
ウクライナ侵攻を「正当」と主張するプーチンは、2024年3月の大統領選挙において過去最高の87.28%という得票率で圧勝した。この結果は、強権的な統治を受け入れるロシア国民、そして国家と社会が一体となったロシアの特異さを浮き彫りにしている。前編では、このロシア社会の根幹にある歴史観や国家観を探った。
後編の本稿では、その一枚岩に見えるロシア社会に「にわかに見え始めたほころび」に焦点を当てながら、さらに、ロシアがどこまで侵攻の手を伸ばす可能性があるのか、そして日本がとるべき対応について考察する。
※本稿は前後編の後編です。『Voice』2024年6月号より抜粋・編集した内容をお届けします。
とはいえ、そんなロシア社会の一体性にも、にわかに綻びが見え始めているのも事実である。2024年3月の大統領選の得票率については前編で紹介したとおりだが、筆者はプーチンの支持率ではなく、むしろ現在のロシアで1割以上の国民がほかの候補者に票を入れたことにポジティブに驚かされた。
そもそも、戦争という非常事態に際しては現政権への支持が高まることは、古今東西の国家に確認できる傾向である。とくにロシアではプーチンが強権的に社会を抑圧しているのだから、むしろ支持率は9割を超えても不思議ではなかった。
大統領選中には、反体制派指導者のナワリヌイ氏が不審な獄中死を遂げて、3月1日にはモスクワ南東にある教会で葬儀が執り行なわれた。教会の周囲には故人を悼んで長蛇の列ができあがり、ロシア当局は厳戒態勢を敷いて各地で100人以上を拘束したという。プーチンからすれば、国民を十分にはコントロールできていないわけで、少なからぬ焦りを感じているだろう。ロシア社会の変化については今後も注視していく必要がある。
しかしあらためて考えると、ロシアとはじつに独特な政治体制だと感じさせられる。政府が強権的かつ独裁的な政治手法をとっているにもかかわらず、1割から2割の人びとが反政府運動を公然と行なえる事実を見ると、歴史を振り返っても見当たらない不思議な体制だ。プーチン自身、国家と社会が融和している現状に鑑みて、ロシア独自の民主主義を築いていると自認している。
ロシアのウクライナ侵略以降、ロシアと中国は「独裁国家」として一括りにされてきた。一理ある見方だが、ロシアには若干の言論の自由が残っているのも事実である。プーチンからすれば、大統領選の投票率は77.49%で、投票率の低い西側諸国に比べればはるかに民主的な国家だという理屈だ。
西側はむしろ国家と社会が分裂していて、だからこそ憲法を用いて国家が社会を縛らざるを得ないのだと冷ややかに見ているだろう。そんな西側の価値観の侵略からロシア社会を防衛しなければいけない、というのがプーチンの根本にある思想である。
しかし、プーチンがさまざまな圧力および時には暴力を用いて、多数派をつねに維持できるように制度を変えていることは事実である。しかも、自国を治めるためのみならず、みずからが掲げる歴史観のもとに隣国のウクライナを武力侵攻するとは、言うまでもなく許されざる行為だ。この点については、筆者があらためて強調するまでもないだろう。
プーチンは2000年に大統領に就いた当初、西側と協力する姿勢を見せるなど、じつは現在ほど強権的ではなかった。しかし2010年代の政権第二期以降、西側との対抗姿勢を隠さなくなった。原油価格高騰による国力の強化や、米国のプレゼンスの低下が背景にある。そして、国内的には秘密警察時代からの人的ネットワークを駆使し、強固な中央集権的国家をめざすようになったのである。
彼の政治手法の特徴は、中央と地方を上手く一体化させた利益配分システムをつくった点に求められる。議会でもさまざまな委員会を設置したうえで、新しい助成金を出したり外郭機関をつくったりするなど地方へ利益を回すために必要な法律を整備した。ソ連崩壊以降、ロシアでは地方政府が強力化して社会が混乱し始めていたが、中央集権化を進めることで国家をふたたび一体化した。
