「源氏物語図屏風」(若菜上、東京国立博物館蔵、出典:ColBase)
現代では家族の一員として愛されている猫ですが、人間との歴史はどのように始まったのでしょうか。実は、猫の家畜化は牛や馬のような「人間の支配と管理」によるものではなく、互いの利便性を認め合った「共生」の関係でした。
穀物や経典をネズミから守る番人となり、時には高貴な存在として、あるいは信仰の対象として人々の暮らしに寄り添ってきた猫たち。本記事では、ベトナムでの現地調査や日本の歴史的資料をもとに、人間と猫が歩んできた歴史と、猫という動物の賢い生存戦略に迫ります。
※本稿は、宮沢孝幸著『猫が世界を救う 人を魅了する不思議な力から、医学への貢献まで』(PHP新書)より一部抜粋・編集したものです。
人間はどうやって猫を家畜化したのでしょうか。猫の家畜化は、牛や馬のような「支配と管理」の物語ではありません。
舞台は、農耕が始まったばかりの集落でした。人類が穀物を蓄えるようになると、そこにはネズミが集まりました。そしてネズミが集まる場所は、リビアヤマネコにとって魅力的な狩場でした。つまり、猫は人間に媚びようとして近づいたのではありません。人間の暮らしが作り出した環境が、都合のよい場所だったのです。
わざわざ広い荒野を歩き回らなくても、獲物が見つかる。しかも人間の暮らしの周辺は、大型の捕食動物が近づきにくいという意味では、ある程度安全でもあったはずです。ここに、きわめて幸福な利害の一致がありました。自分の利益を求めて動いた結果、双方に利益が生まれたのです。この関係は、共生的な家畜化として理解できます。
このつかず離れずの距離感こそが、猫という動物の知恵でしょう。「私は私の都合でここにいるだけです」という顔をしている。この独立性こそが、猫が今もなお猫らしくあり続けている理由なのだと思います。
犬との違いは、ここではっきり見えてきます。犬は早い段階から、人間の意思を読み取り、狩りを助け、見張りをこなし、群れの一員として行動する動物になっていきました。犬の強みは、人間と高い協調性を発揮できるところです。
そののち、猫の分布を大きく広げたのは陸路だけではありません。海路でも分布域を拡大しました。船には食料が積まれ、そこにはやはりネズミが現れます。船乗りや商人にとって、猫は海の上でも有能なネズミ捕りでした。人間が交易路を広げ、海を渡り、物を運ぶたびに、猫もまたその足跡に添うように広がっていきました。
こうして振り返ると、猫の家畜化の歴史とは、服従の歴史ではありません。猫と人類が互いの利便性を認め合い、絶妙な距離感で共存の形を見つけてきた、驚くほど洗練された成功例なのです。そしてその過程で、やがては人間の心までつかんでしまったのです。
歴史を少し遡ると、猫が人間のそばに居場所を得た理由は、切実で実利的なものでした。猫は、ただ可愛いから人間社会に受け入れられたのではありません。人間にとって「大切なもの」を守る役に立ったからこそ、その存在が必要とされたのです。
その大切なものの代表が、穀物でした。農耕を始めた人類にとって、穀物を蓄えるという行為は、生き延びるための中心的な技術でした。ところが、穀物を備蓄すればするほど、それを狙ってネズミが集まってきます。ネズミは穀物を食い荒らすだけでなく、排泄物で汚染し、貴重な食料を台無しにします。倉に蓄えた穀物を守れるかどうかは、その集落の命運を左右する問題だったはずです。
そして、猫が守ってきたのは、穀物だけではありません。歴史の中で猫は、仏教の経典などの「知識」を守る存在でもありました。細部については伝承的な要素もありますし、「仏教伝来と共に猫が初めて日本へ来た」と短絡的に言い切ることはできません。それでも少なくとも、「猫はネズミを防ぎ、書物や経典を守る存在である」という認識が、日本人の中にかなり早い段階からあったことは確かでしょう。
肉体を支える糧と、精神や文化を支える知識の両方を守る。これはかなり大きな役割です。人間にとって最も大切なものの近くに、猫は静かに座るようになったのです。暗い倉の隅、寺の書庫、船の中、そうした場所で猫は目を光らせ、ネズミを仕留めてきました。
猫は、歴史の表舞台で派手に活躍する動物ではありません。馬のように戦場を駆けるわけでもなく、犬のように主人の命令で目立つ働きをするわけでもありません。人間社会の基盤に近い、失われると困るものが置かれている場所で、黙々と番人として仕事をしてきたのです。私は、この役割はもっと評価されてよいと思います。
こうした猫の役割は、古代の話として片づけられるものではありません。実際、近年まで東南アジアの農耕社会の中にも、猫をまず役に立つ動物として見る感覚が色濃く残っていました。ここで少し寄り道をして、私がベトナムで経験したことを述べてみたいと思います。
1996年から1998年にかけて、私はベトナムでイエネコと野生の猫、具体的にはベンガルヤマネコ(Prionailurus bengalensis)を対象にウイルス調査をしたことがあります。研究者として現地に入ったわけですが、そのとき私が強く感じたのは、猫という動物に対する人々のまなざしが、日本よりずっと複雑だということでした。
