが、官僚は所管の予算を増大させることしか頭になく、競って税金の無駄遣いをしているとしか思えませんでした。
衝撃的だったのは、ある官僚の「泉さんはいろいろ批判していますが、道路をたくさんつくっても誰も困りません」という言葉。お金を費消することはよいことだと、本気で信じているのです。
【福田】高度成長期の自民党政治のモデルとして、公共政策によってダムや堤防をつくることは防災上、役立った側面もあります。しかし、もはや時代は変わっています。国民を豊かにする経済モデル、政策モデルを再構築しなければならない。
【泉】経済政策には物を売って供給する事業者サイドに焦点を当てて経済を回す政策と、物を買って需要する消費者サイドに焦点を当てた政策の2つがあります。私は物を買う側に立って明石市の改革を行ないました。最も生活が厳しい子育て層の負担を一気に軽減するとともに、国からの交付金を地域商品券に置き換えて市民に直接、還元した。その結果、明石市の経済が復活したのです。
サプライサイドに立った公共事業の政策ばかりを何十年、続けても経済成長しないことは、日本の「失われた30年」が実証しています。
【福田】泉さんがおっしゃった2つの政策は、明石市のみならず、日本の政治における新しい対立軸でもあります。旧来型の政治モデルとして、一方では積極財政と減税によって国民がお金を使えるようにする、いわゆるアメリカ共和党保守の政策モデルがあります。他方で、教育や子育て支援は社会福祉の文脈で増税により賄うという固定観念がありました。
そうした古い政策フレームから脱却して積極財政を教育や社会的弱者の救済に用いるのは、新しいリベラルの政策モデルといえるのではないでしょうか。従来、公共政策や政治思想の研究から出てこなかった国民経済を改善する政策手法を、泉さんが自治体の首長として実行したわけです。
【泉】通貨発行量を増やして地域経済を回そうと、「明石たこマネー」という明石独自の地域通貨さえ発行しようと本気で考えましたから。周囲の賛同が得られずに、やむなく断念しましたが(笑)。
【福田】要するに日本の政策は財政規律のストックに囚われすぎて、経済成長のフローを考えていないんです。
【泉】そのとおり。さすがに学者は理論で説明してくれるので有難いですね(笑)。
更新:01月15日 00:05