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【天才の光と影 異端のノーベル賞受賞者たち】第22回 ジョン・ナッシュ(1994年ノーベル経済学賞)

2023年11月02日 公開
2023年11月02日 更新

高橋昌一郎(國學院大學教授)

 

フォン・ノイマン

フォン・ノイマンジョン・フォン・ノイマン(1940年)

「囚人のジレンマ」のように、相手の行動を予測しながら自分の行動を決定しなければならないという状況は、チェスや囲碁や将棋のようなゲーム、ポーカーのようなギャンブルや株式市場の動向、個人間から国際間のあらゆる交渉、そして戦略や戦争にいたるまで、社会における人間活動全般に見られる。

このような状況を一般的に数理モデル化したのが「ゲーム理論」であり、それを創始したのがフォン・ノイマンである。

彼は、1928年に発表した論文「ゲーム理論」で「2人ゼロサムゲーム」を数学的に定式化し、それぞれのプレーヤーが利益を最大化し損失を最小化する「ミニマックス戦略」をとる場合、そこに「鞍点(あんてん)」と呼ばれる均衡点が生じることを「不動点定理」を用いて示した。

これが「ミニマックス定理」あるいは「ノイマンの定理」と呼ばれる重要な帰結である。

第2次世界大戦が始まると「ゲーム理論」が大きく注目されるようになり、プリンストン高等研究所のノイマンと経済学者オスカー・モルゲンシュテルンは、5年に及ぶ共同作業の成果として、1944年に英文640ページの大著『ゲーム理論と経済行動』を上梓した。

この「記念碑的著作」において、ノイマンとモルゲンシュテルンは「2人ゼロサムゲーム」を「n人ゼロサムゲーム」に拡張し、さらに難解な「n人非ゼロサムゲーム」を定式化した。

さて、「非協力ゲーム」を仕上げたばかりのナッシュは、意気揚々と自分の博士論文を持ってプリンストン高等研究所のノイマンに会いに行った。ノイマンのゲーム理論は「協力ゲーム」を基盤に扱い、「非協力ゲーム」についてはほとんど触れていない。

21歳のナッシュは、ノイマンの秘書に「先生が興味をお持ちになるに違いない新たなアイディアをお伝えしにきました」と言った。

当時46歳のノイマンは、高等研究所以外に陸海軍や政府機関など6つの委員会の主要メンバーであり、大統領からもさまざまな問題を相談される立場にいた。そのノイマンに突然面会を求めた21歳のナッシュの行動は、「社会性の欠如」の一端を示しているかもしれない。

それでも人当たりのよいノイマンは、彼を自室に通すように秘書に伝えた。挨拶もそこそこにナッシュが自分の論文について話し始めると、ノイマンは首を傾けて黙って聞いていたが、ナッシュの話がまさに「ナッシュ均衡」にさしかかった場面で、「つまらない(trivial)!」と遮った。

ノイマンは「君の話の先にある結論は、不動点定理の応用にすぎない」と言って、2人の天才の面会は終わった。

この面会に大きく傷ついたナッシュは、その後二度とノイマンに接触しようとはしなかった。ここで非常に興味深いのは、この2人の天才の根本的な視点の相違である。

ノイマンは人間を本質的に「社会的な生き物」として捉え、人間は「協力ゲーム」によって合理的に進化するはずだという信念を持っていた。

ところがナッシュは人間を本質的に「自己中心的な生き物」として捉え、人間は「非協力ゲーム」によって不合理的な判断に導かれると考えたのである。

 

マサチューセッツ工科大学

1951年9月、23歳のナッシュはマサチューセッツ工科大学に専任講師として赴任した。多くの大学院生よりも年下のナッシュには「子ども教授(kid professor)」という綽名が付けられたが、彼の研究活動は非常に充実していた。

ナッシュは、1950年から53年の3年間に5編の論文を発表したが、現在のゲーム理論の実質的な戦略論は、すべて彼の業績を基礎としている。とくに人間の不合理な経済行動や社会的ジレンマを説明するには、ノイマンの理論よりも適しているとみなされているわけである。

また、純粋数学の分野では微分幾何学の「リーマン多様体への埋め込み問題」で大きな成果を挙げ、ナッシュの論文は1956年の数学会誌に発表されて反響を呼んだ。

一方、安定した地位に上り詰めたナッシュの私生活は、大いに乱れた。彼は、1950年から53年の3年間に3人の男性と交際しては別離を繰り返した。

1954年には、看護師の女性エレノア・シュティアと交際して男児ジョンを儲けたが、「無教養な女とは結婚できない」と言って彼女との関係を周囲に隠し続けた。その後、ジョンは私生児として孤児院をたらい回しにされて、行方不明となっている。

