2019年04月28日 公開
2024年12月16日 更新
<<デジタライゼーションは加速的に進展し、やがてAIの頭脳労働をも代替するだろうとも予測される現代でも、日本の職人の手による甲冑や陶器、酒といった、極めてフィジカルな存在が人びとを惹き付けてやまない事実もある。
ノンフィクション作家の早坂隆氏が発表した著書『現代の職人 質を極める生き方、働き方』では、そんな全国の匠たちを訪ね、現場の熱量と物づくりにかける職人の思いを伝えている。
本稿では、同書より日本に2人だけの「魔鏡」の作り手である京都の和鏡師・山本晃久氏を取材した一説を紹介する。>>
※本稿は早坂隆著『現代の職人 質を極める生き方、働き方』より一部抜粋・編集したものです。
薄闇の中、その円形の鏡に光が当てられる。
反射光が白いスクリーンに投影される。当然、そこに照らされるべきは、光の円のはずである。ところが、目の前の光景は、想定されるものと大きく異なっている。
光の円の中に、一体の像が浮かび上がっているのである。その像の正体は、凝視するべくもなく容易に認識できる。その像とは、十字架に磔(はりつけ)にされたキリストの姿であった。淡い神秘的な輪郭の出現に思わず息を呑む。
神々しい光とは、まさにこのことか。
生まれて初めて味わう衝撃であった。
鏡面には何の細工も見られず、普通の鏡と何も変わらない。どの角度から鏡面を覗き込んでも、見慣れた自分の顔が映るだけで、キリスト像などどこにも見当たらない。
鏡を裏返して背面を確認しても、そこには松や鶴の模様が描かれているのみである。すなわち、外見上は一般的な鏡と全く同様である。
このような鏡のことを「魔鏡」と呼ぶ。
映し出される文様は、キリスト像の他、仏像や経文が浮かび上がるものもある。世界的に見ても、このような鏡は極めて珍しい。この魔鏡を制作したのは、京都府に住む山本晃久(あきひさ)さんという和鏡師である。
「古くからの製法によって魔鏡を作ることができるのは、現在では私と私の父親だけだと思います。日本で二人という状況になるでしょうか。このままいくと、自分が最後になってしまうかもしれません」
魔鏡は銅鏡の一種である。銅と錫(すず)の合金から作られる銅鏡は、弥生時代には中国大陸から日本に伝わっていたとされる。日本神話における三種の神器の一つが八咫(やた)の鏡であることは言うまでもない。
そんな中、魔鏡も古くから日本に存在した。近年の研究によれば、古墳時代に作られた三角縁神獣鏡も魔鏡であったとされる。邪馬台国の卑弥呼も、この魔鏡の作用を使って自らの権威を高めたのであろう。
古来、銅鏡の中でもとりわけ魔鏡は、呪術的な場面で使用されたに違いない。権力の象徴であったとも考えられる。
銅鏡の歴史において、背面に日本独特の文様をあしらった「和鏡」が作られるようになったのは平安時代だと言われる。平安貴族の化粧道具として、和鏡は定着した。
その制作の中心地は京都であった。その後、銅の生産量が増えたこともあり、和鏡は徐々に庶民の手にまで渡るようになった。柄の付いた柄鏡が広まったのは、室町時代以降である。
江戸時代にはあることが契機となり、魔鏡の需要がにわかに高まった。その契機とは、キリスト教を禁制扱いとする禁教令である。キリスト教が邪宗門として禁じられる中で、隠れキリシタンたちが手にしたのが魔鏡であった。
反射光を壁に当てると十字架やマリア像などが浮かび上がる「切支丹魔鏡」の誕生である。弾圧下、信徒たちはこの魔鏡を使い、自らの信仰を繋げた。悲痛なる祈りの中に魔鏡はあった。
無論、作り手の和鏡師たちも、自らの生命を危険に晒しながら制作したのであろう。
更新:12月21日 00:05