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「夏目漱石が描かなかった熊本地震」映画監督・行定勲氏が直感した“記録する使命”

2021年04月14日 公開
2022年10月06日 更新

行定勲(映画監督)

 

映画の神様から与えられた使命

熊本城
熊本城(2021年3月22日撮影)

――『うつくしいひと』は熊本地震が起こる前に制作されていますね。どういった経緯からメガホンをとろうと考えたのでしょう。

【行定】僕はいま52歳ですが、40歳を過ぎたころから、熊本というルーツが自分の作品に活かされていることを感じ始めました。父親も母親も当然歳をとっていくわけで、いずれは僕にとっての故郷の拠点がなくなってしまうかもしれない。

そう考えると、あまり縁がなかった郷土愛のようなものがこみ上げてきて、熊本の情緒を映像に残すべくメガホンをとりました。そして『うつくしいひと』を普及していこうと意気込んでいた矢先に起きたのが熊本地震でした。

有り難いことに全国の自治体や個人の方々が被災地の状況を心配してくださり、同作はチャリティー作品として県外の映画館でも上映することができました。自分の力の及ばない部分で作品が広がっていくことを肌で感じたものです。

第2弾の『うつくしいひと サバ?』の制作を決意したのは、『うつくしいひと』の主演で同じく熊本出身の政治学者・姜尚中さん(東京大学名誉教授)との会話がきっかけでした。

彼は夏目漱石が著書『草枕』(1906年に文芸雑誌『新小説』に発表)のなかで、1889年に起きた熊本地震について触れていない点に注目し、「文化がその爪痕を残さないと何も伝わっていかない」と指摘した。

漱石が講師として熊本県第五高等学校(現在の熊本大学)に赴任したのは1896年ですから、現場に残る地震の痕跡を感じていたはずです。しかしどういうわけか、彼の作品では地震について描かれていない。

その話を姜さんから聞いて、「あの漱石でさえしなかったけれど、自分は映画で熊本地震を描くべきではないか」と奮い立ったんです。そう考えて、『うつくしいひと サバ?』では、2016年熊本地震の震源地である益城町を舞台に選びました。もしも映画の神様がいるのならば、「熊本のことを記録するのはお前の仕事だぞ」との使命を与えられていると思うこともあります。

――2017年からは、行定監督自身がディレクターを務める「くまもと復興映画祭」を開催しています。

【行定】母体はもともと毎年開いていた「菊池国際交流映画祭」ですが、2016年の熊本地震を受け、翌年からは「復興」の思いを込めてこの名前に変更しました。あるとき世界中の映画祭を調べたところ、じつは「復興」という名の付いた映画祭は存在しないことに気がついた。

震災によって甚大な被害を受けた人たちに、映画祭でのチャリティー上映会やチャリティーTシャツの販売などを通じて得られた資金の一部を支援して、さらには作品としての映画も楽しんでもらう。熊本城は2036年の完全修復を予定しているので、少なくともそれまでは「くまもと復興映画祭」を続けなければいけないと考えています。

他県でいえば、神戸(兵庫県)は1995年の阪神・淡路大震災以降、「創造的復興」の道を歩んできました。その結果として、現在の神戸の綺麗な街並みがあるわけです。ただ、昔から住む地元民は神戸が生まれ変わった嬉しさと同時に、かつて親しんでいた風景が薄れていく寂しさも抱えているかもしれません。

僕たち熊本も、復興の取り組みを続けるのはもちろん、同時に震災以前の原風景を継承していく必要があります。現在の熊本が多くの人びとの奮闘のおかげで成り立っていることを、子どもたちに感じてほしい。自分が住むまちを知り、さらに愛着をもってもらいたいですね。

 

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