2019年06月21日 公開
2021年07月29日 更新
(写真撮影:福島香織)
<<収容者数100万人といわれ、米国務省がいま世界的な人権問題として警鐘を鳴らすウイグル人の強制収容。中国はなぜ彼らを恐れるのか?
ジャーナリストの福島香織氏が上梓した『ウイグル人に何が起きているのか』(PHP新書)では、自身が現地へ潜入し、現地ルポとウイグル人へのインタビューを通して「監獄社会」化する同地の異様な全貌を明らかにしている。本稿ではその一節を紹介する。>>
※本稿は『ウイグル人に何が起きているのか 民族迫害の起源と現在』(PHP新書)より一部抜粋・編集したものです。
カシュガル(新疆<しんきょう>ウイグル自治区カシュガル市)を最初に訪れたのはいつだったか。2019年5月9日、あらためて思い返してみると、成都経由の四川航空でカシュガル空港に初めて降り立ったときからすでに20年近くたっていた。
当たり前のことかもしれないが、昔の記憶のなかの町の面影は完全に失われていた。
1999年の7月、上海での業務留学期間を終えて記者業復帰までに若干の休みがあり、両親がシルクロードに行ってみたい、と言い出したこともあり、10年ぶりくらいに親子旅行に出掛けたのだ。
このときウルムチ、トルファン、カシュガルなどを、私が覚えたての中国語で案内した。
お膳立てされたツアーではなく、私流のいつもの自由旅行のやり方で還暦を過ぎた両親を炎天下の新疆地域で引っ張り回したので、父はあとあとまで「大変な旅行だった。あんな旅行は二度とごめんだ」と思い出しては笑っていた。その父は亡くなっている。
当時は私も新疆の政治情勢には疎く、中国に対しての理解も深くなかった。いま思えば、グルジャ事件の翌々年で現地は緊張していたはずだ。だが印象に残っているのは強烈な日差しと、砂埃のなかで日干し煉瓦の建物のあいだの隘路を、お尻に脂肪をため込んだ薄汚れた羊がひしめいている光景だった。あのころは町中にも羊がいて、羊のにおいが立ち込めてい
た。
その羊の脂っこいシシカバブや、ポロと呼ばれるウイグル風ピラフはじつに美味だった。
中国語も通じないし、漢族もほとんど見掛けない。女性はスカーフに長いウイグル風のスカートを着ている人が多かったし、男性はほとんど四角い独特のウイグル帽をかぶっていた。
私よりも下手な中国語を話す運転手は、気さくで親切でいい加減で、少々小狡るいところがあった。だが、みんな陽気であった。どこから見てもそこは中国ではなく、「異国」だった。
約20年たって再び訪れたカシュガルは、完全に中国の町になっていた。観光客はほぼ100%漢族だ。タクシー運転手にも中国語が普通に通じる。
20年前は、中国語が通じないことが当たり前だった。
空港の乗り合いタクシーに15元支払って、旧市街に入る。
羊がすっかりいなくなっていた。代わりに、警官がやたら増えていた。20年前は、町中で警官の姿はそんなになかった。
町は綺麗に整備され、拡大され、立派な観光都市になっていた。漢族も増えていた。ウイグル人7に対して、漢族3といった割合だろうか。至るところに共産党の標語、スローガンの垂れ幕が貼ってある。「有黒掃黒、有悪除悪、有乱治乱」「民族団結一家親」……。
次のページ
ホテルの出入口でX線と金属探知ゲートのチェック >
更新:11月21日 00:05