2019年11月22日 公開
2019年11月22日 更新
韓国釈迦の世代間葛藤を浮き彫りにし、中間層を文在寅政権から離反させた曺国事態(チョグクサテ)。韓国国内の構造的変化を日本のメディアは伝えきれたのか?
元毎日新聞ソウル支局長の下川正晴氏は、月刊誌『Voice』12月号にて、韓国政府系紙で起こっている「若手の反乱」を克明に伝えている。本稿ではその一部を紹介する。
※本稿は月刊誌『Voice』2019年12月号に掲載された「韓国政府系紙、若手の反乱」より一部抜粋・編集したものです。
文在寅政権の韓流政治ドラマ曺国事態(チョグクサテ)は、わずか35日間で第一幕が終わり、曺氏夫人の逮捕で第二幕が始まった。
最側近の前民情首席秘書官・曺国(チョグク)氏(54歳、以下人名後の数字は2019年10月末時点の年齢)を法務部長官に強行任命した文在寅(ムンジェイン)大統領(66)は、国民世論の変化の前に撤退した。
政権の支持率は大統領選挙時の41%を割り込み、39%台(韓国ギャラップ調査)に突入した。
今回の事態は韓国政界の上層部を掌握(しょうわく)した民主化世代(1960年代生まれの50歳代)が既得権勢力に堕落(だらく)し、若い世代から不信任を突きつけられた社会的事件でもあった。
その構造変化を日本のマスメディアは、いまもって伝えていない。
「曺国(チョグク)を守るため祖国(チョグク)を捨てた」。
第一野党・自由韓国党による文政権非難は、よくできたフレーズだ。舌鋒(ぜっぽう)を加えたのは、曺国氏とソウル大学法学科で同級生だった院内代表のナ・ギョンウォン(55)である。
ハンサム VS.美人議員の対立構図は、確かに「韓流ドラマ」風の仕立てであった。不正疑惑が相次いで暴露された主人公は「たまねぎ男」と呼ばれたが、日本のワイドショーほど韓国で多用されたわけではない。
曺国事態のさなか、進歩派新聞『ハンギョレ』で若手記者の反乱事件が起きた。日本のマスメディアでは詳しく報道されなかったが、韓国社会の変動を印象づけた事件であった。
『ハンギョレ』は朴正煕(パクチョンヒ)・全斗煥(チョンドファン)時代の新聞民主化闘争の系譜を引く進歩派新聞である。
1988年に創刊された。論調は左翼的だが、横書きのハングル表記を全面採用するなど、業界の革新勢力だった。当時、私は『毎日新聞』ソウル特派員だった。最大部数の保守紙『朝鮮日報』に比べると、記者たちの取材姿勢は謙虚であり、それなりに評価してきた。
その進歩派新聞で反乱事件が起きたのである。「若手記者31名が9月6日、局長団退陣を要求する声明文を出したのに続いて、9日には中堅記者も声明を出した」(10日付け、『朝鮮日報』電子版)。
私はこの記事で異変に気付いた。文大統領が曺国法相を強行任命した翌日である。声明が発表された六日には、国会で曺国氏の人事聴聞会が開かれていた。声明文を読んで驚いた。
「他社の記者たちは『ハンギョレ』の記者を公然と嘲笑(ちょうしょう)する。内部では、『ハンギョレ』は『新積弊』『旧態メディア』という自嘲的な会話が出てくる。文在寅政府が発足したあと、『民主党機関紙』という汚名をしばしば聞いたが、いまほど酷いときはなかった」
『ハンギョレ』の御用新聞化に対する自己批判だ。盧武鉉(ノムヒョン)政権のころも『ハンギョレ』が「(革新)政府系新聞」と表記されることは珍しくなかったが、その内部で「新積弊」「旧態メディア」という自嘲の声があったとなると、若手記者たちのフラストレーションはそうとうなものだと思われる。
メディア批評サイト「メディアトゥデイ」によると、『ハンギョレ』では重大な記事削除事件が5日に起きていた。
司法担当のカン・ヒチョル記者の連載コラム「法曹外伝」がウェブ版に公開されたのに、すぐに削除されたのである。
その記事は曺国氏をめぐる疑惑に言及し、朴槿恵(パククネ)政権当時の民情首席秘書官(政権交代時に逮捕された)の事件と既視感(デジャビュー)がある」と書いていた。
しかし、このコラムは担当デスクによって「この時期に出す記事ではない」として削除された。デスクは「記事は『ハンギョレ』の論調に合わない」といったという。これでは若手の反発を買うのも当然である。
更新:11月22日 00:05