2014年のクリミア危機に端を発するウクライナ紛争。22年2月にはついにロシアがウクライナへの侵攻を開始した。一体なぜそのような事態になってしまったのだろうか。
実は、非常によく似た出来事が、1991年に崩壊したソヴィエト連邦の末期に起きていた。ウクライナ危機の背景を、ソ連の歴史から考えてみよう。
※本稿は、『THE21』2022年6月号に掲載された「今さら聞けない『ソ連』の歴史」を一部編集したものです。
1991年に崩壊した巨大国家ソヴィエト連邦(以下ソ連)。崩壊から30年以上が経ち、ソ連を知らない世代も増えてきています。ロシア帝国→ソ連→現在のロシアという変遷をたどっていますが、どのような歴史があるのでしょうか。
まず、ロシア帝国は、1721年から1917年まで存在した国家で、皇帝独裁の国でした。そのロシア帝国を否定して、1917年に革命によって誕生したのが、世界初の社会主義国家、ソ連です。
皇帝独裁のロシア帝国では富が一カ所に集まり、人民はどんなに働いても豊かにならない。だから革命を起こして人民・労働者のための新しい国をつくらなければならない、というのが、ボリシェヴィキ(のちの共産党)の主張でした。これを率いていたのがレーニンです。
ところが、ソ連成立後何が起きたか。凄まじい独裁と富の集中、言論統制です。
人民はロシア帝国時代よりもひどい状態に置かれ、政府に反抗すると処刑、あるいはシベリアに送られました。
このソ連を独裁支配していたのが共産党政権です。社会主義と共産主義は違いがわかりにくいのですが、どちらも資本主義の対義語です。
自由競争で利益を追求する資本主義に対し、資本主義で生じる貧富の格差を否定し、生産手段を社会的に共有・管理することで、平等な社会の実現をめざすのが社会主義の思想です。北欧型の福祉国家や、日本の国民皆保険・年金制度は、社会主義的な政策です。
社会主義をさらに徹底したのが共産主義です。利益は「平等に分配する」ものですらなく、「みんなで共有する」ものであり、そこから「各人が必要に応じて受け取る」社会を目指すため、民間企業は認められず、土地も国有化されます。
そんな共産主義の根本原理は一党独裁です。そして彼らは、独裁=民主主義だと主張しています。民主主義の定義が西側資本主義諸国とは違うのです。彼らの理屈はこうです。
第一に、我々共産党は労働者・農民の味方である。彼らの幸せのために政治をするのであるから、我々に反対する勢力は人民の敵である。人民の幸せのためには、敵はどんな手を使ってでも排除しなければならない。だから、我々に反対する敵は、秘密警察によって取り締まらなければならない。
第二に、我々は人民の代表であり、我々の意思は人民の意思である。人民が何を望んでいるかは我々がすべて知っているから、選挙は必要ない。選挙をすると、資本家が買収などの工作を行なって金持ちに有利な政治をしようとするから、そんな選挙はしないほうがいい。我々は100%正しいので、我々に独裁させればみんなが幸せになる。
これが共産党の思想です。だから、言論を統制し、選挙もしない独裁体制を敷くのです。
さて、そうした思想のもと誕生したソ連は、どのような経緯をたどって崩壊したのでしょうか。歴代の指導者ごとに見ていきましょう。
ソ連の初代指導者はレーニンです。そのあと、スターリン、フルシチョフ、ブレジネフ、ゴルバチョフと続き、ゴルバチョフの代でソ連は崩壊しました。
彼らは全員共産党員ですが、思想は少しずつ違っていました。上の図を見てください。左側ががちがちの共産主義グループである保守派、右側がアメリカ的自由主義も取り入れようとする改革派です。
最初、レーニンはもちろん保守派でした。ところが、共産主義体制はたちまち失敗し、経済が破綻して餓死者も出てしまった。これではだめだということで、レーニンは途中から改革派に転向します。
自由主義や市場経済を取り入れたレーニンの政策を、NEP(新経済政策)といいます。
ところが、市場経済を認めるということは、民間企業を認めるということ。民間に任せるなら、人民が勝手にやればいいので、共産党による支配は必要ないじゃないか、という矛盾が生じてくるわけです。
NEPによって工業生産力は回復しましたが、これでは共産主義体制が揺らいでしまうと危機感を覚えたのが、レーニンの後を継いだスターリンです。スターリンは民間企業をすべて潰し、経営者を逮捕してシベリアに送りました。
更新:11月21日 00:05