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【日本文明研究会】「日本の精神性」はいかに形成されてきたか ――仏教から日本政治思想史を問い直す(1)

末木文美士(仏教学者/国際日本文化研究センター名誉教授)

日本文明研究会

米中をはじめとする文明的大国が自己主張を強め、同時にデジタル化やビッグデータを軸にした技術革新が起きているなど、私たちはいま劇的な世界の変化を経験しています。このような状況下では、環境変化の圧力や不確実性に翻弄されるばかりでは十分ではなく、日本のあり様や世界のなかでの位置づけを問い直していく必要があるはずです。

日本文明研究会(委員:河野有理、藤本龍児、三宅香帆)」では、日本の文明的な性格がいかなるものかを、思想・宗教、文化文芸から家族、組織原理、政治、経済社会にいたるまで多角的な視点で検討し、顕在知として表出していくことをめざします。今回は、日本人の精神文化の領域にとどまらず、国家の権威構造や統治の正統性にまで深く関わってきた仏教と政治の関係性を、4回にわたって見ていきます。(構成:藤橋絵美子)

 

戦後の政治思想から「無視」され続ける仏教

日本という国家や社会の精神性を問うとき、私たちは近世・近代以降の制度や思想(議会制民主主義、立憲主義、儒教倫理や武士道など)に目を向けがちです。しかし、これらの思想の背後にはもうひとつ、はるかに長い間、日本社会の深層に広がり続けてきたものがあります。それが仏教です。

日本の精神性、とりわけ政治思想を考察する際、仏教はなぜか軽視され続けてきました。西洋政治思想史においては、古代ギリシアのソクラテスやプラトンから始まり、アウグスティヌス、さらにはトマス・アクィナスなど、近代政治思想はキリスト教神学の前提の上に築かれ発展してきました。宗教は政治思想の不可欠な要素とも言えるわけです。ところが日本では戦後長らく、政治思想史の大家・丸山眞男の『日本政治思想史研究』の決定的な影響により、「仏教は無視される」という歪な状況が続いています。

仏教は宗教であり、宗教は内面の領域に属し、政治からは距離を置くべきである――戦後の日本政治思想界は、こう考える傾向があります。しかし仏教は、日本において死生観といった精神文化の領域にとどまらず、国家の権威構造や統治の正統性にまで深く関わってきました。今回はその「政治と仏教の関係性」に迫ってみたいと思います。

 

丸山眞男「古層論」の失敗

言うまでもなく、戦後日本の政治思想史において、丸山眞男の影響力は計り知れません。

丸山は戦後、「古層論」を展開します。これは、日本の政治文化の深層には近代とは異質の「前近代的心性=古層」が存続しているとする議論です。彼は、日本の政治思想が古代・中世を素通りして、近世の儒学者・荻生徂徠ばかりを重視するというおかしな状況に気づいていたのでしょう。古層論を通して日本の政治思想史を、時代を遡って考察しようとしたのです。

ですが、これは完全に失敗でした。丸山が古層論で述べた「つぎつぎに、なりゆく、いきほひ」(※日本社会の“主体なき政治”の象徴的キーワードとして用いられた)といった概念は、紀平正美(きひら・ただよし)など戦時中の日本主義哲学者らの思想の焼き直しに過ぎず、前近代像の刷新には至らなかったのです。

古層論における丸山の基本図式は、「日本に原型的な古層があり、それに対抗する世界宗教として仏教が入ってきた」というものです。

 

「原型」的な世界像を徹底的に突破して、まったく新しい精神的次元を古代日本人に開示したのは、世界宗教としての仏教であった(『丸山眞男講義録』4、p.154)

 

丸山は、聖徳太子を「原型」を否定する「世界宗教としての仏教」を導入した者として非常に高く評価する。しかし、その後の仏教は王法(政治)と癒着し堕落したと見なします。そして、鎌倉新仏教の登場により現世否定の世界宗教としての性格を取り戻そうと原点復帰するものの、再び王法と癒着するという。

