2024年12月20日 公開
2024年12月20日 更新

「MBTI(Myers-Briggs Type Indicator)診断」をご存じだろうか。
若者を中心に昨今流行している自己理解メソッドとされるもので、「外向:Eまたは内向:I」「感覚:Sまたは直観:N」「思考:Tまたは感情:F」「判断的態度:Jまたは知覚的態度:P」の四項目でどちらの傾向が強いかを判定し、計16のタイプに分けられる。
自分のタイプを認識するのはもちろんのこと、友人との会話で互いのタイプを聞きあったりすることや、SNSのプロフィール欄に明記したりすることも珍しくない。こうした類のタイプ別診断は言うまでもなく、「MBTI診断」に始まったものではなく、過去にもさまざまなトレンドがあった。
しかし、このような診断で自分の「タイプ」を知ることは、本当に自己理解につながるのだろうか。
前編記事では、本来のMBTIは日本では「日本MBTI協会」が取り扱っており、たとえば「無料性格診断テスト16Personalities」などのネットに流布している診断とは異なる目的で用いるものだという指摘もされた。
「MBTI診断」をはじめとするタイプ別診断の活用法、そして真の自己理解についてパーソナリティ心理学の専門家に話を聞いた。
※本稿は、『Voice』2024年1月号より、より抜粋・編集した内容をお届けします。
――韓国では、MBTIが就活に活用されるケースもあると聞きます。ほかの診断よりも精度が高いなどの特徴があるのでしょうか。
【小塩】どんな診断でも、自分のタイプや点数がわかったとして、それを何に使うかが重要でしょう。インターネット上の「MBTI診断」については自己理解メソッドとして受け入れられていると聞きますが、しかし自分が16のうちどのタイプだと判定されたところで、それが本当の意味での自己理解につながるのでしょうか。
――そもそも、人はどのような状態になれば「自分を理解した」と言えるのでしょうか。
【小塩】私が推奨しているのは、「辞書を開いて自分を表現する言葉をじっくり探すこと」です。点数やタイプではなく、自分自身を表現する「言葉」を探したうえで表現できるようになったほうがいいでしょう。
たとえば、「自分を漢字一文字や四字熟語で表すと何か」という質問もありますね。それを考えることには意義があると思いますが、しかし若い人たちは語彙がまだ十分ではない。つまり、自分を表すうえでしっくりくる言葉にまだ出合っていない可能性がある。
ですから私たちは多くの言葉を知っておくべきで、少ない語彙で自分自身のことを考えても、たいした分析はできません。多くの就活生が自己分析に悩んでいますが、その原因は語彙の少なさではないでしょうか。
――だからこそ、まずは「辞書を開くこと」を推奨されているのですね。
【小塩】映画を観たり小説を読んだりすることも重要でしょう。さまざまな作品を通じて、登場人物と自分とを照らし合わせれば、どんな言葉で自分を表現するべきかを考えるでしょうから。それこそが本当の意味での「自己理解」につながるのではないでしょうか。
就活の面接で自己紹介するときに「私はこの検定で何点でした」と言っても、自分自身の内面の魅力を伝えることはできません。ただし、採用する側は数字やタイプで就活生を比較したほうが楽です。だからこそ、韓国の就活などでは用いられているのでしょう。
でも繰り返すようですが、診断の結果やタイプは、自分自身のことを表現する手段にはなりません。そもそもテストとは検査する側が利用するもので、受ける側が進んで使うものではないでしょう。
――「テストは受ける側が使うものではない」とは具体的にどういうことでしょうか。
【小塩】たとえば、研究者は自身の研究のためにテストを活用します。あるいは、何かの研修を受けた場合、効果が上がったか否かを確認するためにテストが必要になる。
また臨床場面であれば、患者がどんな状態か知るために医者が検査します。本来のMBTIも、簡単にその場で診断を出すものではなく、専門家のもとでアドバイスを受けながら、自分自身について理解を深める目的で実施されます。
つまり、何がしかの目的があるからこそテストが手段として使われるわけで、最近のタイプ別診断のように、ただ答えて終わりということはあり得ないのです。多くの日本人が、この点で各種のテストや診断を勘違いしている気がします。
――「テスト自体が目的ではない」とは見落としがちなお話で、あらゆるテストにも言えることですね。たとえば、学校で受ける定期テストだって各生徒の学習の進捗具合を比較して成績をつける教師のためのものと言えるでしょう。
【小塩】そうです。テストは比較のために使われたり目標を見据えた予測のために使ったりするものですが、中学生くらいからその本質を履き違えてしまい、テストでよい点数をとることが目的化してしまう。要するに、テストのために勉強をしてしまうのです。
しかし、本来であれば学校の試験も大人の健康診断や血液検査と一緒で、問題があるかどうかを確かめる方法の一つにすぎない。テストが本質ではないのに、多くの日本人がそのように誤解している現状に対しては強く危惧しています。
――テストはあくまでテストにすぎない、ということを見落としてしまっているのですね。
【小塩】だからこそテストの結果で人と比べあい、それぞれが優越感と劣等感を抱いたり、勝ち組と負け組のようなカテゴライズが始まったりするのでしょう。またテストが目的化すると、皆が「テスト対策」ばかりに気をとられて、実際にはあまりの意味のない小手先のテクニックで点数を上げようとしてしまいます。
ただし、この話を若い人に理解してもらうのは簡単ではありませんね。私は以前、高校生を前にして「『テスト勉強』と『本当の勉強』は違うんだよ」と話したことがありますが、やはりわかってもらえませんでした(苦笑)。そうして高校を卒業するまでテスト勉強に明け暮れているので、大学に進学した途端、勉強しなくなってしまう子が多いのです。
――非常に重要なご指摘です。では最後に伺いたいのですが、「タイプ別診断」について、それを受ける私たちにはメリットはないのでしょうか。
【小塩】利点があるとするならば、それはやはり「使う側」に立ったときでしょう。たとえば、会社や部門経営をする際に、従業員に対してテストをして、このタイプの人がこれくらいの成果を上げるという結果がわかれば、どうマネージメントするか考えやすいはずです。
ただし、繰り返すようですが、タイプ別診断で「自分はこのタイプだから」と自分自身の本質を理解しようとするべきではないし、望ましいことではありません。
テストはあくまでもテストだし、なかには診断されたタイプが先天的で固定的なものだと思ってしまう人がいる。しかしどんな診断でも、受検者をどれかのタイプには当てはめないといけないため、微妙な部分を無視して無理やり既定のタイプに分類していることもあります。同じ診断をふたたび受けると、前回とは結果が変わるということは珍しくない。
じつは、定評ある心理的な検査であっても、それほど結果が安定しているわけではないのです。ですから、何かの診断を受けていずれかのタイプに分類されたとしても、その結果で自分自身を縛ってしまう必要はありません。
残念ながら、テストという本質ではないもので、人と比べあって優越感や劣等感を抱いているのがいまの日本社会でしょう。カテゴライズには有用な面もあるからこそ浸透しているのでしょうが、それで自分が苦しむことがないよう気を付けなければいけません。周囲の大人も、若者たちにそう伝えるべきではないでしょうか。
更新:12月21日 00:05