
国民負担率は欧米諸国と同水準なのに、教育や福祉の充実は十分とはいえない日本。
なぜ、日本だけが「中負担・低福祉」に陥っているのでしょうか。
本稿では、元明石市長の泉房穂氏と日本大学教授の福田充氏が、税金や社会保険料の使われ方、肥大化した官僚システム、民主党政権の事業仕分けが残した影響を検証。明石市政での経験や海外の消費税制度も踏まえ、国民のお金を暮らしの安心へ振り向けるための財政改革を考えます。
※本稿は、泉房穂、福田充著『国民のお金はどこに消えた?』(PHP研究所)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
【福田】企業のほうを向いた政治を国民のほうを向いた政治に切り替えていかなければいけない、という泉さんのご指摘は、泉さんが政治の師と仰ぐ石井紘基さんが戦ってきたものと、じつは地続きでつながっている問題ですよね。日本政治の闇がこの数十年、変わっていないことがよくわかります。
【泉】国会議員になって、私は、多くの国民の中にある思い込みをリセットしなければいけないと改めて痛感しています。それは私たち国民のお金が適正に使われているという思い込みです。みなさんは国民のお金が適正に使われているという前提に立っていますが、私は違うと思っています。適正に使われていないから、日本が今のような状況になっているのです。
たとえば今、日本の国民負担率は5割近くになっていて、イギリスやカナダ、オーストラリアとだいたい同じ水準です。ところがイギリスやカナダ、オーストラリアでは教育などのベーシックな生活サービスの無償化が進んでいるのに対して、日本ではそれらの無償化がいまだに不十分な状態が続いています。ほかの3国は中負担・中福祉で、日本だけが先ほども述べたように中負担・低福祉ともいうべき状況なんです。
中負担しているのに、なぜ低福祉かというと、国民が納めたお金が消えているからです。このお金を適正に使えば、中負担・中福祉も可能です。
さらにいうと、私の目標は中負担・高福祉です。私が明石市長時代、市の職員にいったように、政治家や官僚がちゃんと知恵を絞って、汗をかいて、みんなで頑張れば、中負担だけどそれを上回る価値のある福祉政策を国民に提供できるし、またそれが政治家の務めだと思っています。しかし、今は中負担・低福祉です。繰り返しますが、その原因は国民の納めたお金が適正に使われていなくて、どこかに消えているからです。
それにもかかわらず、国民の多くは自分たちが納めたお金は適正に使われていると思い込んでいます。これはかつての民主党政権の罪です。「民主党は『コンクリートから人へ』とか『埋蔵金で財源確保』などといって政権をとったのに、結局、何もできなかったじゃないか」という形で整理されてしまったので、「お金は適正に使われている。無駄な使われ方はしていなかった。日本には本当にお金がないんだ」という理解が広がってしまいました。だけど、これは誤解です。
私もそう思い込まされていました。2011年に私が明石市長になったとき、財務当局から「もうこの国にはお金がありません。自治体も貧乏でお金がありません。明石市は人口30万だけど、同じ人口規模の市の中でも特にお金がないまちです。だから何もできません」と言われました。「このままでは3年で財政破綻する」というような資料を作成して、私の説得にかかるわけです。しかし実際には、3年経っても一向に財政破綻などしませんでした。
それどころか、12年間市長をやってみたら、小さな明石市でも、ちゃんとやりくりさえすればお金を捻出できたのです。具体的にいうと、125億円だった子どもの予算を297億円まで2.4倍に増やしていますから、170億円つくったわけです。職員だって2000人体制という数を増やさず、むしろ減らしながら子ども担当職員は4倍近くに増やしています。
明石くらいの自治体でも予算を2倍、3倍にできるし、担当職員も部署を動かせば3倍、4倍にできるのです。やれることはたくさんあるのに、みんな何もしないまま、「お金は適正に使われている」「官僚システムはちゃんと機能している」「もうお金はない」と思い込んでいる。違いますから。日本の官僚システムは肥大化する一方ですし、お金は適正に使われているとは言い難い状況です。その使い方をより適正にするだけで、お金は出てくるはずです。
しかしメディアもお金は適正に使われているという前提で、「明石市がお金をつくれたということは、どこかにしわ寄せが行っているに違いない。しわ寄せなしに、明石市のようなことができるわけがない」というふうに書くんですよね。「きっとインフラはボロボロだろう」とか「財政はどんどん悪化しているのだろう」とか。明石市がお金をつくれたことを認めるわけにいかない、と思っているんです。
そんなふうに見られて、明石市長のときも腹が立っていましたが、国政に来てみたら、状況はもっとひどい。メディアも国民も「今の中央省庁の官僚たちは生真面目に一生懸命働いているのに叩くな。官僚は間違っていない。間違っているのは政治家だ」という前提に立っているから、官僚システムの肥大化や、官僚システムにおける組織防衛から生まれる無駄などが見えなくなっています。この官僚システムにメスを入れないとお金は生まれません。