 

王法と癒着した仏法が、ふたたび自らを世間・現世にたいして隔離し、二元的緊張の意識を呼びおこすには、平安末期、末法思想の勃興を待たねばならなかった(前掲書p.171)

 

この見解は、丸山の独創ではありません。家永三郎や二葉憲香(けんこう)に代表される、戦後の進歩派仏教史学が唱えた図式が強く反映されています。

ちなみに、少し余談になるのですが、聖徳太子という人物はとても面白い存在です。彼に対する評価は、時代によって主流派に都合よく解釈される。戦時中は、東京大学名誉教授の仏教学者で僧侶でもある花山信勝(しんしょう)が、「日本仏教の根本を創始した」という一種の国家主義の観点から聖徳太子を評価しました。しかし戦後になると一転、「聖徳太子はあくまで個人として現世否定を貫こうとした」という真逆の評価に変わる。聖徳太子はどちらにでも転んでしまう存在なのです。そんなわけで、私は現段階では、聖徳太子に対する評価を保留にしています。

 

マックス・ウェーバー的宗教観の呪縛

戦後の進歩派仏教学、とりわけ仏教史学は、マックス・ウェーバーの宗教社会学から強い影響を受けています。ウェーバーの宗教学は、宗教発展の基準を「呪術からの解放」「世俗内超越による合理化」といった進歩モデルに置き、プロテスタンディズムをその到達点とみなします。

この理解に従うと、山岳修行や密教のような呪術的儀礼をともなう宗教実践は、「非合理」と評価される。ゆえに空海や真言密教は、つねに「悪役」として排除されてきました。1970年代に作家・司馬遼太郎が『空海の風景』において空海を高く評価するまで、空海は一貫して否定的にしか評価されてこなかったのです。

そういった戦後の仏教史学を、丸山はそのままに反映していた面がある。そのため、平安仏教に関して、最澄はある程度評価するものの、空海の密教については問題外として切り捨てています。

 

世俗的価値への執着を断つどころか、世間的欲求の追求とほとんど同一化したのが、密教修法であった(前掲書p.191)

空海の真言宗の場合は、まさに密教の本家たることによって、体制権力との直接的抱合と、原型的な呪術的思考との癒着は一層甚だしい。むしろ〔世間否定の論理という〕このテーマからは除外するのが適当である。(前掲書p.192)

 

さらに、丸山および戦後仏教史学の図式には、政治思想の中心にあるはずの「天皇論」が見えないという問題点があります。

例えば、中世日本最大の歴史思想書に慈円『愚管抄』があり、丸山もこれを取り上げます。しかし彼は、『愚管抄』の根本にある「王法を守ることが国家の基本」という天皇論を、ほぼ無視している。この「天皇論の欠如」という現象は、戦後進歩派の興味深い特徴です。

鎌倉新仏教に対する評価にしても、新仏教の政治性を評価するのではなく、「俗権(政治)からの宗教の独立が鎌倉新仏教によって到達された」という、政治思想でありながら政治的でないことを評価するという、逆説的な評価の仕方をしている。その根本にあるのは、「政教分離こそ正しい」「宗教は政治に一切関与してはならない」という、ウェーバー的宗教観の呪縛とでもいったものがあるように思います。

近代日本の知識人の多くが無教会主義のキリスト教的な宗教理解を共有していた点も、政治における仏教軽視に拍車をかけたのでしょう。宗教は「内面の道徳」としてのみ評価され、社会制度や政治構造にかかわる部分については見落とされていった。これが丸山あるいは戦後仏教史学の基本態度であり、この傾向は今日においても転換されていません。

しかし仏教は、鎮護国家思想や国家儀礼、さらには天皇の権威付けに至るまで、政治文化の中枢を形成してきました。仏教を「純粋宗教」として政治から切り離す見方は、むしろ歴史的現実を見誤らせます。事実、中世日本における政治思想の基本パターンを形成したのは、平安仏教として知られる空海と最澄だったのです。

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