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岩手の地酒「南部美人」がアメリカ人を驚かせた理由

2019年06月19日 公開
2023年02月15日 更新

早坂隆(ノンフィクション作家)

 

二戸から岩手へ。岩手から日本、そして世界の「SAKE」へ

そんな久慈さんが目を向けたのが、世界の市場であった。

平成9(1997)年、久慈さんは他の蔵元たちと協力して、日本酒輸出協会を設立。同協会の目的は、蔵元自らが海外へと赴き、日本酒に関する普及活動を行うことだった。

「三代目である祖父が二戸の南部美人を岩手の南部美人にした。四代目である父が岩手の南部美人を日本の南部美人にした。それでは私ができることは何か。私は日本の南部美人を世界の南部美人にしたいと思いました」

しかし、周囲からは、「蔵元が世界に日本酒を持って行って売る? 何を考えているんだ? そもそも生魚も食べられない外国人に、日本酒の味なんてわかるわけがない」といった反対の声があがった。

しかも、1990年代後半、日本酒は全国的な「地酒ブーム」の中にあり、南部美人も東京や大阪への出荷が増えて、ただでさえ多忙な時期だった。

そんな中、わざわざ海外に出ることに懸念を示す意見が大半を占めたのは、当然のことだったとも言える。それでも久慈さんは、果敢にアメリカへと渡った。久慈さんはこう考えていた。

「海外に進出するのは今のためじゃない。将来のために行くんだ」久慈さんはこう語る。

「誰かが何もない野原に道を拓かないと、いつまで経っても歩道はできないし、アスファルトの道路にもならない。ましてや、日本の人口は減っていくのだから、未来を考えて道を拓いておかなければ日本酒に未来はない。そんな思いでした」

当時は国の補助なども全くなかったが、同協会はニューヨークで日本酒に関するセミナーや試飲会を開催。この時のアメリカ人たちからの反応は、驚くほど良いものだった。

「いつも飲んでいる日本酒と全然違う。どうしてだ?」久慈さんは確かな手応えを感じた。

「これまで君たちが飲んでいた日本酒なんて偽物だ。これが本当の日本酒だよ」

当時、アメリカに流通していた日本酒は、カリフォルニアなどで造られたコストの安いものが大半だった。増醸酒という苦難の時代を乗り越え、それぞれの酒蔵で工夫と研鑽を積み重ねてきた本物の日本酒とは、酒造技術に雲泥の差があった。

(これはいける。勝負できる)久慈さんはそう感じた。一滴にまで心を砕いた雑味のない日本酒の味わいと香りが、ニューヨーカーたちの心を摑んだ。

そして、反響はニューヨークからボストン、シカゴへと広がり、やがては世界各地へと伝わっていった。久慈さんはその後も日本酒の普及のため、世界中を飛び回った。

進出当初には、試飲会は盛況でも実際の販売数が伸び悩む時期もあった。しかし、飲食店を一軒一軒回るといった地道な営業活動を継続した結果、着実に販路は拡大していった。

平成22(2010)年、経済産業省製造産業局に「クールジャパン室」が開設され、「クールジャパン戦略」が打ち出されると、日本酒の輸出はいよいよ加速した。

すなわち、民間の力によって切り拓かれた可能性が、国の後押しを得るまでに至ったのである。

平成25(2013)年には、「和食(日本人の伝統的な食文化)」がユネスコ無形文化遺産に登録され、これも大きな追い風となった。

「和食は世界三大料理になれるだけの可能性を秘めています。その際、美味しい本物の日本酒は欠かせない存在となります」

現在、南部美人は「サザンビューティー」の名称で、実に世界二八カ国で親しまれている。アメリカやヨーロッパはもちろん、アラブ首長国連邦といった中東地域でも高い人気を誇り、エミレーツ航空の国際線の機内酒にも採用されている。

世界的な認証である「モンドセレクション」では八年連続で金賞以上を受賞。南部杜氏のこだわりは、世界を席巻したのである。

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