2019年06月28日 公開
2019年06月28日 更新
悶々としていると1年後の夏、新疆ウイグル自治区当局から突然電話があった。ウマルの周辺の在日ウイグル人の名前を挙げて、彼らの日ごろの人間関係や言動の監視に協力するように、との依頼だった。当然、無視した。間もなく、収容中の父親のビデオメッセージがSNSを通じて送られてきた。
スマートフォンで撮ったと思われるビデオのなかで、父親は「私は元気にしています。中国政府は素晴らしい。息子よ、中国政府に協力してください」とウイグル語で訴えた。
「ムスリムの誇りである髭を剃られていました。げっそりと痩せて、焦点の定まらないうつろな目をして。声も、まるで原稿を読まされているようでしょう」とウマルは、スマートフォンでその映像を私に見せた。
「ここを見てください。監視カメラがあります」とビデオ映像に映る父親の背後のカメラを指さした。冷静に話し続けていたウマルの声は、このときだけ、震えた。
中国新疆当局は"スパイになれ"という要請を断ろうとするウマルに対し、父親を人質に取っていることを見せつけたのだ。父親がどうなっても知らないぞ、と。
「私はこの日を境に、自分のSNSから家族のアカウントをすべて消し去り、故郷の家族とは一切の連絡を絶ちました。こういうメッセージをまた受け続ければ、同胞を裏切ってしまう、と思ったから」
「父はこれで殺されるかもしれないし、もう殺されているかもしれないが、自分や家族を守るためにウイグル人の仲間を売ることはできません。父ならわかってくれると思いました」
と、当時の苦渋の決断を振り返った。
テロや迫害と無縁と思われる平和国家日本で、日本国籍を取得し、日本人として日本に馴染んで暮らしているとしても、ウイグルの血をもつというだけで、父親の命を盾に中国当局の魔の手が伸びてくるのだと思い知らされた。
「自分の家族だけを守って、自分たちだけ安全に生活していくわけにはいかない、と思いました。ウイグル人として自分にできることはしなければ」という。
そうして彼は在日ウイグル人同士、また米国や他国のウイグル人と連携し、中国当局のウイグル人弾圧に関する詳細な情報を集め、日本メディア関係者に報道してくれるようにとアプローチし始めた。
私はその後、ウマルの紹介で、東京およびその近郊の大学に通う留学生や都内で働くウイグル人たちにインタビューを続けた。多くが中国国籍のウイグル人たちだ。
ウマルの呼び掛けで2週間後、都内のとある会議室に学生らに集合してもらったところ、8人が参加してくれた。うち1人は関西の地方大学に在籍中で、直接来られないが、それでも自分の境遇を訴えたい、とビデオチャットでの参加だった。彼ら全員、家族の複数が再教育施設に囚われていた。
皆、少し怯えたような表情をしてお互いの顔色を窺っていた。比較的近くに暮らしていても、同じ大学にいてもお互いの顔を知らない人もいる。
「ウイグル人学生同士でも、あまり付き合わないんです。中国当局と通じているスパイかもしれない、と疑ってしまうから」
私は個人が特定できないよう最大限配慮すると約束し、彼らの写真も撮らなかった。故郷もあえて聞かず、名前も失礼を承知ながら、まったく違う欧米人風の仮名にした。
ウイグル人仮名にしてしまうと、偶然同じ名前のウイグル人留学生がいた場合、迷惑が掛かるかもしれないからだ。
彼らが日本を留学先に選んだ理由はおおむね共通している。小さいころからテレビアニメや漫画を通じて日本に憧れをもっていること。日本語は文法がウイグル語に似ていて、ウイグル人にとって比較的学びやすい言語であること。あと、いちばん距離的に近い自由主義社会の先進国であることも関係している。
だが日本に留学するには、相当の資金力が必要だ。一族に裕福なビジネスマンや官僚がいて、なおかつ頭脳優秀な選ばれしエリートが多い。奨学金を受けている人も少なくない。
女子学生が2人参加していたが、ベールもかぶっていないし、体の線の出たジーンズファッションだ。
「信仰が特別深いというわけでもないです。家族が再教育施設に収容される前は、漢族の友達もいました。民族なんかこだわらないと思っていました。だから、まさか自分や自分の家族が、当局から要注意人物扱いされるなんて思いもしなかった」
と、その女子留学生エリー(仮名)がいった。
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更新:11月25日 00:05