2017年03月01日 公開
2024年12月16日 更新
ついにドナルド・トランプ政権が発足した。限られた情報を基に、すでに彼について多くのことが語られてきた。これからは、さらに多くが語られる。そこで本稿では、トランプとハリウッド、映画という観点から、アメリカの政治と社会の変化、日米関係の今後について検討してみたい。民主主義と映画は、年の離れた兄弟だからである。どちらもイメージを操作し、大衆の支持を必要とし、ストーリーがなくてはならない。映画ほどアメリカ的な文化形態はない。
アメリカ政治と映画といえば、まず想起されるのがロナルド・レーガン大統領であろう。ハリウッドからホワイトハウスに至った、いまのところ唯一の「銀幕の大統領」である。トランプとレーガンの類似性を語る声も少なくない。 2人とも、その政治手腕を疑問視され、強い批判や嫌悪にさらされながら、メディアを巧みに活用してきた。そもそも、「アメリカを再び偉大にしよう」という、選挙戦でのトランプのキャッチフレーズは、1980年の大統領選挙でのレーガンのそれを借用したものである。
さらにいえば、レーガンは史上初の離婚歴のある大統領だったが、トランプはその記録を更新した(レーガンの離婚歴は1回、トランプはいまのところ2回)。また、レーガンが就任時に69歳と史上最高齢の大統領だったが、ここでもトランプは70歳と記録を更新した。また、2人とも共和党の大統領だが、かつて民主党員だったことがある(トランプは政党所属をたびたび変更してきた)。
もちろん、比較を通じて、何事にも共通点と相違点が指摘できる。要は重点の置き方である。だが、筆者は2人のあいだにより大きな相違点を感じている。
まず、たしかにレーガンは政治家として過小評価されてきたが、大統領就任に先立って1967~75年にカリフォルニア州知事を2期8年務めている。当時、すでにカリフォルニアは全米最大の1900万人の人口を擁し、もし独立国なら経済規模では世界6位に位置していた。つまり、イタリアやスペインの経済規模を凌ぐのである。同じ州知事経験者でも、ジョージア州知事を一期務めただけのジミー・カーターとは違った。もちろん、いっさい行政経験をもたないトランプとも大違いである。
また、レーガンは共産主義や「大きな政府」といった抽象概念を攻撃したし、政敵カーターの政策を厳しく批判した。だが、彼が特定の個人を攻撃することはほとんどなかった。「おまえはクビだ!」とは、テレビのリアリティ番組(事前に台本や演出のない、素人が登場する番組)でのトランプの決め科白だが、レーガンは滅多に激昂することはなく、閣僚をはじめとする部下を解任することにも至って消極的だった。人びとの憎しみを煽る政治スタイルでは、同じ共和党でもトランプはレーガンよりもリチャード・ニクソンにはるかに似ている。
さらに、レーガンを当選に導いたのは、カリフォルニアをはじめとするサンベルトであった。軍需産業やエンターテインメント産業、ハイテク企業で、この地域は活況を呈していた。マサチューセッツからイリノイにかけてのラストベルト(錆び付いた工業地帯)から、人口も経済もサンベルトに移行していた。他方、トランプを勝利に誘ったのは、このラストベルトで取り残された白人労働者層の焦りと怒りであった。
レーガンは保守的なイデオローグと思われたが、大統領に当選すると、実務型のジェームズ・ベーカーを大統領首席補佐官に据えた。そのため、レーガンのホワイトハウスでは、実務派とイデオロギー派の「内戦」が続いた。前者が主導権を握れたのは、ナンシー・レーガン夫人の尽力によるところが大きい。彼女はイデオロギーではなく、夫の成功にしか関心がなかったからである。
トランプも、共和党主流派からラインス・プリーバスを首席補佐官に起用している。だが同時に、保守派のスティーブン・バノンが上級顧問に迎えられている。トランプのホワイトハウスには、はたしてナンシーのような存在がいるであろうか。
更新:12月22日 00:05