2019年08月29日 公開
2024年12月16日 更新
※写真はイメージです。
ブレグジット(イギリスのEU離脱)、米中貿易戦争などに象徴されるように、世界は再び、大きな混迷と動乱の時代を迎えようとしている。保護主義とナショナリズムの勢いが増す中、われわれは時代を読み解く指針をいかに得ればよいのか。今日の諸問題の根源を辿ると、それは「19世紀問題」に行き着く──。
※本稿は、関眞興著『19世紀問題』(PHP研究所)より、一部抜粋・編集したものです。
19世紀は今日の世界のありようを決定した時代です。
たとえば「国民主義」という言葉がありますが、この言葉が具体化するのが「国民国家」です。
素朴に18世紀と19世紀のフランスを比較してみますと、18世紀はルイ14世、あるいはブルボン朝絶対主義の国家です。それに対して19世紀はフランス人の国家になります。
18世紀から19世紀にかけての変化の間に1789年のフランス革命があり、まさしく新しい社会が成立したのです。
それに少し先だって1775年に始まるアメリカ独立革命がありましたが、ここでもアメリカ人が本国イギリスの専横を排除したのです。
さて、市民革命といいますと、美しくも勇ましい響きがあり、誕生した市民社会にはバラ色の夢が満ちあふれているような感もあります。
そしてそれは一定数の人々にとっては正しかったかもしれませんが、非常に多くの人々にとっては生存そのものが脅かされる世界でもありました。
それまでの世界にあった相互扶助の精神や組織がなくなり、一人ひとりの人間が自分の力で生きていかなければならなくなったのです。
もう一つ注目しておかなければならないのが、「宗教」でしょう。市民社会は宗教を否定しながら成立しました。
しかし、それが強固な社会的絆になっている世界もあり、克服するのは簡単ではない、というより不可能な状況にあります。
幸いといっていいのかどうか、おりしも産業革命が進行し始め、大量の労働者需要が出てきます。貧困者たちは労働者として雇用されていきますが、その生活は安定したわけではありません。
経済には不況や好況があり、不況のときは資本家さえもその厳しい影響を受けたのです。
経済活動では「市場」の存在が大きな意味をもちますが、大量生産・大量消費の資本主義経済の下では原料の確保も重要です。
そのために19世紀はアジア、アフリカに植民地が開かれていく時代にもなります。それに対する諸地域の対応はさまざまですが、列強の力の前に蹂躙(じゅうりん)されたというのが実情です。
そんななか、列強の仲間入りをした日本は特殊な国だったといえるかもしれません。明治維新の研究価値はここにあります。
更新:12月22日 00:05