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「夏目漱石が描かなかった熊本地震」映画監督・行定勲氏が直感した“記録する使命”

2021年04月14日 公開
2022年10月06日 更新

行定勲(映画監督)

行定勲

2016年4月、最大震度7(マグニチュード7.3)を計測して甚大な被害をもたらした熊本地震が発生してから、今春で5年が経つ。先の3月11日は東日本大震災から10年の節目でもあり、我々の震災への向き合い方があらためて問われている。

熊本出身で、『GO』(2001年)や『世界の中心で、愛をさけぶ』(04年)などの代表作で知られる映画監督・行定勲氏も、故郷の復興に奮闘し続ける一人だ。昨年来より世界を襲う新型コロナ禍により、行定監督が手掛けた作品も公開延期を余儀なくされるなど、震災やパンデミックの危機はエンターテインメントにも大きな影響を及ぼしている。

我々はこの難局をいかに乗り越えるのか。被災地の未来について、行定監督に尋ねた。【聞き手:Voice編集部(中西史也)】

※本稿は『Voice』2021年5⽉号より⼀部抜粋・編集したものです。

 

熊本人を団結させた大地震

――2016年の熊本地震から現在までの5年間をどう振り返りますか。

【行定】時が早く過ぎたとも感じるし、長く過ぎたようにも感じる。いまは非常に複雑な心境です。熊本は5年前より震災の復旧・復興を進めてきましたが、その途上の2020年7月に豪雨に見舞われ、現在はコロナ禍に直面している。震災、豪雨、そしてコロナという三重の苦しみを味わっているわけです。

誤解を恐れずにいえば、熊本人はもともと「肥後の引き倒し」といわれるように、他人の足を引っ張り、また熊本の外の人間に対しては排他的な節がありました。

一方で、地元の方言で「わさもん」と呼びますが、新しいもの好きな気質をもっている。最近の言葉でいえば「マウントをとる」きらいがあって、私を含めて少々面倒くさい人が多い(笑)。

でも、そんな熊本の人びとが、震災のときは隣の人に手を差し伸べて「一緒に乗り越えていこう」と団結しました。いまの熊本には、難局を経験したからこそ生まれた結束感があります。そして、県のシンボルである熊本城の天守閣が、今年ようやく完全復旧を果たします。熊本人にとってこんなに明るい兆しはありません。

――熊本を舞台に撮影した『うつくしいひと』(16年)、『うつくしいひと サバ?』(17年)、『いっちょんすかん』(18年)の3作ではそれぞれ、熊本の自然や人びとの温かみを描写していますね。

【行定】『いっちょんすかん』は「2018年くまもと復興映画祭」での限定公開で、熊本地震当日の様子を描きました。「いっちょんすかん」とは、熊本弁で「まったく好きじゃない」という意味。

それまでは他人に対する悪口を垂れていた人たちが、震災をきっかけに「お前が生きていて良かった」と愛をにじませる。

これは、いまなお熊本人が抱えている素直な気持ちだと僕は感じています。皮肉な話ですが、むしろ彼らに本来の「わがままさ」が出てきたとき、熊本の日常が戻ってきたといえるかもしれません。

――監督自身は、熊本地震当日をどう過ごしていたのでしょうか。

【行定】僕は、現在は東京を拠点にしていますが、地震当日は仕事でちょうど熊本にいました。経験したことのない揺れに襲われたと思ったら、直後に電気が停まった。部屋の窓から外を見渡すと、辺りは真っ暗。ほどなくして、轟音とともに熊本城のほうから白い煙が上がるのが目に入ります。

「城で火事が起きた!」と真っ先に思いました。ところがよく見たら、どうやらそれは煙ではない。石垣が崩れて舞い上がった土埃だったのです。映画でそのまま描いたら不自然だと捉えられるような異様な光景が、眼前には広がっていました。

翌朝に熊本城の様子を見に行くと、「武者返し」と呼ばれる美しい曲線のある石垣が崩壊し、路上にまで転がっていた。故郷を象徴する建造物が無残にも壊されたあの光景は、いまでも鮮明に覚えています。

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