2015年08月17日 公開
2022年12月15日 更新
本記事は、2015年7月13日に開催された『Voice LIVE 説教ストロガノフ〜東京裁判を斬る!』での上念司氏、倉山満氏対談内容を編集したものです。
上念 会場にお集まりの皆さん、こんばんは!
会場 こんばんは。
上念 どうした、声が小さいぞ? オイッス!
会場 ……オイッス!
倉山 上念さん、挨拶の強制はいかがなものかと(笑)。
上念 いや、挨拶は人間関係の基本だから。
倉山 年齢がばれますよ(『8時だョ!全員集合』参照)。
上念 今日のお題は「説教ストロガノフ〜東京裁判を斬る!」。ライブバージョンでお届けします。
倉山 早くも帰ってきました、「説教ストロガノフ」(笑)。では初めに、基本的な用語説明から。まず東京裁判(極東国際軍事裁判)の「A級戦犯」や「B級戦犯」という言葉は間違いです。正確に訳すと「A項」「B項」「C項」。A項は侵略戦争を行なった罪、B項は戦時国際法違反の罪。C項は捕虜や住民への暴行など人道に反する罪が該当します。
上念 いずれも日本の軍隊とは無縁のもの。
倉山 たしかにB項とC項の基準は明確ですが、日本軍には該当しない。A項に至っては、まるで意味がわかりません。当時、国際的に違法ではなかった侵略戦争を、日本に対してのみ違法としてしまうのですから。
上念 戦争を始めた事情は国によって違うけれども、終戦のルールは国際的に統一しなければいけません。喧嘩両成敗、いや喧嘩両不成敗か。
倉山 通常、負けたほうが賠償金を払って終わり。もしくは領土の割譲です。
上念 それが戦時国際法であり、文明の法です。ところが連合国が文明の法を破ってしまい、戦争に負けた日本をさらに東京裁判で一方的に断罪するという不条理を行なったわけです。
倉山 東京裁判の突っ込みどころは、50個はありますからね。それだけでこの対談が終わってしまう。
上念 試しに2、3個いってみる?
倉山 一つ目に、まずこの裁判自体が違法です。
上念 被告を裁く根拠になる法律がない。事後につくった基準で訴追すること自体が、法の支配とはかけ離れています。
倉山 二つ目に、この裁判で被告を裁く「原告」はいったい誰なのか。
上念 連合国、あるいは国際共産主義コミンテルンか。
倉山 いずれにせよ、第三者ではなく、争った当事者の一方が裁きの主体になっている。この時点でもはや裁判ではありません。おまけにいうに事欠いて、原告は「文明」である、と言い出した。
上念 誰?「ふみあき」って。
倉山 文明です。ぶ・ん・め・い。
上念 相変わらずニュアンスがつかみにくい。
倉山 三つ目に、先ほどいったように当時、違法ではなかった侵略戦争を現代から遡って訴えていること。罪刑法定主義のイロハもわきまえていません。
上念 現代のチャイナが同じことをやっていますね。上海株が暴落したら株を売った人間を探し出して、訴追して牢屋に入れようとしていた。
倉山 刑法では、いかに道徳的に問題があることでも、その時点で法律の条文に記されていなければ罰することはできません。過去に遡って生きることができない人間の本質によるものです。
上念 連合赤軍は平気で過去を罰していたけれどね。「おまえ、何年何月何日に反革命行動を取っていただろう」といって、総括と称して私刑で殺してしまう。
倉山 共産主義者が関わると、そういう惨事になりますね。
倉山 そもそもおかしいのは「戦争責任」という言葉です。繰り返しますが大東亜戦争時、侵略戦争は違法ではありません。
上念 日本の戦争を「平和に対する罪」とか道徳的な悪とかいうのであれば、連合国軍のドレスデン爆撃や東京大空襲、原爆投下は日本軍以上の犯罪です。
倉山 それは東京裁判のタブーで、口に出してはいけないことになっている。われわれは東京裁判から、戦争における最も重要な教訓を学びました。それは「戦争は絶対に勝たなければならない」ということです。
そもそも、戦争責任とはすなわち「敗戦責任」です。
では、日本の「敗戦責任」は誰にあるのか。その検証作業が、インターネット番組『チャンネルくらら』の「戦後70年特別企画『説教ストロガノフ 掟破りの逆15年戦争』」でした。
上念 なぜ「逆」なのかというと、時系列を遡って「どの時点で誰の責任だったか」を明らかにしたかったから。言葉の正しい意味において、A級戦犯とは誰なのか。それを連合国側の視点ではなく、日本人自らが検証することです。
倉山 とくに、わざわざ負ける作戦を立てて大量の特攻隊員を殺した指揮官の罪は明確にすべきです。こう述べると決まって左翼呼ばわりされるのですが、左翼というのは特攻隊員の死を犬死に扱いする連中のことです。特攻隊員の死は絶対的に尊い。反対に、山本五十六や近衛文麿の生は絶対的に醜い。両者を一緒くたにするから、日本の「敗戦責任」が見えなくなる。
上念 世界最強の海軍戦力をもつ日本がミッドウェー海戦(1942年6月)に負けるって、どれだけ指揮官が戦争下手なの?
