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篠田英朗 地政学から見る「トランプ・ドクトリン」

2017年04月19日 公開
2024年12月16日 更新

篠田英朗(東京外国語大学教授)

「アメリカ第一」主義でも海洋国家連合は崩れない

「地政学(geo-politics)」は日本語で「学」を付けた名称をもっているが、本来の意味で学問分野の1つではない。地政学は、人間の行動が地理的要素によって大きく決定付けられていると洞察する視点にすぎない。それでも地政学の議論に関心が集まるのは、それが国際社会の秩序の再編を分析する際に、非常に役に立つ視点だと思われるからだ。

 たとえば、アメリカのトランプ政権が示す国際秩序の再編の動きを、地政学の視点から論じてみると、どうなるだろうか。トランプ政権の政策の行方には、まだ不透明なところが多々ある。だが私自身は、トランプ大統領自身の問題意識、世界観、政策目標を、一貫性のあるものだと考えることは可能だと感じている。本稿では、地政学の議論を参照して、そのようなトランプ政権の外交政策の性格を論じてみたい。

 

たんなる「孤立主義」ではない

 トランプについては、「孤立主義」「保護主義」「ポピュリズム」といった否定的な概念で描写されることが多いようだ。だがいずれも本人が使っている言葉ではなく、実際の政策を言い表しているかは不確かだ。

 安全保障については、アメリカが中心になった国際的な安全保障体制の価値を強調しているわけではないが、同盟体制を維持しようとはしている。ロシアとの関係改善が特筆されるが、その一方で中国に対する態度は全般的に厳しい。積極的な介入行動を取る予兆はないが、テロとの戦いの遂行に迷いはなく、大規模な軍拡は間違いない。特定国の国民に対する入国禁止策は、テロとの戦いの文脈で安全保障問題としても捉えられている。国際機関などにも冷淡だが、たんに「孤立主義」を求めているわけではない。

 経済面では、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)脱退を表明し、中国に対する対抗的な関税率の引き上げを検討したりしている。その一方で、カナダ、イギリス、日本などとの2国間の自由貿易協定に関心を示したり、WTO(世界貿易機関)の拡大有効活用を提案したりもしている。国内雇用を創出するという問題意識は明確だが、たんに「保護主義」を推進しているわけではない。

 こうしてみると、トランプ政権は、普遍主義的アプローチに冷淡である一方で、必ずしも純粋に孤立主義や保護主義を追い求めているわけでもないことがわかる。問題は、両者の中間的な領域の在り方である。もともとアメリカの外交史とは、「普遍」と「孤立」のあいだで揺れ動くものである。

 トランプ大統領の性格を、アメリカ政治思想のなかで見てみると、まず思い浮かぶのは、19世紀「ジャクソニアン・デモクラシー」のアンドリュー・ジャクソン大統領であろう。反エリートの西部・南部の大衆の支持を受けながら、当時のインディアンのような脅威を熾烈な形で排除した大統領であった。あるいはニューヨーク出身の20世紀初頭のセオドア・ローズベルト大統領を思い出してみよう。ローズベルトは、高率関税を維持しながら、労働者向け政策も導入し、国内の支持を得ていた。対外的には、威圧的な「棍棒外交」の姿勢でも知られた。

 ジャクソンやローズベルトの時代のアメリカ外交は、「モンロー主義」という言葉で括られる。これを日本の学校の教科書は「孤立主義」などと描写するが、間違いである。「モンロー・ドクトリン」が外交指針とされていたアメリカは、インディアンに大虐殺・強制移住で対処し、メキシコに戦争を仕掛けて領土を割譲させ、太平洋の島々を併合し続けた一大拡張国家であった。「孤立」というレッテルは、勢力均衡政策に加担することを拒絶したアメリカにヨーロッパ人が投げかけた「ヨーロッパ中心主義」の遺物である。

 西半球世界を共和主義の「新世界」と見なし、汚れた欧州の「旧世界」と「錯綜関係」をもつことを拒絶するモンロー・ドクトリンは、冷戦時代にアメリカが自由主義陣営の優越性を守る「トルーマン・ドクトリン」へとつくり変えられた。諸国の主権平等と、「明白な運命」をもって盟主として行動するアメリカ合衆国の特別な役割は、「ドクトリン」においては矛盾しない。それどころか自由の擁護者としてのアメリカの力と威信は、「新世界」の防衛に絶対必要な条件であった。

 2001年にG・W・ブッシュ大統領は、対テロ戦争の時代を乗り切るにあたって、「われわれに付くか、付かないか」という「ブッシュ・ドクトリン」を掲げたが、中東にまで広がる世界的規模でのモンロー・ドクトリンの新しい焼き直しであったといえよう。しかし今日、対テロ戦争の勝利を考えたとしても、ブッシュによるドクトリンが成功したと考える者はいない。修正が必要になっている。オバマは兵力撤退と秘密作戦でつくり変えようとした(だけだった)。トランプはさらに明確なつくり直しを狙っている。

 21世紀のアメリカを盟主とする新しい「モンロー・ドクトリン」の領野を見極める作業が、トランプ政権の政策評価の本質であろう。そしてこの大きな問いこそが、地政学のような視点を導入して考えるのにふさわしい。そこで次に地政学の理論を概観しておきたい。

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著者紹介

篠田英朗(しのだ・ひであき)

東京外国語大学教授

1968年、神奈川県生まれ。ロンドン大学大学院修了(国際関係学Ph.D.)。ケンブリッジ大学、コロンビア大学客員研究員を歴任。広島大学平和科学研究センター准教授などを経て、現職。著書に『「国家主権」という思想』(勁草書房、2012年、サントリー学芸賞)、『集団的自衛権の思想史』(風行社、2016年、読売・吉野作造賞)、『ほんとうの憲法』(ちくま新書、2017年)など多数。

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