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篠田英朗 地政学から見る「トランプ・ドクトリン」

2017年04月19日 公開
2023年02月22日 更新

篠田英朗(東京外国語大学教授)

マッキンダー理論の修正

 地政学の存在を世界に知らしめた古典的論文は、ハルフォード・マッキンダーの「歴史の地理学的な回転軸」(1904年)である。歴史に回転軸があるという壮大なテーゼは、ユーラシア大陸の地理的環境の観察から生まれている。マッキンダーは、ユーラシア大陸とアフリカ大陸を合わせて「世界島」と呼ぶ。この「世界島」としてのユーラシア大陸の中央部は、「ハートランド(中心地帯)」と呼ばれる。ロシアに代表されるハートランドは、外界からの侵入者を遮断する閉ざされた場所としての性格ももっている。具体的には、ハートランドの背後には北極の無人地域があり、人間の交通路がない。ハートランドを流れる河川は、ことごとく北極海側に流れ込み、大海とはつながっていない。そしてゴビ砂漠の存在は、ハートランドの遮断性をさらに高める。

 ただしヨーロッパ・ロシアから東欧にかけて広がる大平原だけは、ハートランドとヨーロッパを結ぶ広大な交通路となりうる。歴史上、この大草原の舞台では、色とりどりな遊牧民族が世界島の支配を狙ってうごめいた。

 ハートランドの東側、南側、および西側には、大きな半円弧の形をした諸地域があり、それは海上交通路に開かれている地域である。温暖多湿な気候のユーラシア大陸外周部分は、「インナー・クレセント(内側あるいは縁辺の半円弧)」と呼ばれる。そのさらに外側には、イギリス、日本、そして巨大な島としてのアメリカやカナダ、オーストラリアが構成する「アウター・クレセント(外側あるいは島嶼性の半円弧)」がある。

 マッキンダーは、大陸中央部のハートランドは「陸上国家(ランド・パワー)」、外側のアウター・クレセントは「海洋国家(シー・パワー)」の領域だと規定した。この地理的制約を受けた二つの大きな勢力のあいだのせめぎ合いこそが、マッキンダーが世界政治の基本構造として観察した19世紀の「グレート・ゲーム」を形成したものであり、マッキンダーの死後の20世紀後半の「冷戦」を形成したものである。

 マッキンダーは、ハートランドの陸上国家は歴史法則的に海洋を求めて膨張し、海洋国家群は、陸上国家に対抗して抑え込む政策を取っていかざるをえない、という洞察を提示した。そのようにハートランドを回転軸にして、歴史は動く、というのがマッキンダー理論であった。

 なおマッキンダーによれば、フランス、イタリア、エジプト、インド、朝鮮半島などは、有力な「橋頭堡」と呼ぶべき存在だ。海洋国家群は、海それ自体を全面的に支配するわけではない。橋頭堡と基地を押さえることによって初めて、海洋における覇権を確保し、大陸諸国を牽制するための足掛かりももつことができる。海洋国家群にとっては、回転軸となる国家に有利な地位を与えないようにすることが外交政策の指針になる。たとえば、ドイツとロシアの合体を阻止することなどが至上命題になる。

 実際には、ナポレオン戦争、第1次世界大戦、第2次世界大戦と、世界的な規模の戦争が起こる際には、陸上国家であるロシアと海洋国家であるイギリス(そしてアメリカ)が同盟関係を結んだ。あるいはそのような同盟が形成されたため、世界的規模の戦争が生まれた。これはヨーロッパ大陸に覇権を狙う国が現れた際、ハートランドのロシアと海洋国家のイギリスが平時の対立構造を停止して手を結び、共同で対処することもまた、半ば法則として観察できることを意味する。

 マッキンダーは1919年の著作『デモクラシーの理想と現実』で、海洋国家連合が封じ込めなければならない最大の脅威としてドイツを描写した。ドイツが陸上国家の代表者として、海洋国家連合の標的となったのは、ドイツがハートランドとヨーロッパをつなぐ大平原地帯の征服を目論んだからである。逆にいえば、ドイツなどの陸上国家が覇権的な地位を獲得するのを防ぐためには、ハートランドとヨーロッパを結ぶ地域の制覇を防ぐことが必要になる。そこでマッキンダー地政学を象徴する有名なテーゼが生まれることになる。

「東欧を支配する者はハートランドを制し、ハートランドを支配する者は世界島を制し、世界島を支配する者は世界を制する」

 このあまりにも有名なテーゼは、第1次世界大戦が何だったのかを説明するために、マッキンダーによって述べられたものだった。しかしその後は、第2次世界大戦のヒトラーの野望を説明するために、戦後のスターリンの野望を説明するために、そして両者の野望を打ち砕く決意を定めたチャーチルやトルーマンら自由主義陣営の指導者層の判断を説明するために、引用されてきた。20世紀の世界大戦と冷戦は、東欧をめぐって開始され、東欧において終結した。

 かつて高坂正堯は、1967年の論文「地政学者マッキンダーに見る二十世紀前半の権力政治」で、マッキンダーを高く評価した。しかし第1次世界大戦後に生まれた東欧諸国を「緩衝地帯」として機能すると期待したことは、間違いであったと断じた。そしてマッキンダーの地政学が、全体としてヨーロッパ中心主義の限界を内包していたと論じた。

 たしかにマッキンダー理論は、今日でも依然としてウクライナ問題のようなヨーロッパ大陸部分を見る際に非常に有効であろうが、ヨーロッパを超えた地域を見る際には相対化されなければならない。ただその限界は、20世紀前半の段階で、すでに他の地政学理論家によって強く認識されていた。

 アメリカでは、ニコラス・スパイクマンが登場し、海洋国家と陸上国家が対峙する見取り図をマッキンダーから継承しつつ、東欧だけではなく、「リムランド」と言い換えられたユーラシア大陸外周部分の帰趨が、世界政治の動向を決定付ける、という洞察を提示した。アメリカ人によるマッキンダー理論の修正であったといってよい。

 アングロ・サクソン諸国の標準ドクトリンは、マッキンダー/スパイクマンである。もっとも20世紀前半までのアメリカは、アルフレッド・マハンの「海を制する者が世界を制する」というドクトリンの影響で、海洋国家間の覇権争いにもそうとうな注意を払っていた。しかし冷戦勃発期のトルーマン・ドクトリンにおいて、海洋国家連合の盟主がアメリカであることは、絶対不変の原則として確立された。そこでリムランドの帰趨に絶大な注意を払う、マッキンダー/スパイクマンに近いアメリカ外交の時代が始まった。

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著者紹介

篠田英朗(しのだ・ひであき)

東京外国語大学教授

1968年、神奈川県生まれ。ロンドン大学大学院修了(国際関係学Ph.D.)。ケンブリッジ大学、コロンビア大学客員研究員を歴任。広島大学平和科学研究センター准教授などを経て、現職。著書に『「国家主権」という思想』(勁草書房、2012年、サントリー学芸賞)、『集団的自衛権の思想史』(風行社、2016年、読売・吉野作造賞)、『ほんとうの憲法』(ちくま新書、2017年)など多数。

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