2017年03月01日 公開
2022年07月08日 更新
残念ながら、ハリウッド映画は日米関係については多くを語ってくれない。いや、その沈黙こそが雄弁に何かを物語っているのであろう。
そこで、日本の最近の大ヒット作、庵野秀明総監督『シン・ゴジラ』(2016年)について一言しておこう。周知のように、この作品では、天然災害や原子力発電所の事故を象徴するゴジラに対処するに当たって、日本の政治的リーダーシップの欠如や官僚機構の弊害が詳細に描かれている。これまでのゴジラ作品にはない魅力である。
だが、だからこそいっそう目立つのは、そのあまりにも皮相な日米関係の描写であった。日本の首相はアメリカ大統領に電話で唯々諾々とするばかりで、アメリカ政府は石原さとみ演じる日系の若い女性1人を大統領特使として東京に送り込み、あれこれと指図しようとする。つまり、日本政府の対米追随とアメリカの傲慢、身勝手が、これでもかというほど誇張されている。本多猪四郎監督『ゴジラ』(1954年)が1人のアメリカ人も登場させずに、アメリカによる原子爆弾投下や核実験を無言によって雄弁に批判したのとは、大きな懸隔がある。
トランプ政権下の日米関係がどうなっていくかはまったく予断を許さないが、日本政府の対米従属を嘆き、アメリカの傲慢、身勝手にため息をつくのではなく、われわれは何を求め、何をなすべきかという主体的な問いと取り組みが必要であることは間違いない。
さて、トランプ大統領のお気に入りの映画は、オーソン・ウェルズ監督・主演『市民ケーン』(1941年)だという。さもありなん、と筆者は思う。主人公のチャールズ・ケーンは莫大な遺産を相続し、自己顕示欲の塊となって、自分の経営する新聞を使って世論を誘導することも辞さない。彼は一部の者に熱狂的に崇拝されながら、多くの人びとに独裁者、民衆の敵と唾棄されてきた。そして、巨万の富を投じてフロリダに造った「ザナドゥー」という豪邸で孤独に死んでいく。離婚歴もあり、知事選に出馬した際は、現職の知事に向かって、自分が当選すれば特別検察官を起用して汚職の罪で逮捕してやると威嚇する。何から何までトランプそっくりなのである。
このケーンが死に際に残した謎の言葉が、「薔薇の蕾」であった。新聞記者がこの謎の言葉の意味を明らかにしようと、物語は進む。ついに件の記者は謎を突き止められない。ケーンは愛する母親と一緒に暮らしていた少年時代に、雪橇で遊ぶのが楽しみだった。その雪橇に付いていたマークこそ、「薔薇の蕾」だったのである。
これから少なくとも4年間、アメリカも日本も、そして世界も、トランプにとっての「薔薇の蕾」とは何なのかを探し続けることになる。
更新:11月22日 00:05