私は都道府県と市町村のあり方を見直して、行政区を再編すれば、人も予算ももっと有効活用できるはずだと考えています。国と地方の形を抜本的に見直すことで、お金は相当生まれると思っています。このあたりは私ももうちょっと詰める必要があるとは思っているのですが、いずれにせよ、国民の多くが「自分たちのお金が適正に使われている」と思い込まされているのは痛いですね。
【泉】民主党政権の象徴ともいえる事業仕分けが結局、「お金はなかった証明」となってしまったことは残念でなりません。しかも、中央省庁の再編もしていないし、見直しもしていません。財務省に乗せられて、財務省が切りたかった事業を切ったにすぎない。準備不足の中で政権についたため、事業仕分けも大きな成果を出せずに終わってしまった。それゆえに、財源はない、というイメージだけが残ってしまったのは残念です。
国と明石で状況は異なりますが、先述の通り、市長時代に「お金がない」「このままでは3年後には財政破綻する」と資料を見せられて繰り返し説明され、そんなに厳しいのかと一瞬、信じてしまいそうになりましたが、そんなはずはない、お金の使い方を変えれば、財政破綻せずに市民の期待に応えることが可能なはず、と気づけたことは大きかった。
お金がないわけではなかったのです。やりくりする中で子ども予算を増やした立場からすると、優先度を決めてやれば、一定程度の財源をつくり出すことは可能です。方向性を決めて、10年かけて少しずつ減らす、頻度を減らすなど、経過措置を伴いながらやれば、どこかに大きくしわ寄せをかぶせることなく財源をつくり出すことはできるはずです。中央省庁の官僚とともに、その方向性に向けてやっていく。それが本来、政治家がすべき決断です。こうした、責任の伴う決断ができるかどうかが問われているのだと思います。
しかし、あまりにも民主党は短期政権だったため、目先の選挙などに追われてしまってドラスティックな予算配分のシフトに取りかかるまもなく終わってしまった。これは本当に残念なことでした。
あの事業仕分けの際に切ろうとしたのは、たとえば児童相談所の研修センターです。本当に必要なところを、財務省目線で切ろうとしたのです。結局、財務省の手のひらの上で踊らされていたともいえる状況でした。
実際、財務省に睨まれるとリスクが大きくなって動きづらくなり、財務省の描くシナリオに従って動く政治家は、それなりの扱いを受けることで出世しやすくなっていくような状況が永田町にあります。そうした風土はずっと変わっていません。
【泉】私としては、中央省庁の大再編と国と地方のあり方のドラスティックな見直しも含めて、お金の使い方について長期的な視野で議論する必要があると考えています。
もう一つ、私は消費税減税は甘くないと思っています。総選挙で大勝した高市さんも、結局のところ、時間がかかっています。給付付き税額控除を導入するにしても、制度設計次第ですが、財務省の書いた筋書きの中で動いているだけなので、結局はしょぼいものになるのでは、と思います。
日本の消費税にあたるイギリスの付加価値税の標準税率は20%です。しかし、教育や医療などは非課税、食料品などの生活必需品はゼロ税率、光熱費などは軽減税率5%と、細かく分かれていて、低所得者ほど所得に占める税の負担が重くなる逆進性に配慮しています。
日本で本格的に消費税減税をするにしても、このイギリス型に倣って、たとえば食料品をはじめとする生活必需品など、広く庶民が買うものはゼロ%にする、その代わり標準税率を20%にすれば帳尻は合う、と主張する人もいます。
先ほどもいったように、日本のメディアは軒並み消費税減税に「財源論」を理由に慎重な姿勢が続いています。しかし、この標準税率20%をセットで打ち出すならば、「財源がない」という反対理由を潰すことができる、というわけです。逆にいうと、そこまで打ち出さないと、単なる消費税廃止とか一律5%とかでは、メディアがついてこない、というのです。
この先メディアが変わるかというと、簡単には変わらないでしょう。そうした中でいかに流れを変えていくかと考えると、標準税率20%をセットにすることが、財源論にこだわる学者やマスコミ、政治家たちに向けての説得材料になるだろうという考えも一つでしょう。
財務省が飲める案じゃないと実現できないのなら、イギリス型の「生活必需品ゼロ%」によって国民を助けながら、本体の標準税率を20%にするというあたりを、タイミングをずらした方法でもよいので、将来的に目指していくのが現実的ではないか、ということでしょう。私自身は、工夫次第でまだまだ財源はつくり出せるとの立場ですが、一方で、標準税率20%との展開になるのであれば、「高福祉」社会としてより一層の「安心」を国民に届けることができるだろうとも考えています。
財務省にすれば、それは「あり」です。財務省がいうところの安定財源さえ確保できればいいので、生活必需品のゼロ税率と標準税率の引き上げをセットにすれば、財務省は乗ってくるでしょうし、マスコミの報道も変わってくるでしょう。
国民のほうを向いた政治をしようとすると、メディアがポピュリズムの名のもとに叩いてくるという状況において、イギリス型消費税の導入は国民の生活を助けるうえで選択肢の一つとなるのかもしれません。
しかし、私としてはやはり、お金の流れを変えることで、まだまだ財源はつくれるはずとの立場です。一方で、シビアで強力な財務省とメディアの思い込みと付き合いながら、それを突破するストーリーで国民から期待される展開にもっていく必要性は感じています。まだ話が抽象的ですね。これからもっと整理して、詰めていきたいと思います。
更新:09月04日 00:05