ベトナムは稲作文化の国であり、猫は、穀物を守る番人として当時も高く評価されていました。この点では、本章で述べてきた「穀物と知識を守る、静かな番人」という猫の役割は、決して古代だけの話ではありません。
その一方で、猫は必ずしも日本のように、家の中で家族同然に可愛がられる存在ではありませんでした。
地域差も個人差もありますが、私が現地で出会った人々の中には、猫を役に立つ動物として大事にはするものの、伴侶動物として家の中に入れて可愛がる感覚をもっていない人が少なくありませんでした。中には、猫を家の中に入れること自体を好まない人もいましたし、猫に対してどこか不吉な気配を重ねて見るような空気も感じました。
そして、私を驚かせたのは、猫を食べる慣習がまだ残っていたことです。私が現地で耳にしたところでは、「雄猫はネズミを捕らなくなったら、雌猫は子を産まなくなったら食べてしまう」という話さえありました。ただし、この話がどこまで一般的だったのかは慎重に見なければなりません。少なくとも私は、この表現そのものを裏づける信頼できる資料までは確認できていません。ですからこれは、あくまでも、当時私が現地で聞いた印象的な話としてここに残しておきたいと思います。
さらに衝撃的だったのは、野生の猫を食べさせる店が存在したことです。私も行こうと誘われましたが、丁重に断りました。こういう経験をすると、猫という動物の位置づけは、文化によって驚くほど違うのだと痛感します。現在の日本では、猫は伴侶動物であり、家族の一員です。しかし歴史をたどれば、日本の猫もまた、番人としての実利が先にあり、その上に愛着や信仰が積み重なっていったのです。ときに利用し、ときに愛着を抱く。そうした入り混じった感情の中で、猫と人は共生してきたのです。
日本における猫の歴史を見ていくと、そこにはとても対照的な二つの顔が浮かび上がります。一つは、平安の宮廷や寺院で大切に扱われた、どこか高貴で特別な猫です。もう一つは、農村や養蚕の現場でネズミを追い、人々の暮らしを実際に支えた働き者としての猫です。
猫がいつ日本にやってきたのかについては、先述の通り、「仏教伝来と共に来た」という説が知られてきました。大陸から経典や仏具が運ばれて来る際、それらをネズミから守るために猫が船に乗せられていたという説明です。これは実利の面から見てもよく理解できます。紙や糊でできた経典はネズミにとって格好の標的ですから、海を渡る長い旅のあいだ、猫が重要な役割を果たしたとしても不思議ではありません。
ただし最近では、この話を少し慎重に見る必要が出てきています。長崎県壱岐市のカラカミ遺跡から、弥生時代のものとされる猫の骨が見つかっているからです。放射性炭素年代測定などから、その一部は約2000年前まで遡る可能性が示されており、もしこれがイエネコであれば、日本における猫の歴史は仏教伝来よりも数百年以上も古いことになります。
一方で、先述した通り、東アジアでは古い時代に人間のそばにいた小型ネコ科動物が、必ずしもイエネコだったとは限りません。中国の新石器時代の猫がベンガルヤマネコだったと考えられるなら、日本列島で見つかった古い猫の骨についても、それが本当にイエネコなのか、それとも別系統の小型ヤマネコだったのかは、DNA解析なども含めて検討しなければなりません。
いずれにせよ、日本では平安時代になる頃には、猫はすでに特別な動物として扱われていました。『源氏物語』や『枕草子』に登場する猫は、宮廷文化の中で、人々の視線を集め、物語の中に自然に入り込む存在として描かれています(「源氏物語図屛風」 若菜上)。
とりわけ有名なのが、一条天皇に可愛がられた猫、「命婦(みょうぶ)のおとど」です。『枕草子』の「上にさぶらふ御猫は」に描かれたこの猫は、後世しばしば、女官になぞらえられるほど特別な扱いを受けた猫として語られてきました。
当時の猫は今よりずっと希少で、輸入高級品に近い存在だったのでしょう。逃げ出さないように紐でつないで飼っていたという話も、猫がいかに貴重だったかをよく物語っています。知識の近くにいて、宮廷の中にいて、珍しく、美しく、どこか神秘的な、心を動かす存在として見られていたのです。
しかしのちの時代に前面に出てくるのが、もう一つの顔、すなわち働く猫です。農村では穀物を、養蚕が盛んな地域では、蚕や繭をネズミから守ることが大きな課題でした。ネズミは一晩で大きな損害を与えかねません。猫は、まさに頼りになる番人でした。
そして猫は、しだいに信仰の対象にまで広がっていきました。各地に残る猫神や猫絵、養蚕地帯に見られる猫札や猫信仰は、猫が暮らしを守る存在として深く信頼されると同時に、畏敬の念を向けられた存在であったことの証しでもあります。
こうして日本の猫は、きわめて独特な位置を占めるようになりました。高貴さと実利性、愛着と畏怖、この少し矛盾したような感情を、猫は全部引き受けてきました。そしておそらく、それこそが日本人が猫に惹かれ続けてきた理由の一つなのだと思います。
更新:09月08日 00:05