2016年03月31日 公開
2022年12月19日 更新
2015年は、海外で多くの日本人がテロの犠牲になった1年であった。そして今年に入っても、多くの日本企業や旅行者が頻繁に訪れ、これまで安全とされてきたトルコやインドネシアなどでもテロが続発している。5月には伊勢志摩サミットが開催され、4年後には東京五輪が控えるということもあり、これからの日本はかつてないほどのレベルでテロの脅威に晒されていくことになるだろう。
そんななかで、現在もっとも危惧される第1が、これから海外に出ていく日本の企業戦士らの安全確保だ。なかでも、武器輸出三原則の緩和で可能となった防衛装備品輸出や資源関係、インフラ輸出分野はリスクが高く、これらに関わるビジネスマンは、とくに注意が必要だろう。
巨額の利益を生み出す武器ビジネスは、各国の利権でもある。武器輸出業界は、米ロッキード・マーチンや英BAEシステムズ(以下、BAE社)などの米英系巨大企業が上位を占め、他にもロシアやフランス、ドイツ、中国などの大企業が続いている。これらの国々はいずれも強力な諜報機関を有しており、自国企業による巨額ビジネスを成功に導くため、官民共同でさまざまな「秘密工作」を行なっている。
たとえば英BAE社は、過去にサウジアラビアにトルネード戦闘機などの英国製兵器を販売し、サウジ政府はそれらの支払いを原油で行なっていたが、『ロンドン・タイムズ』(2007年6月27日付)によると、その原油はまず石油メジャーのBPやシェルに流れ、そこで換金されたあと、同社がサウジ政府のために設置したイングランド銀行の秘密口座を経由してBAE社に支払われていたという。
この秘密口座経由で支払われた金額は、22年間で合計430億ポンドに上るが、うち10億ポンド以上が、英国防省による署名付きで、サウジ諜報機関のボスであったバンダル王子に対して支払われている。ちなみに、BAE社がサウジやタンザニア、南アフリカなどで行なった過去の兵器ビジネスでは、賄賂なしに成立した取引はほとんどないとさえいわれている(『ディフェンス・インダストリー・デイリー』2013年1月20日付)。
つまり、石油利権や金融機関が絡み、巨額の賄賂や裏工作なしでは動かないこの種の武器取引は、マフィアのビジネスに酷似する業界構造をもっており、すでにかなり成熟した各国の「シマ」に分かれているわけだが、日本企業がその現実を知らずに、最先端テクノロジーときめ細かいお客さまサービスだけを武器にして、丸裸のままでそんな相手の「シマ」に乗り込んでいくことは、じつは非常にリスクの高い冒険なのだということを認識する必要がある。また、経済成長の牽引力として日本政府が本腰を入れている「インフラ輸出」でも同様の「シマ」が存在する。
たとえば、2015年11月のパリのテロ事件の直後に発生した、アフリカ・マリのホテルに対するテロリスト襲撃事件では、中国の国営大手鉄道会社の社長らが殺害されたが、彼らは同国政府から「兆単位の巨大鉄道プロジェクト」を受注していた。仏語しか話さない地域で発生したこの事件では、遠く離れたナイジェリア訛りの英語を話すテロリストたちが突然現れ、国連のナンバーの付いた車でホテルに侵入するという、高度に組織化された戦術が採られたが、似たような事が日本のインフラ系企業の社員に起こる可能性は決して低くないと考えるべきだろう。
こうして見ると、海外に進出する日本企業にとって、現地の政治・治安状況や大国の「シマ」を把握する「インテリジェンス」と、自己防衛のための本格的な「安全対策」がいかに重要であるかがおわかりいただけると思う。
私自身、かつて西アフリカの石油関連施設において日本企業の駐在員らを警護する仕事に従事していたが、勤務していた期間だけでも、同じ国内では7000人もの人びとがイスラム過激派「ボコハラム」によって殺害されており、やがて私のいたその施設も彼らの攻撃目標の一つとなった。そのころにある日本の大使館員から、
「有事の際には、助けを求めに来ないでくださいね。絶対に助けませんから」
