1年前にはまだインターネットや電話で話ができた日本に縁のある人たちも、いまは塀の向こうにいるか、塀の外にいても声を出せない状況に追い込まれている。
日本でよく知られている周庭(アグネス・チョウ)は無許可集会を扇動した罪で約7カ月にわたって刑務所に収監され、2021年6月12日に出所した。
現在は日本のメディアの問い合わせにも応じず、友人たちとも距離を置いて静かに身を潜めている。国安法で起訴される可能性も残るといわれるなか、存在を示すことさえリスクになるからだ。
元立法会議員の區諾軒(アウ・ノックヒン)は香港で政治活動を続けることを断念、東京大学公共政策大学院の博士課程に進学し、2020年11月に来日した。
しかし、違法集会への参加などの罪に問われており、2021年1月5日、同月下旬に控えていた裁判に出廷するために香港に戻った。その翌日、區諾軒は民主派の関係者53人とともに国安法違反の容疑で逮捕された。この一斉検挙は、民主派が立法会選挙の立候補者を調整するために行なった2020年7月の予備選が関係しているとみられている。
私は彼の学業や生活の相談にのっており、昨年の初詣に一緒に行ったことも鮮明に覚えている。現代中国を研究してきたのに、私は區諾軒が国安法で逮捕されるとは思ってもみなかった。予想できたなら、香港に帰らぬように説得し、日本政府に保護を求める手助けができたかもしれない。
區諾軒は、違法集会への参加などで有罪判決を受けており、すでに刑務所で服役している。国安法の裁判も今後行なわれる予定だが、長ければ懲役10年、温情を得たとしても刑期は6~7年になるのではと友人たちは話している。一貫して清廉な政治活動を、非暴力の社会運動をしてきた前途ある若者を、日本で受け入れることはできなかったのか。この1年あまり、私はこの問いを反芻し続けている。
2008年の北京五輪は経済成長が著しい時期で、中国政府も国民も自信に満ち溢れていた。今回の冬季五輪では、コロナの制限に加えて、「外交ボイコット」の影響などもあり、08年のように開幕式などのイベントを華々しく行ない、国威発揚を促すことは難しいだろう。
コロナ禍のため無観客で行なった東京五輪も祝祭感がなかったが、だからこそ「多様性と調和」という大会のビジョンが前面に押し出された側面があった。選手たちは、競技開始前や表彰の場で人種差別などへの抗議を表明するポーズをとった。サッカー女子のイギリス代表とチリ代表、日本代表とイギリス代表との試合などで、両チームの選手が試合開始を前に片方のひざを地面につけて人種差別に対する抗議の意を表した。
人種差別への抗議表明は2000年代にサッカー界などで行なわれるようになった。東京五輪でも、IOCの「アスリート委員会」から政治的、宗教的、人種的な宣伝活動を禁止する憲章の見直しについて要望の声があがった。こうした要望を受けてIOCは、試合前の競技会場や選手紹介の場面で人種差別などへの抗議の意思を示すことができるよう、憲章の一部を緩和した。
今回の北京五輪は選手の政治的、宗教的、人種的な表現をどのように捉えるのだろうか。アスリートには、性差別や国家の圧力に屈せず、社会のさまざまな壁を乗り越え、自由にスポーツをしたいという思いがあるはずだ。世界各国から選手が集まるオリンピックは、社会課題を浮き彫りにする場にもなる。
私たちはオリンピックをたんなる祭典で終わらせるのでなく、オリンピックの精神をいかに社会に反映するのかを考えなければならない。多様な価値観を認め合い、民主的な調整を図るムーブメントを広げていかなければならない。
私は個人的に、北京五輪に関連して日本が「外交ボイコット」を行なう必要はなかったと考えている。これまで中国の人権問題に曖昧な態度しか示してこなかった日本が、突然態度を変えて欧米諸国に追随しても、不可解に思われるだけだ。
しかし、人権問題担当の首相補佐官に中谷元・元防衛相が起用され、2022年から外務省に国際的な人権問題を担当する企画官のポストも設置されるのだからまずは、オリンピックが人権を守る実践の場となっているかを検証してみてはどうだろうか。
いうまでもなく、日本が中国としっかり向き合うためには、香港やウイグルに関わる人権問題などにも、日本としての具体的な立ち位置を明確にしたうえで、別途対応する必要がある。
更新:11月22日 00:05