2019年07月25日 公開
2023年09月27日 更新
米ソ二大陣営が欧州と東アジアでにらみ合い、世界各国はいずれかの陣営につくことを迫られていました。ドイツと朝鮮は分断国家となり、日本国内では、ソ連共産党の一党独裁を賛美する日本社会党という奇妙な政党が、労働組合の支持を背景に、国会で3分の1の議席を占めていました。
彼らは日本の再軍備を恐れるモスクワからの指令を受けて、「憲法9条を守れ、安保反対!」を叫んでいました。
保守陣営は、対米従属を認めて経済復興を優先する吉田茂の自由党と、対米従属を早く脱して自主防衛を目指す鳩山一郎の民主党に分裂していましたが、日本社会党の脅威の前に大同団結し、自由民主党を結成したのです。その結党の精神は「自主防衛、自主憲法の制定」でした。
しかし、対米従属派を結党の際に抱え込んでしまった結果、結党の精神は「絵に描いた餅」となり、骨抜きにされていくのです。
鳩山民主党の流れをくむ岸信介内閣が米国のアイゼンハワー政権と合意したのが、(新)日米安保条約の調印(1960)でした。
・有効期間は10年間。以後は自動延長とし、日米いずれかの意思により、廃棄できる。
・米国は日本防衛の義務を負う(第5条「共通の危険に対処する」)。
・内乱鎮圧に在日米軍は出動できない。
これが60年安保条約で、半歩くらいは前進していることがわかります。しかし、日本だけが米軍に基地を提供し、米軍だけが日本防衛の義務を負う、という意味での片務性は残されたのです。
日米安保そのものに反対する日本社会党と労働組合、学生組織が大規模な「安保反対闘争」を展開し、国会をデモ隊が包囲して一部の学生が国会への突入を試み、死者を出します。
騒然たる空気の中、(新)日米安保条約は自然成立しますが、混乱の責任をとって岸は首相を辞任しました。岸の孫(娘の子)である安倍晋三(現首相)は、「アンポ、反対!」とデモ隊をマネて、祖父を苦笑させたといいます
岸内閣が「中央突破」で辞任に追い込まれたことは、自民党内の対米従属派を勢いづかせました。
・対米従属派(宏池会)…池田勇人→大平正芳→宮澤喜一あたりまで
・自主防衛派(清和会)…岸信介→福田赳夫→小泉純一郎→安倍晋三
更新:11月22日 00:05