と、真顔でいわれて愕然としたことがある。一方で、同じ大使館にいた優秀な警備官(警察官僚)の方は、
「私は最後まで在外邦人の皆さんと一緒に戦います」
と力強くいってくださり、思わず涙がこぼれそうになったものであったが、この担当者間の認識のギャップにはじつに情けない思いがしたものだった。
そんななかで、複数の緊急事態対応計画を立案し、国外に逃げ遅れたあとに自衛隊が救出に来てくれた場合を想定した検証を行なってみたが、まず自衛隊のいまの装備では現地国まで届く機材がないし、仮に25km離れた空港に輸送機が来てくれたとしても、そこからあの入り組んで渋滞する穴だらけの道を、武装勢力が跋扈するなか、自衛隊の車両がわれわれの施設まで迷わず無事に来られるほどのインテリジェンスがないことは明白であった。
さて、自社のプライドと日の丸を背負って海外で働く企業戦士らがテロリストに誘拐されるなどした場合、日本でその救出任務を期待される「エリート特殊部隊」があるとしたら、それは陸上自衛隊の「特殊作戦群(以下、特戦群)」と海上自衛隊の「特別警備隊」だろう。
これらの部隊は厚い秘密のヴェールに包まれていて、外部の人間がその内実を知ることはまったく不可能であるが、しかしその隊員らがきわめて優秀であることは論を俟たない。特戦群の場合、陸自の各部隊から成績優秀として選抜され、そこからさらに1年もの過酷な選抜プログラムをくぐり抜けた猛者たちしか入れないが、部隊配属後の隊員らは、さらに実戦的な厳しい戦闘訓練を通じて本物の特殊作戦要員となっていく。
しかし、彼らがいくら肉体精神と戦闘技能に磨きをかけたとしても、どうしても越えられない壁がある。それが装備の問題だ。2013年に10人もの日本人駐在員が殺害されたアルジェリア・テロ事件の現場はアフリカだし、ISIL(イスラム国)によって処刑された2人の日本人はシリア国内に捕われていたが、いまの自衛隊には救出部隊をこれらの地域にまで一気に空輸できるだけの輸送機がないのである。しかもこの輸送機は、ヘリコプターが搭載可能なくらいの大型機である必要がある。仮に、自衛隊の救出部隊が、現地上空から落下傘で潜入し、そこで何とか邦人を救出できたとしても、そんな敵性地域から安全かつ素早く脱出するには、やはり複数のヘリが必要だからだ。
また、救出作戦に使うこのヘリには、十分な防弾装備と、その重量を支えうる強力なエンジンが必要だ。なぜなら、今日各地で暴れる武装組織の多くは、重機関銃やロケット弾、ミサイルなどの高性能兵器を保有しているからだ。たとえばシリアで暴れるISILは、米国製TOW対戦車ミサイルや携帯式地対空ミサイルなどを多く保有しているし、ナイジェリア南部に跋扈する民兵組織「ニジェール・デルタ解放運動(MEND)」は、2014年にノルウェーから「ハウク級ミサイル艇」を7隻も導入している。
ちなみに、重武装したこれらMENDの民兵たちは、襲撃の前に村の祈祷師から、ただでさえ逞しいその肉体を「不死身」に変えるという秘密の儀式を受け、実際の戦闘でも敵弾を数発受けてもなお突撃し続ける。おそらく強力な麻薬を使っているのだろうが、こんな民兵らの突撃を受けた政府軍は恐れをなし、過去に何度も敗走している。
つまり、海外の現場で自衛官らが遭遇するのは、ハリウッド映画に出てくるような、ボロボロのTシャツを着て、錆び付いた古い木製の銃を振り回し、撃てばすぐに逃げてくれるような連中ではなく、実戦経験豊富で重武装、かつ死を恐れない強敵である可能性が強いのである。
これらの現実から、海外で邦人救出の任に当たる特殊部隊員たちが安心して頼れる強固な装備をきっちりと導入し、またそれらを現地まで人員と一気に空輸する大きな輸送力が必要なことがわかる。特殊部隊が鋭い鏃をもった「矢」だとしたら、これらの強力な輸送機材はそれを撃ち込む「弓」である。矢があっても、それを標的に届け、かつ無事に回収できなければ何の意味もないのだ。
更新:11月22日 00:05