今年1月に新総統が選出された台湾。今後、中国による台湾侵攻も懸念されるなか、有事を引き起こす要因として何が考えられるか。外交・安全保障に詳しい宮家邦彦氏が分析する。
※本稿は、『Voice』(2024年2月号)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
昨今、日本では「台湾有事」の議論が高まっている。ウクライナ戦争にロシアが勝利すれば、他の「現状変更勢力」に誤ったメッセージを送ることになる。
こう考えた日本が、従来の立場を一部変更してまで、対ウクライナ本格支援に踏み切ったのは正しい判断だ。多くの識者がこの議論の延長線上に「台湾有事」を想定していたことは間違いないだろう。
従来あまり議論されず、一時はタブー視すらされた「台湾有事」問題が、最近日本で真剣に議論されるようになったこと自体は大いに歓迎すべきことだ。
問題は近年の「台湾有事」議論が、主として本格的な軍事作戦を念頭に置き我が国の法整備の不備を憂う「極端な悲観論」と、そうした可能性を明確な根拠もなく否定する「極端な楽観論」という両極端に割れていることだ。
近年、日本の軍事・安全保障の専門家や一部の意識の高い国会議員が、本格的な「台湾有事」に関する政策シミュレーションを実施していることはじつに心強い。
これらの知的演習には、近未来の「台湾有事」の際に、軍事的に起こりうる現実的想定のもとで、専門知識の豊富な識者たちが多数参加している。これらが実務的にも、政策提言の観点からも、極めて有用であることは論をまたない。
問題は、この種の対台湾「軍事作戦」に対し、現行法制上日本が採れる政策・行動に大きな制約があることだ。
「有事」の際は直ちにすべての軍事行動が可能な米国とは異なり、日本でのシミュレーションでは、多くの時間がいわゆる「事態認定」の議論、すなわち現在進行している事態が、武力攻撃事態、武力攻撃予測事態、または緊急対処事態のどれであるかを政府が認定すること、に費やされてしまうのだ。
これに対し、一部の識者は「台湾有事」論は非現実的だと主張する。一部には「2024年に蔡英文総統の任期が終わり、誰が新総統に就任しても、台湾は融和政策を採り、中国は寛大路線に戻るだろう」から、「台湾有事論は終息する」と見る向きもある。
これが事実であれば誠に幸いであるが、残念ながら、中国専門家の多くは「近年の中国指導部の言動を見れば、現実はそれほど甘くない」と見ているようだ。
興味深いことに、こうした「悲観論」と「楽観論」に共通するのが、中国は「本格的な軍事行動を起こす」という命題である。
しかし、本当にそうなのか。ロシアは陸続きの隣国ウクライナを一年半攻めても制圧できなかった。中国指導部は本気で、最大180km離れた台湾島を軍事作戦で制圧できると思っているのだろうか。中国にとって最善策は、やはり、戦わずして勝つ「孫氏の兵法」ではないのか。
この問題を正面から問うたのが、筆者の所属するキヤノングローバル戦略研究所が2022年秋に実施した政策シミュレーションだった。「台湾海峡危機2024」と題した演習の想定で、中国は本格的「台湾軍事侵攻」を行なわず、日本も「事態認定」をほとんど議論しなかった。
想定したのは「中国が国際的な正統性に立脚しつつ、エスカレーションを丁寧にコントロールし、台湾併合の布石を着々と進める」ことだった。
この政策シミュレーションから得られた教訓はじつに不吉なものだ。すなわち、
●このような「非有事的」危機のもとで中国側が米台日に対し優位に立つ可能性は高い。
●中国側が武力行使に至らないぎりぎりのラインを突き続ける状況への米台日の対応は難しい。
●既成事実を積み重ねる中国は台湾への影響力を強め、結果的に台湾が失われる恐れすらある。
●中国は直接的な軍事侵攻なしに、事態を自らに都合よく進展できる可能性がある。
●これに対し日本などには軍事力強化とは次元を異にする他の抑止手法も必要となるだろう。
要するに、中国が初めから本格軍事侵攻するとは限らないということだ。
このシミュレーションの詳細な報告書はキヤノングローバル戦略研究所のウェブサイトから入手可能だが、じつはこのシミュレーションにはネタ本があった。