1954年8月、大学が夏季休暇中にサンタモニカのランド研究所で研究調査を行っていたナッシュは、「猥褻(わいせつ)物陳列罪」で警察に逮捕された。

彼は、深夜のパリセーズ公園のトイレにいた筋骨逞しい男に近づき、自分の性器を見せてその男を誘ったが、実はその男は、おとり捜査中の警察官だったのである。この事件により、ナッシュはランド研究所を解雇されたが、それ以上の問題にはしないというサンタモニカ警察の温情措置により、本務校への影響はなかった。

1955年、21歳のアリシア・ラルデがマサチューセッツ工科大学に入学してきた。アリシアは、エルサルバドルの貴族の娘である。彼女はニューヨークで英才教育を受け、マサチューセッツ工科大学全体に17名しかいない女性の1人として合格した。そして、「美しい黒の瞳を持つ」彼女が、数学科の若き天才ナッシュに憧れて恋したのである。

1957年4月、29歳のナッシュと25歳のアリシアは結婚した。2人はニューヨークのすばらしいアパートメントに友人たちを招き「新婚生活の幸福」を見せつけたという。ところが、その2年後、1959年5月20日にアリシアは男児ジョンを出産したが、そこに父親ナッシュの姿はなかった。彼は、精神病院に入院していたのである。

ちょうどアリシアの妊娠がわかった1958年夏、数学科の研究室に新聞を持って現れたナッシュは、彼だけにわかる暗号で宇宙人がメッセージを伝えていると言い出して、周囲を驚かせた。

教室に行くと、「ちょっと聞きたいんだが、君たちはなぜここにいるのかね」と尋ねて、学生たちを仰天させた。大学にいる「赤いネクタイの男」が彼に危害を加えるという妄想を抱いて逃走し、やがて彼の妄想は「ボストン中の赤いネクタイの男」にまで広がった。

精神病院の医師たちは、ナッシュの病名を「妄想型統合失調症」と診断した。これは「精神の癌」とも呼ばれる難病で、彼は再起不能とみなされた。ナッシュは教授職を得る直前だったにもかかわらず、1959年にマサチューセッツ工科大学を辞職した。

 

ノーベル経済学賞受賞

アリシアは、ナッシュの慣れ親しんだプリンストン大学近郊のアパートメントに引っ越して、彼の精神の安定を願った。

プリンストン大学数学科は、彼のために研究室を設置してくれた。が、幻想に苦しめられているナッシュは、大学構内を歩き回り、無人の教室で黒板に意味不明な記号を書き殴り、学生たちから「プリンストンの幽霊」と嘲笑された。

ところが、1980年代後半から彼の病状は奇跡的に回復し、90年代になると再び研究を始めることができるようになった。彼は妄想に支配された25年間を「精神の休暇」と呼んだ。

1994年、ナッシュは「非協力ゲームの均衡の分析に関する理論の開拓」により、数学者としては初めてのノーベル経済学賞を受賞した。

1998年に『ニューヨーク・タイムズ』の記者シルヴィア・ナサーが綿密な調査に基づくナッシュの伝記『ビューティフル・マインド』を公表すると世界各地でベストセラーとなり、2001年にはハリウッドで映画化された。

2015年5月19日、ナッシュは「リーマン多様体の埋め込み問題」への功績により、「アーベル賞」を受賞した。ナッシュ夫妻は、ノルウェーのオスロで行われた授賞式に出席した。アメリカに帰国した5月23日、空港から高速道路で家に向かう途中にタクシーが交通事故を起こし、86歳のナッシュと82歳のアリシアは共に死亡した。

 

著者紹介

高橋昌一郎(たかはし・しょういちろう)

國學院大學教授

1959年生まれ。ミシガン大学大学院哲学研究科修了。現在、國學院大學文学部教授。専門は論理学、科学哲学。主要著書に『理性の限界』『知性の限界』『感性の限界』『フォン・ノイマンの哲学』『ゲーデルの哲学』(以上、講談社現代新書)、『20世紀論争史』『自己分析論』『反オカルト論』『新書100冊』(以上、光文社新書)、『愛の論理学』(角川新書)、『東大生の論理』(ちくま新書)、『小林秀雄の哲学』(朝日新書)、『哲学ディベート』(NHKブックス)、『ノイマン・ゲーデル・チューリング』(筑摩選書)、『科学哲学のすすめ』(丸善)など多数。情報文化研究所所長、Japan Skeptics副会長。

X(旧 Twitter):https://twitter.com/ShoichiroT

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