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【天才の光と影 異端のノーベル賞受賞者たち】第22回 ジョン・ナッシュ(1994年ノーベル経済学賞)

2023年11月02日 公開
2023年11月02日 更新

高橋昌一郎(國學院大學教授)

 

カーネギー工科大学

1945年9月、飛び級で高校を卒業した17歳のナッシュは、アメリカ全土で10人だけに与えられるウエスティングハウス奨学金を獲得して、全授業料を免除される条件で、ペンシルベニア州ピッツバーグのカーネギー工科大学に入学した。

当初、ナッシュは父親と同じように技術者をめざして化学を専攻したが、次第に「型にはまった授業が嫌で堪らなくなった」と自伝で述べている。なぜなら、彼の受けた化学の授業では「どうすればうまくピペットを扱い、いかに見事に溶液を滴下して化学反応を引き起こすか」を学ばされ、「いかに物事をうまく考えるか」は主題ではなかったからである。

すでに大学レベルの数学を理解していたナッシュは、大学院数学科の授業を受講していた。彼の能力を高く評価した数理物理学者リチャード・ダフィン教授は、彼に数学を専攻するように勧め、ナッシュもそれに従った。ナッシュの両親は、息子が将来、数学者として自立できるのかを心配したが、ナッシュにその心配はないと説得したのもダフィンだった。

大学寮で暮らすナッシュは、自分が男性に惹かれる傾向があることに気づき始めていた。ある日彼は、寝ている下級生のベッドに這い上がって言い寄ったため、それを拒絶した下級生から「ホモナッシュ」という綽名を付けられた。この噂は大学中に広まり、ナッシュは学生たちから嘲笑された。

当時の同級生は、「ナッシュは、完全に一人ぼっちでした」と述べている。「ナッシュは、何をしてもあまりに変わり者なので、周囲の物笑いの種でした」いう証言もある。

「社会性が少しでも欠けていたり、人とは違う行動をする人間がいると、どうしてもからかいたくなります。それで僕らは、あらゆる方法で彼を苦しめました。今思うと、僕らは本当に思いやりのかけらもない嫌な人間たちでした。僕らは彼のことを『異常者』として扱っていたのです」

学生たちは、タバコの煙を神経質に嫌がるナッシュをからかうために、ナッシュの部屋の前で1パックのタバコ全部に火を付けてドアの下から煙を吹き込んだこともあった。

怒りを爆発させたナッシュが飛び出てきて、「この低能! 無知で無学なバカども!」と叫びながら、学生の一人につかみかかり、シャツを破いて背中に嚙みついた。この様子を見て、ドアの前に集まった学生たちは、大爆笑した。

ところが、ナッシュが大学3年になる頃には、この状況は一変していた。彼は、すでに大学卒業のために必要な単位を優秀な成績で取得済みで、さらに大学院数学科修士課程の必須科目も履修終了間近だったからである。

毎晩、カフェテリアに陣取る「王様」ナッシュの前に、多くの学生が宿題を持って集まった。ナッシュは、まるでマジックのように、彼らの問題を即座に解いてやった。

彼は学生ばかりではなく、ダフィン教授にとっても頼りになる存在だった。1947年秋学期、ダフィンは数学者ジョン・フォン・ノイマンの著書『量子力学の数学的基礎』の証明を説明しているうちに、行き詰まってしまった。

講義を受講していた5人の大学院生も、全員が慌てた表情で、下を向いている。沈黙が続いた後、ダフィンは、弱冠19歳の学部生ナッシュに「私を助けてくれないかね」と声を掛けた。ナッシュは、その行き詰まりの原因を見事に説明してみせた。

この時期に大学で「国際経済学」を受講したナッシュは、各国間の合理的な交渉をどのように数学的に表現できるかに興味を持ち、「交渉問題」という論文にまとめた。この論文は、1950年4月に経済学雑誌『Econometrica』に掲載された。

1948年6月、20歳になったばかりのナッシュは、カーネギー工科大学より数学の学士号と同時に数学の修士号を取得して卒業した。

 

プリンストン大学大学院と「囚人のジレンマ」

1948年9月、ナッシュはニュージャージー州プリンストンのプリンストン大学大学院に進学した。ダフィンがプリンストンの数学科長に宛てた推薦状には「彼は数学的天才です(He is a mathematical genius.)」と、一言だけ記してあった。

