Voice » WEB連載 » 【日本文明研究会】文明のなかで築かれた日本人の死生観(2)

【日本文明研究会】文明のなかで築かれた日本人の死生観(2)

佐藤弘夫(東北大学名誉教授)

奈良県の三輪山麓にある大神(おおみわ)神社(写真:佐藤弘夫氏)奈良県の三輪山麓にある大神(おおみわ)神社(写真:佐藤弘夫氏)

米中をはじめとする文明的大国が自己主張を強め、同時にデジタル化やビッグデータを軸にした技術革新が起きているなど、私たちはいま劇的な世界の変化を経験しています。このような状況下では、環境変化の圧力や不確実性に翻弄されるばかりでは十分ではなく、日本のあり様や世界のなかでの位置づけを問い直していく必要があるはずです。

日本文明研究会(委員:河野有理、藤本龍児、三宅香帆)」では、日本の文明的な性格がいかなるものかを、思想・宗教、文化文芸から家族、組織原理、政治、経済社会にいたるまで多角的な視点で検討し、顕在知として表出していくことをめざします。今回は、日本文明のなかでかたちづくられた私たちの「死生観」について、4回にわたって見ていきます。(構成:藤橋絵美子)

 

日本の思想は「アニミズムの伝統」ではない

前回述べたような、万物に聖性を見出そうとする日本人の性向は、しばしば「アニミズム」という言葉で説明されます。自然界のあらゆる存在――山や川、草木や石に至るまで「命」を感じ取る感性です。確かに日本文化を理解するうえで、この見解はある程度の妥当性を持っていると私も思います。

ただ、ここで「日本人の心性は太古以来、一貫してアニミズム的だった」と考えるのは、やや単純すぎる見方です。日本列島の自然観や神観念は、時代ごとに大きく姿を変えながら長い時間をかけて形成されてきたのです。

自他ともに認める、日本最古の神信仰の形態を残している神社は、奈良県の三輪山麓にある大神(おおみわ)神社です。

大神神社には、神社内に神のいるべき本殿がありません。山(三輪山)そのものを神(ご神体)として麓から遥拝します。これが原初の神信仰の形態とされています。草木をはじめ山や岩に至るまで聖なるものが宿り、それを拝むかたちが神道の原型である。その伝統が今日に至るまで継承されている、とされるのです。もしそうであるとすれば、そこには確かにアニミズムの系譜を見てとることができます。

しかし、考古学や歴史学の知見からすると、三輪山信仰の最初期の形態は、必ずしも「山=神」という認識ではありませんでした。三輪山が神聖視されるようになったのは、弥生時代後期の4世紀頃からと考えられています。そこでは山そのものが聖なる神とみなされることはなく、山はあくまでも神の棲(す)まう場と捉えられていました。そのため山を仰ぐことのできる場所に祭場を設けて神を招き、シャーマン(巫女)を介して神と対話するという儀礼が行なわれることになったのです。

この段階における神は、人間との対話を行なう外在する他者だったのです。

 

「外在する神」から「内在する神」へ

では、「外在する神」は、いつ、どのようにして万物の「内部に宿る聖性」へと転換を遂げたのでしょうか。その一つのきっかけは、仏教思想の受容にありました。

仏教がイスラム教やキリスト教とは大きく異なるのは、人が到達すべき究極の目標を神仏と同レベルに設定している点です。釈迦が説いた悟りの境地は、万人に開かれていました。真実に目覚めて、内なる聖性(仏性)を開花させれば、だれもが仏になることができるのです。

6世紀に始まる仏教の定着にともなって、こうした思想が日本でも普及していきます。ただし、当初は「聖なるもの」を宿しているのは人間のみでした。

森羅万象が「聖なるもの」を宿しているという発想の理論的基盤を確立したのは、中国隋代の思想家・天台智顗(ちぎ)です。彼は「一念三千」と言われる法門を説き、この世界のあらゆる存在に仏性(聖性)が行き渡っていることを論じます。

天台の思想は、9世紀初めに最澄によって日本にもたらされ、その後、天台僧・安然によって、「草木国土悉皆成仏」という言葉で概念化されます(末木文美士『草木成仏の思想』サンガ)。悟りは人間だけの特権ではなく、草木や大地・国土など森羅万象が仏となりうるという思想です。