倉山 日本海軍の「Z旗」ってありますよね(1905年5月の日本海海戦で、ここで負けたら最後という意味で東郷平八郎司令長官がアルファベットの最後の1文字「Z」の旗を戦艦三笠に掲げたことから始まる)。
この必勝旗のもとで、日本は何勝何敗だったか。2勝2敗です。日本海海戦と真珠湾攻撃(Z旗と同義のDG旗を使用)で2勝したのち、ミッドウェー海戦とマリアナ沖海戦(1944年6月)で2敗。ちっとも「必勝」ではありません。おまけにZ旗はもはや後がない決意の証のはずなのに、ミッドウェー海戦で山本五十六司令長官は臆病がって艦隊を温存していた。大丈夫ですか、この人?
上念 戦争が下手なら、上手な人間に任せればいいわけです。実戦を知らずに派閥人事で出世した役人軍人がいるから戦いに負けてしまう。山本五十六の場合は連れてきた奴まで無能だったので話になりませんが。
倉山 山本にしてみれば当然でしょう。自分より優秀な奴だったら思いどおりの駒になりませんから。
倉山 そもそも開戦からして、なぜ最初の戦いがハワイの真珠湾攻撃(1941年12月)なのか。わざわざ飛行機で艦隊を効果的に攻撃できることを敵のアメリカに親切に教えてあげてから、占領もしないで引き返す。理由は「補給が続かないから」だという。ならばなぜ、アラスカからオーストラリアまで地球上あらゆるところに出兵したのでしょうか。何がしたいのか、まるで意味不明です。
さかしらな歴史学者が「現代の後知恵で戦争を批判してはならない」などといいますが、そんなレベルの話ではない。戦争の常識を後知恵といわれてはたまったものではありません。「山本五十六は日本を滅ぼそうとするスパイだった」という説明が最も納得いくほど、理解不能な行動です。山本五十六に比べたら、民主党政権のほうがはるかに有能ですね。普天間基地移設に絡む日米同盟破壊や消費増税で日本を滅ぼそうとしたことが、誰の目にもわかりましたから。
上念 なぜこれほど無能なのでしょう。新潟県長岡市の山本五十六記念館を訪れたときは、複雑な心境でしたね。「なぜこの人間を美化するのか」という言葉が喉元まで出かかりました。
倉山 無能者が出世するシステムだったからでしょうね。
上念 ハンモックナンバー(軍の寝床に記された番号。兵学校の卒業席次で決まる)の上位者が出世するという。
倉山 あとは官庁的な派閥工作。お役所と同じで、なまじ結果を出そうとする人がいると仕事の負担が重くなって面倒臭い。だからトップには無能な指揮官を置く。基本的に、日本軍にとっての大東亜戦争は「お役所仕事」でした。比喩でも何でもありません。指揮官から与えられた、作戦の名にも値しない指示を右から左に流すだけで、誰も止めようとしない。
上念 ミッドウェーに突っ込むぞ、という山本五十六に対して、誰も「正気ですか?」という突っ込みを入れなかった。ツッコミ不在の危機(笑)。
倉山 最も悲劇だったのは、お役所から戦争業務を委託され、現場に派遣された下士官がどこまでも優秀で誠実だったことです。『山本五十六』(上・下、新潮文庫)で美化した阿川弘之氏の罪は重いといえるでしょう。
上念 『米内光政』(新潮文庫)とか。城山三郎が広田弘毅を美化した『落日燃ゆ』(新潮文庫)の内容も空想のストーリーに満ちていて、ラノベ(ライトノベル)顔負けの妄想力でした。
倉山 なにしろあの内田康哉を悲劇の外交官として描くのですから。内田こそ、国際連盟脱退(1933年)の真犯人にして「史上最低の外務大臣」です。