ナッシュの指導教授を引き受けたのは、アルバート・タッカー教授である。彼は、もともと位相幾何学を専門としていたが、第2次世界大戦が始まると「線形計画法」や「オペレーションズ・リサーチ」を研究するようになった。彼が発案したのが有名な「囚人のジレンマ」である。

2人の銀行強盗が警察に捕まったとする。検察官は2人に罪を認めさせたいが、2人の囚人は、もちろん刑期を短くしたいと願っている。そこで検察官は、2人を別々の独房に入れて、各々に次のように言った。

「お前も相棒も黙秘を続けたら、銀行強盗は証拠不十分で立件できない。せいぜい武器不法所持の罪で2人とも1年の刑期というところだろう。逆に2人とも銀行強盗を自白したら、刑期はそろって5年になる。しかし、今、お前が正直に2人で銀行強盗をやったと自白すれば、捜査協力の返礼としてお前を無罪放免にしてやろう。ただし、相棒は10年の刑期になるがね。どうだ?」

囚人は、相棒に協調して黙秘を続けるべきか、相棒を裏切って自白すべきか、考え込むだろう。さらに検察官は、次のように催促する。

「実は、お前の相棒にもまったく同じことを話してあるんだ。もし相棒が先に自白してお前が黙秘を続けたら、相棒は無罪放免だが、お前は10年も牢獄行きだぞ! さあ、どうする? 急いで自白しなくていいのか?」

この状況で、2人の囚人は深刻なジレンマに陥る。もしお互いに黙秘を続ければ、1年の刑期で2人とも出所できるため、それが2人にとって最もよい結果であることは明白である。しかし、もし相棒が裏切ったらどうなるか? 相棒はすぐに出所して自由になるが、自分は10年間も牢獄に閉じ込められてしまう。

そこで、結果的に、2人の囚人はそろって自白して、どちらも5年の刑になってしまう。そして2人は刑務所で考え込むわけである。お互いが黙秘していればたった1年で済んだはずなのに、もっとうまくやる方法はなかったのか。もっと「理性的」な選択はなかったのかと...。

さて、指導教官の提示した問題を考え続けたナッシュは、囚人のジレンマのような状況で、一方のプレーヤーが最適な戦略をとったとき、他方のプレーヤーもそれに対応する戦略を最適にするような「ナッシュ均衡」が存在することを証明した。

「均衡」あるいは「安定」という概念は、多くの科学分野に登場する。たとえば、紅茶に砂糖を入れ続けると、ある時点で化学的に「均衡」な状態になり、砂糖は溶けなくなって沈殿し、紅茶もそれ以上は甘くならなくなる。

ナッシュは、囚人のジレンマにおいても各自が最善を尽くす均衡状態があることを示したが、それは2人の囚人がどちらも「自白する」選択なのである。

この選択では、どちらの囚人も5年の刑になる以上、それが2人にとって最適とはいえないように映るが、黙秘して相手に裏切られて10年の刑になるよりはマシだということである。つまり最悪を回避するのが均衡なのである。

1949年の秋学期、ナッシュは2人以上のプレーヤーが互いに競争関係にあり、プレーヤーの損得の合計がゼロではない「n人非ゼロサムゲーム」という難解な理論を公理化し、各プレーヤーの利得を最大化する均衡解「ナッシュ均衡」が一意的に存在することを証明した。

彼は、この成果を27ページの短い博士論文「非協力ゲーム」に仕上げて、21歳の若さでプリンストン大学より博士号を取得した。

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著者紹介

高橋昌一郎(たかはし・しょういちろう)

國學院大學教授

1959年生まれ。ミシガン大学大学院哲学研究科修了。現在、國學院大學文学部教授。専門は論理学、科学哲学。主要著書に『理性の限界』『知性の限界』『感性の限界』『フォン・ノイマンの哲学』『ゲーデルの哲学』(以上、講談社現代新書)、『20世紀論争史』『自己分析論』『反オカルト論』『新書100冊』(以上、光文社新書)、『愛の論理学』(角川新書)、『東大生の論理』(ちくま新書)、『小林秀雄の哲学』(朝日新書)、『哲学ディベート』(NHKブックス)、『ノイマン・ゲーデル・チューリング』(筑摩選書)、『科学哲学のすすめ』(丸善)など多数。情報文化研究所所長、Japan Skeptics副会長。

X(旧 Twitter):https://twitter.com/ShoichiroT

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