安然の活躍に続く平安時代後期は、さまざまな分野で聖なる世界に対する思索が深まっていく時代でした。私たちが目にするこの世の風景だけが全てだった古代的なコスモロジーに対し、現実の背後により根源的な不可視の世界を想定する中世的コスモロジーへの転換が進んでいくのです。その流れの先に誕生するのが、万人の平等の救済を追求した「鎌倉仏教」でした。

こうしたいくつもの要因に後押しされて、「聖なるもの」は人間や自然の外部にあるのではなく、世界そのものに内在していると捉える思想が浸透していくのです。

「草木国土悉皆成仏」の思想は、室町時代には仏教という枠を超えて、広く芸道の中に取り入れられていきます。能では、桜や柳などの植物の精が人間の形をとって出現し、人と対話します。謡曲『西行桜』では、西行の夢に桜の精が人の姿をして現れ、西行に語り掛けます。

繰り返しますが、人と草木が対話する日本的な自然観は、決して原初的なアニミズムの単純な継承ではありません。時代のコスモロジーの影響を受け、仏教思想との長い相互作用を経て形成された、高度に抽象化された議論だったのです。

 

現代日本に残る「対称性の論理」

この「万物に仏性を認める」という発想、あるいは「人間と人間以外の存在を対等に扱う」という発想は、近代以降も日本人の倫理観の底流に生き続けます。

その象徴的なもののひとつに、先に言及した宮沢賢治の文学があります。たとえば、彼の『なめとこ山の熊』では、生きるために熊を殺し続けなければならない猟師・小十郎と、殺される運命を受け入れつつ小十郎の境遇に共感する熊たちの姿が描かれます。物語の最後に、小十郎は熊に殺されるのですが、雪山の山頂では集まった熊たちが亡くなった小十郎を囲み、祈りを捧げています。そこに人間が自然を一方的に搾取するのではなく、人間とクマが互いの立場を理解し、命の重みを認め合う「対称性」の関係を読み取ることができます(中沢新一『熊から王へ』講談社選書メチエ)。

「対称性の思考」が見られる事例として、もう一つ、アイヌ文化の伝統儀礼「イオマンテ(魂送り)」を紹介しておきたいと思います。

イオマンテでは、人々は春先に山で子熊や子狐などを捕らえ、1~2年ほど人間の子どもと同じように大切に手厚く育てます。そして祭祀の日、花矢を撃ってその命を絶ち、肉や皮を剥ぎ、頭骨を祀るのです。

一見すると残酷な行為ですが、アイヌには「人間の住む世界(この世)」と「神々が住む世界(あの世)」を転生しながら行き来するという世界観(死生観)があります。自然界のあらゆるもの(動物、植物などの自然の恵み)は、神が具体的な姿をとって地上に降りてきたもので、そのおかげで人間は生きている。そのため人間は、殺した動物の身体を少しも無駄にすることなく大事にいただき、遺体を丁重に葬る。そうして、魂を天(あの世)にお帰しする。すると、天に帰った魂は人間界で厚い歓待を受けたことを語り、再び肉や毛皮の土産を携えて地上へ降りて来る――。

イオマンテは動物の魂を天に返すための祭礼でした。これは「他の命を奪わなければ生きられない」という罪悪感と折り合いをつけるために築かれた、きわめて洗練された儀式ではないでしょうか。この循環において、人間と動物の間にあるものは決して主従関係などではなく、贈与と感謝を交わし合う「対等」の関係なのです。

イオマンテについては、数々の優れた映像作品を手掛けている北村皆雄監督の『チロンヌプカムイ イオマンテ』という記録映画が、近年公開されました。機会があれば、ぜひご覧ください。この映画に描かれた、人は万物との関係性によって生かされているというアイヌの思想は、現代日本においても多くの方が共感できるものではないでしょうか。

 

*本原稿は、日本の文明的な性格がいかなるものかを顕在知として表出していくことをめざす「日本文明研究会」の内容を記事化したものです。

Voiceの詳細情報

関連記事

編集部のおすすめ

【日本文明研究会・第1回】明治・大正・昭和の名著から考える「日本」「家族」「共同体」

河野有理(法政大学教授)

【日本文明研究会・第2回】家父長制、集団と個、無常観...現代日本を考えるカギとは

三宅香帆(文芸評論家)

【日本文明研究会・第3回】「1つの文明圏」としての日本、受け継がれている精神性

藤本龍児(帝京大学教授)