よく「松岡洋右が国際連盟脱退を断行した」といわれますが、じつは松岡洋右は国際連盟脱退に反対だった。イギリスを味方につけようとする松岡の工作を全部ぶち壊したのが、「もっとケンカを売ってこい」とばかりに強硬論を強いた内田康哉外務大臣。内田はもともと無能でろくでもない外交官でしたが、明治・大正・昭和と3代にわたって外務大臣を務めた唯一の人物です。外務大臣としての任期は合計7年5カ月で、いまだに史上最長。
城山三郎の小説のように、ジェットコースター的に物語を展開するだけの筆力がないと、読者を泣かせることはできない。つまり「才能がなければ人は騙せない」ということです。
上念 たしかに『男子の本懐』(新潮文庫)など読んでいると「そうか、金解禁しかないな」という気分になってくる(笑)。
倉山 財務省は近現代史の編纂にあたって城山三郎の『男子の本懐』を熟読・研究したそうです。
上念 一方で、経済の観点から1945年の状況を見ると、なんと当時の国家財政の72.6%を軍事費が占めている。ほとんどいまの北朝鮮です(笑)。
倉山 さらに比率が高いのは1944年で、85.3%。45年の軍事費が落ちているのは敗戦後の4カ月間、戦争をしなかったからです。
上念 じつは日清・日露戦争と第一次世界大戦時を除き、日本の軍事費は上がっていない。ところが1937年に支那事変が始まったとたん右肩上がりになって、あとは終戦まで70〜80%というボロボロの状態が続く。
倉山 もし終戦のとき、鈴木貫太郎の代わりに上念司首相だったら、どうしますか。
上念 もちろん即、内閣を投げ出します(笑)。冗談ですよ。
倉山 ところが、その冗談を実際に行なったのが米内光政です。東條内閣が倒れると、内閣総理大臣の大命が海軍の米内光政元首相と陸軍の小磯國昭に下ります。このとき「陸軍の候補は3人中2人、遠くに赴任しているから、近くの小磯君でいいや」となった。
上念 いちばん暇そうな奴が総理大臣(笑)。最悪ですね。
倉山 ところが経歴や年齢から見て米内光政が引き受けるべきなのに、米内は小磯國昭に「どうぞどうぞ」と座を譲ってしまう。
上念 誰も敗戦時の政権を引き受けたくないので、たらい回しにしたわけだ。
倉山 ダチョウ倶楽部のコントそのもの。
上念 そもそも日本軍の戦争に対する意識自体、「始まってしまったからしょうがない、決め事どおりにやるか」というルーチンワークの思考でした。そして戦時どころか平時の手順を踏みつづけた挙げ句、アメリカに潰されたということでしょう。
倉山 そのとおりです。たとえば1943年4月18日、山本五十六の搭乗機が撃墜されたとき、山本はまさに平時のごとく前線視察に関する長文の式次第を2回に分けて送っている。
上念 大事なことだから2回流すとかいって、打電した暗号がアメリカ軍情報部に筒抜けになっていた。
倉山 「殺してください」といわんばかりですよね。
上念 で、やられちゃった。
倉山 昭和天皇は先の大戦を「科学する精神で負けた」とおっしゃいました。たんに科学・技術力の差ではなく、「科学する精神」の差、というのがポイントです。いくら技術があっても、使いこなす知性や精神がなければ無意味だということです。
上念 まったくそのとおりですね。
倉山 したがって「技術力や物量作戦でアメリカに負けた」というのは嘘です。戦争は物量だけで勝てるものではない。それで勝てるならば、アメリカもベトナム戦争に負けなかった。指揮官の無能を物量のせいにしてはいけません。
更新:11月22日 00:05