2017年08月07日 公開
2023年01月11日 更新
本稿は『Voice』2017年9月号、石平氏の「儒教の」を一部、抜粋したものです)
漢王朝の時代から現代に至るまで、中国周辺の民族や国々に大きな災いをもたらした「儒教の毒」がある。それはすなわち、悪名高い「中華思想」というものである。
中華思想とは要するに、中国の王朝と皇帝をこの世界の唯一の支配者とし、中国の文明はこの世界の唯一の文明だと自任する一方、周辺の民族は皆野蛮人であるから、中国の王朝と皇帝に服従し中国文明の「教化」を受けなければならない、という考えである。
現代社会のわれわれの価値観からすれば、このような自己中的な考え方はあまりにも荒唐無稽であるが、中国人自身は昔から、真剣にそう思っているのである。そして、このような荒唐無稽の「中華思想」の源は、やはり儒教である。
たとえば『論語 八佾第三』には、孔子の次のような言葉が載せられている。
「子曰く、夷狄の君有るは、諸夏の亡きに如かず」
現代の日本語に訳せば、「野蛮人の国にいくら君主があったとしても、中国に君主が無い状態にも及ばない。」となるが、周辺の国々を徹底的に貶める一方、というよりも周辺の国々を徹底的に貶めることによって中国を持ち上げるという言い方である。
孔子の発したこの言葉はまさに中華思想そのものであり、中華思想の発祥ともいうべきものであろう。
孔子は、ここで周辺の国々や民族のことを「夷狄」という差別的蔑称で呼んでいるが、実は中国では古来より周辺の諸民族を「夷蛮戎狄」と呼んでいて、獣同然の野蛮人だと見なしている。
そして、「夷蛮戎狄」という立派な差別用語の出典は、『論語』と並んで儒教の聖なる経典の一つとされている『礼記』にあるのである。
周辺民族を徹底的に差別して中国の「独尊」を唱える中華思想は、こうして儒教から生まれていることは明々白々であるが、このような思想からさらに生まれてくるのは、すなわち中国伝統の覇権主義的侵略政策である。
周辺の国々は野蛮民族である以上、中華帝国が彼らを支配して「教化」していくのはむしろ当然のことだとされてしまう。
獣同然の野蛮人は「領土」や「主権」をもつことなど最初から論外であって、中国の皇帝は世界の唯一の支配者であるから、中華帝国は自らの領土をどこまで広げていっても自由だし、どこかの国を占領するのもまったくの勝手である。それは「占領」でもなければ「侵略」でもないのである。
更新:11月21日 00:05