2020年03月05日 公開
2020年03月13日 更新
福島第一原発1・2号機当直長・伊崎利夫(佐藤浩市)を中心に、ベント敢行の覚悟を決める所員たち©2020『Fukushima 50』製作委員会
――メルトダウン(炉心溶融)の危機に直面した福島第一原発では、原子炉格納容器の圧力を下げるため、弁を開け容器内の気体の一部を放出する「ベント」という手法がとられました。本作でも、作業員が自らの身一つで原子炉内に突入する姿が描かれています。
【渡辺】僕は自分の映画を観て泣くことはほとんどないのですが、決死の覚悟でベントに挑んだ一人ひとりの顔を見て、さすがに涙腺が緩んでしまいましたね……。
中央制御室の作業員が高い放射線量の原子炉に身を擲(なげう)って突入したのに、その前に別の部隊が外側から弁を開けてしまう。これが現実なんです。
当時の混乱によって生じた出来事ですが、スクリーンを通して物語を届けることで、人びとの感情を揺さぶる側面もあるでしょう。
――ベントを敢行するペアを決める際は、将来のある若手作業員を室内にとどまらせ、ベテラン作業員が率先して原子炉突入を希望していました。「フクシマフィフティ」と世界から称賛された作業員の姿が印象的です。
【渡辺】彼らのような犠牲的・献身的な精神は、並大抵の覚悟では実践できません。現場の作業員は皆、未曾有の事態に直面して、内心では恐怖に駆られたと思うし、当然「死にたくない」という気持ちもあったでしょう。
人間として当たり前の感情で、彼らの無事を願う家族だっていた。そんな極限の状況下、限られた人員のなかで誰が残り、誰が原子炉に行くのか。自分はいま、何を為すべきなのか。
そうした選択に迫られたときにこそ、その人物がいままでどういう生き方をしてきたかが問われるのかもしれません。
死と向き合うという意味では、世代的な感覚の差もあるでしょう。制御室内の放射線量が高まったとき、ベテラン作業員が「若い者は帰れ、俺たちは残る」と言い放ったのは、若手作業員の将来を気遣ったからが1つ。
同時に、「俺たちがこの発電所を育ててきたんだ」という責任感があったのではないか。そんな気がしています。
僕自身、偉大な先輩俳優の姿をこれまで見てきて、彼らから映画界を背負う気概を感じてきました。そうした覚悟を思い起こすシーンでしたね。
更新:11月22日 00:05