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なぜいま、天皇だけが「エンペラー」なのか

2018年10月18日 公開
2022年12月15日 更新

倉山満(憲政史研究家)

「皇帝のインフレ」が起きていた

「長い19世紀」を見渡すと、なんと、「皇帝のインフレ」が起きていました。ただし、この項でいう「皇帝」は厳密な意味での皇帝ではありません。エンペラーを皇帝と訳した感覚の「皇帝」を使っていると思ってください。

古代ローマ帝国に1人しかいなかった皇帝が、1815年にナポレオン戦争が終わってみると皇帝がここにもそこにもあそこにもいるという状態です。もちろん、1815年に一気に皇帝が増えたわけではありません。

皇帝のインフレに至るまでを大きな流れで確認しておきます。

オクタビアヌスが初代ローマ帝国の皇帝になったのは紀元前27年です。それから395年にローマ帝国が東西分裂するまでは、皇帝はローマ皇帝ただ1人でした。

395年以降、東ローマ帝国と西ローマ帝国にそれぞれ皇帝がいて、皇帝はすでに2人になっています。

その後、東ローマ皇帝のほうは紆余曲折の末にロシア皇帝が名乗ることになり、西ローマ皇帝のほうを神聖ローマ皇帝が継ぎ、皇帝が2人いる状態は18世紀のナポレオン戦争のときまで続きました。

ローマ帝国の分裂からナポレオンの登場まで、およそ1400年間は皇帝が2人いて、あとは皆、キングもしくはクイーンという状態だったわけです。時々、ブルガリアが皇帝を名乗ったりしましたが、一時的な例外です。

その状況を大きく変えたのが、ナポレオンでした。

ナポレオンによって、神聖ローマ皇帝だったフランツ2世が退位させられ、神聖ローマ帝国ごとお取り潰しの憂き目に遭います。ところが、ナポレオンは退位させたフランツ2世にオーストリア帝国を作らせ、フランツ2世を皇帝に就けました。

フランツ2世はオーストリア皇帝となって、フランツ1世を名乗ります。皇帝の数の増減だけを見ればプラスマイナスゼロですから、皇帝は2人のままです。

このあと、ナポレオン自身が皇帝になってしまいます。フランス共和国の皇帝です。皇帝が1人増え、皇帝は合計3人になりました。

もっとも、ナポレオンは皇帝にはなったとはいうものの、ずっと皇帝でありつづけたわけではなく、泡沫よろしく浮かんでは消えした皇帝です。

ドイツにも皇帝が誕生しました。ドイツと呼ばれる地方にはプロイセン、ザクセン、バイエルン、そのほかあまたの諸侯がいてバラバラでした。それを1つにまとめようとオーストリアとプロイセンが戦いました。

プロイセンが勝ち、諸侯をまとめてドイツ帝国が誕生します。勝ったプロイセン国王がほかの王を束ねます。王を束ねるのはエンペラーですから、プロイセン国王がドイツ皇帝を兼任しました。これで皇帝は4人です。

ナポレオン(1世)や彼の甥であるナポレオン3世が皇帝になるものの途中で消えますから、皇帝はオーストリア、ロシア、ドイツの実質3人です。

そこへ「皇帝」として新たに加わったのがヴィクトリア女王です。1858年にイギリスはインドのムガール帝国を滅ぼし、イギリス領インドを成立させます。そして1877年にインド帝国が成立するとヴィクトリア女王がインド皇帝を兼ねました。

インド皇帝の地位は、ときのイギリス首相ディズレーリからヴィクトリア女王へのプレゼントみたいなものでした。

当時、最愛の夫アルバート公を亡くしてヴィクトリア女王が寂しそうだったので、ディズレーリ首相が女王を喜ばせようと「こんなものが落ちていたので」とインド皇帝の冠を贈ったのです。「落ちていた」というけれど、落とさせたのはどこの誰だか……。

イギリスの君主でさえ、エンペラーになったのは1877年でのことでした。

インドの皇帝(パーディシャー)をエンペラーとして数えるのであれば、ペルシャ、オスマン・トルコ、中華、エチオピアなどの君主たちもエンペラーではないかということになり、エンペラーは1人であるという前提が崩れ、かくして「皇帝のインフレ」が出来したというわけです。もちろん、日本の天皇もエンペラーだとされました。

ブルガリア皇帝なども一応、皇帝は皇帝です。かつてブルガリアの最盛期を作った王シメオン1世(在位893年ー927年)などはいきなりビザンチン帝国(=東ローマ帝国)の都コンスタンチノープルに乗り込んでいって勝手に自分で皇帝を名乗り、名刺代わりに戴冠式を行いました(詳細は小著『世界大戦と危険な半島』KKベストセラーズ、2015年を参照してください)。

そんなシメオン1世の伝統を持つブルガリアも皇帝を名乗ることとなります。

もう一度、皇帝とされた君主を数えてみると、オーストリア、ロシア、ほんの一瞬フランス、ドイツ、イギリス(インド)、ペルシャ、トルコ、清、日本、エチオピア、ベトナムもそうです。

一番多くいるときで11人くらいでしょうか。これはやはり「皇帝のインフレ」といわざるをえない。そういえば、大韓皇帝もいました。まさに悪性インフレです。

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