キヤノングローバル戦略研究所の同僚が監訳した『中国「軍事強国」への夢』(劉明福著、峯村健司監訳、加藤嘉一訳、文春新書)がそれだ。著者の劉明福は中国国防大学教授(上級大佐)で、中国軍人の中でもタカ派として知られるだけに、内容には説得力がある。
それでも、筆者は本格的軍事作戦を伴う「台湾有事」の可能性を否定するつもりはない。それどころか、上記の劉明福の主張にもかかわらず、中国が最終的に軍事力を使って台湾を軍事制圧する愚挙に出ることは十分ありうる、とすら思っている。
その理由は2つ、第一はウクライナ戦争の教訓であり、第二は1930年代の日本の教訓だ。それぞれ、詳しく説明しよう。
ロシアが始めたウクライナ戦争から日本は多くの教訓を学ぶべきだが、なかでも最も重要な教訓は「独裁者は判断ミスをする。絶対的な独裁者は、本人以外に修正できないような、絶対的な過ちを犯す」ということだ。
2022年2月、プーチン大統領は、兄弟国を軍事侵略してウクライナという反露的民族国家をつくる一方、バラバラだったNATOを結束させる、という致命的な戦略的判断ミスを犯している。
いかに「賢い」とはいえ、プーチンも所詮は「人の子」、人間は誤りを犯す動物だ。しかも、正しい情報が上がってこない独裁者ほど、大きな判断ミスを犯すものだ。
プーチンほどの「賢い」独裁者があれほど致命的な戦略的判断ミスを犯すのであれば、日本の周辺にも似たような独裁者が少なくとも二人いるではないか。彼らの一人が判断を誤れば戦争は起きてしまう、というのが第一の理由である。
第二の教訓は「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。歴史は繰り返さないが、時に韻を踏む」だ。筆者の見るところ、2020年代の現在は1930年代の「歴史の韻」を踏んでいる。
いずれの時代も東アジアに強力な新興国が生まれ、不正義な現状は変更したい、武力を用いてでも自ら新たな国際秩序を創出したい、米国の力を過小評価し、米国(とくに海軍)のもつ西太平洋の海洋覇権に挑戦しようと考える。
これこそ、日本が1941年に真珠湾を攻撃した背景ではなかったか。21世紀の現在、中国はかつての日本が犯した戦略的過ちを繰り返しているように思える。
しかも、人口が巨大な中国は、1930~40年代の日本の少なくとも10倍の規模の大きな過ちを繰り返す可能性がある。これが中国の対台湾武力行使を筆者が否定できない第二の理由である。
もし以上の分析が正しければ、中国が台湾侵攻に踏み切る可能性は否定できない。しかし、筆者の見るところ、そうした状況が生ずる可能性は大きく分けて5つあると考える。
第一は、「台湾の独立宣言」だ。中国共産党が「中国は一つ」と主張している以上、台湾当局が「台湾独立」を正式に表明すれば、中国は必ず武力を行使する、いや、行使せざるをえない。
共産党の統治の正統性である「一つの中国」が否定されれば中国にほかの選択肢はない。武力を行使しなければ、その時点で中国共産党は正統性を失うからだ。ただし、いまの台湾当局が「独立」を宣言する可能性は極めて低いだろう。
第二の可能性は、「党内権力闘争」である。たとえば、現指導者の前に強力な政敵が出現し、現政権の外交政策を「弱腰」「不十分」などと批判し始めれば、対抗上何らかの措置を取らざるをえなくなるかもしれない。
現時点でそのような状況が直ちに生まれるとは思えないが、今後、中国国内で経済・社会状況が悪化すれば、党内で権力闘争が再燃する可能性はあるだろう。
第三は、「民衆の不満爆発」だ。マクロ経済学的に見れば、現政権の経済政策は中国経済再活性化の余力を無為に潰しつつあるように見える。
不動産市場の低迷、バランスシート不況、若年失業率の悪化、社会保障制度の不備など、ナショナリズムで扇動された民衆の不満が爆発する恐れはつねにあり、その批判を逸らすために、現政権が対外強硬路線に踏み切る恐れもつねにあると見るべきだろう。
第四は、人民解放軍強硬派の「自己過信」である。軍が現政治指導部に対し「いまなら台湾制圧侵攻は成功」と保証するなど、解放軍関係者が米軍を過小評価し、中国の軍事力を過大評価する可能性はゼロではない。
そして最後は、言うまでもなく、独裁者本人が、本人以外に是正できない、戦略的な判断ミスを犯す可能性だ。もしかしたら、この第五の可能性が最も蓋然性が高いかもしれない。
更新:11月21日 00:05