
米中をはじめとする文明的大国が自己主張を強め、同時にデジタル化やビッグデータを軸にした技術革新が起きているなど、私たちはいま劇的な世界の変化を経験しています。このような状況下では、環境変化の圧力や不確実性に翻弄されるばかりでは十分ではなく、日本のあり様や世界のなかでの位置づけを問い直していく必要があるはずです。
「日本文明研究会(委員:河野有理、藤本龍児、三宅香帆)」では、日本の文明的な性格がいかなるものかを、思想・宗教、文化文芸から家族、組織原理、政治、経済社会にいたるまで多角的な視点で検討し、顕在知として表出していくことをめざします。今回は、日本人の精神文化の領域にとどまらず、国家の権威構造や統治の正統性にまで深く関わってきた仏教と政治の関係性を、4回にわたって見ていきます。(構成:藤橋絵美子)
空海や最澄から時代が下ること300年余り、中世日本において、まさに仏教的なものから政治論が登場します。それが慈円の『愚管抄』で、政治と宗教の関係を包括的に捉えた中世最大の歴史思想書です。
日本では面白いことに、「歴史が一度、なくなる」。古代の六国史(日本書紀〈720〉、続日本紀〈797〉、日本後紀〈840〉、続日本後紀〈869〉、日本文徳天皇実録〈879〉、日本三代実録〈901〉)の後、長らく歴史書は編まれなくなります。
頻繁に王朝交代が起こる中国では、次期王朝が自らの正当性を主張するために、前王朝の歴史を書く必要があります。そうして、つねに歴史が根本に置かれる。しかし日本は王朝交代がないため、権力の正当化をめぐる歴史叙述の必要性が希薄だったのでしょう。
その間に、朝廷文化の中心に置かれたのが、勅撰和歌集などの和歌です。この「和歌」とは、どういうものか。「四季の巡り」を詠み「変わらぬ世界」を象徴するもの、変化ではなく反復と永続性を基調とするもの――つまり「循環」です。この「循環」が、日本の文化的な時間意識を形作ることになります。
歴史物語においても、『大鏡』『今鏡』といった「鏡物」が登場します。「鏡」、つまり基本的には同じことの繰り返しであり、「歴史とは移り変わるものでなく循環していくものである」という思想です。
しかし武士政権が誕生すると、「王権とは何か」といった政治の正統性が問われ、再び歴史を記述する必要が生じました。そこで書かれたのが、『愚管抄』だったのです。
比叡山の高僧であり、摂関家出身の公家であった慈円は、宗教的知識と政治的経験の双方を兼ね備えた人物です。彼の『愚管抄』は、日本の歴史を「仏教的宇宙論」「神々の秩序」「天皇の正統性」という三層構造の上に位置づけます。
見逃されがちなのですが、『愚管抄』の根底にある時間観は、仏教の四劫(しこう)説です。四劫とは、成劫(じょうこう)、住劫(じゅうこう)、壊劫(えこう)、空劫(くうこう)で、つまり世界は成立し、留まり、崩壊し、何もなくなるという四つの時期の繰り返しであるというものです。そこでは人間の寿命すら長短のリズムを帯びて変化するとされる。世界は永遠不変ではなく、巨大な時間スケールで生滅を繰り返すという壮大な世界観です。もうお分かりかと思いますが、その構造は、やはり「循環」なのです。
慈円はこの宇宙的時間の中に、日本の政治、天皇の在り方を位置づけました。現在の日本は「住劫」にあり、世界が安定している過渡期にある。その中で天皇は、人間社会へ秩序をもたらす存在、人間社会の秩序をつかさどる存在として理解されたのです。
慈円の構築した天皇論は、「顕(うつつ)」と「冥(みょう)」の二元論です。冥なる世界(神々の領域)から顕の世界(人間の力が及ぶ領域)が派生するという構造で、天皇は冥界からの連続性をもっとも純粋に体現する存在とされました。ある意味では、万世一系の発想の元でもあるわけです。
ただ慈円は、天皇が絶対的な主権者であると捉えたわけではありません。天皇の権威の根拠は、天照大神(皇室の祖)と春日大明神(藤原氏の祖)の契約(一諾)に基づいているとします。天皇の権威は、慈円自身の出身である藤原氏との関係の中で成立すると論じるのです。いわば藤原氏の政治的役割を正当化する形で、天皇と藤原氏は主従関係に置かれるとしたわけです。
いずれにしても慈円は、仏教的な末法の世を前提とし、天皇は歴史の推移と因果のなかに置かれる存在として理論的に位置づけました。
中世日本の書では、その後に書かれた北畠親房(きたばたけ・ちかふさ)『神皇正統記(じんのうしょうとうき)』が、しばしば天皇論の代表として評価されます。親房は伊勢神道の影響を強く受け、天皇を「歴史を貫く絶対の正統」と捉えて、南朝の正統性を主張しました。私は、親房よりも慈円のほうが理論的な天皇の位置付けができていると考えます。
余談ですが、近代になってから、親房が非常に高く買われることになります。とりわけ昭和初期に活躍した国史学者・平泉澄(ひらいずみ・きよし)は、親房の思想を高く評価し、そこに「日本本来の天皇観」を見出しました。平泉が示したのは、皇統の歴史的連続性がいかに政治的・精神的な共同体の基礎となるかという視点であり、親房の天皇論を近代的に展開しました。皇国史観の色彩を帯びた彼の議論は戦後には批判の対象となりましたが、彼の研究成果には見るべきものがあり、今日あらためて評価されるべきだと思います。
以上のように、中世最大の歴史書『愚管抄』は、まさに仏教的思想による天皇論でした。第1回で指摘したように、この時代の政治思想をとり上げるにあたって仏教や天皇論に言及しないのは不可解だと言った理由が、お分かりいただけたのではないでしょうか。
更新:07月24日 00:05