この点が、「プーチン前」と「プーチン後」のロシアの大きな違いである。ある意味では合理的で、他国に暴力的な行動さえとらなければ、ロシア独自の政策という評価で終わる話だったかもしれない。
前編では、ロシアのウクライナ侵略について、その背景にあるプーチンおよびロシア社会の歴史観や国家観を見てきた。
他方で、戦争の理由の一つに、NATO(北大西洋条約機構)の東方拡大を挙げる論調も見受けられる。要するに、ロシアを追い込んだ欧米側やウクライナ側にも責任があるという考えだが、筆者はその考えをまったく共有しない。2014年3月、ロシアがウクライナの領土であるクリミア半島の併合を宣言したことは明らかに一方的な侵略だからである。
では、ロシアは今後、侵略の手をどこまで伸ばすつもりなのだろうか。西側にはロシアの拡張主義を危険視する声があり、たとえばモルドバでは同国内の親ロシア派支配地域「沿ドニエストル共和国」に手を出してくることが懸念されている。またバルト三国(エストニア・ラトビア・リトアニア)もロシア系住民が多いため、プーチンがプレッシャーをかけてくる可能性はある。
ただし、それ以上の地域に手を出してくることは、合理的に考えられない。たとえば、昨年にNATOに正式加盟したフィンランドに攻め込めば、待ち受けているのは全面戦争で、プーチンが選択するとは思えない。その点については、ウクライナの隣国のポーランドを含む西ヨーロッパ諸国もわかっているはずで、自国が攻め込まれる恐怖感よりは、地域の安定のためにロシアを抑え込んでおきたいという思惑のはずだ。
プーチンの狙いは帝国主義的に領土を拡大することではなく、ウクライナを獲得したうえで欧米に対して自分たちの政治制度や力を認めさせることだろう。そして中国はもとよりグローバルサウスのなかにも味方についてくれる国がいることを確認し、それは現実的に達成しうる目的だと自信を深めているのではないか。そのうえで、西側のなかで分裂が見て取れれば楔を打ち込み、経済制裁を徐々に解除させていこうと計画しているはずだ。
いずれにせよプーチンには、国際協調を進めて皆で繁栄しようという発想はない。では、私たちは今後、ロシアという国といかに向き合うべきだろうか。
まず求められるのは、プーチンあるいはロシアの言い分を受け容れることはできないが理解しようと努め、互いに異なる価値観や政治制度が存在しうることを前提に、私たちが標榜するリベラル・デモクラシーの理念から、明らかにおかしいと感じる振る舞いについては「おかしい」と言う以外に道はないのではないか。もちろん、それとは別に国際政治上の具体的な話として、日本が現在の戦争にどう向き合うかという点も問われる。
筆者はじつのところ、岸田政権の日本政府の対応には一定の評価を与えてきた。西側と歩調を合わせながら原理的にウクライナ支持の立場に立ちつつ、いま定められている憲法九条の範囲内で、できる限りの支援を行なう岸田外交は、当初の予想以上に着実かつ一貫的に展開されてきた。
石破政権は、いっそうきびしい国際環境のもとに置かれているが、ロシア・ウクライナ戦争に関しては、岸田政権の対応をこれまでのところ継承しているように見える。
武器支援の在り方については、一歩間違えれば日本が底なし沼のように戦争に引きずり込まれる恐れもあるから、慎重を期するべきだろう。それでも、われわれの国力や国際的な安全性を勘案したうえで、議論は行なうべきではないだろうか。
ロシアではいまも、リベラル系の人びとが苛酷な弾圧のなかで、戦争反対を唱え続けている。彼らの努力が無に帰するようなことがあってはならない。日本も国際社会の一員として、はたして何ができるのか、ロシアという国といかに対峙するべきか、戦争の開始から2年以上を経たいま、あらためて考えなければいけない。
更新:07月09日 00:05