米中をはじめとする文明的大国が自己主張を強め、同時にデジタル化やビッグデータを軸にした技術革新が起きているなど、私たちはいま劇的な世界の変化を経験しています。このような状況下では、環境変化の圧力や不確実性に翻弄されるばかりでは十分ではなく、日本のあり様や世界のなかでの位置づけを問い直していく必要があるはずです。
「日本文明研究会(委員:河野有理、藤本龍児、三宅香帆)」では、日本の文明的な性格がいかなるものかを、思想・宗教、文化文芸から家族、組織原理、政治、経済社会にいたるまで多角的な視点で検討し、顕在知として表出していくことをめざします。今回は、日本文明のなかでかたちづくられた私たちの「死生観」について、4回にわたって見ていきます。(構成:藤橋絵美子)
突然こんな話から始めて恐縮ですが、私は研究を始めるとき、資料や論文よりも「もの」から入ることが多くあります。全国各地を歩き、実際に目にして手に触れたさまざまな「もの」から、思索の幅を広げ深めていく。歩いた距離と見聞した「もの」の数からいえば、私は日本の学者の中でもかなり上位に入るのではないかとひそかに思っています。
今回いただいた「日本人の死生観」というテーマについても、まずは具体的な「もの」の話から始めたいと思います。
私が2024年まで勤めていた東北大学には医学部があります。その敷地内に「惜命碑(せきめいひ)」と呼ばれる石碑があります。研究の過程で命を失った実験動物たちを供養する慰霊碑です。日本の医学部や研究機関では、このような慰霊碑があることは決して珍しくありません。
東北大学敷地内に建つ「惜命碑(せきめいひ)」(写真:佐藤弘夫氏、以下同)
ところが、海外ではそうではないのです。20年以上前、アジア諸国における実験動物の供養について調べたことがありますが、日本以外の国では動物慰霊碑の事例をほとんど見出すことはできませんでした。中国や韓国でわずかに見られた供養碑も、日本の影響を受けて建てられたものでした。実際、東北大学の動物慰霊祭に参加していた中国人留学生は、「私の国ではこういう儀式を行ないません」と話してくれました。
動物供養は研究用の動物に限定されません。家畜として育てられた牛や馬、ペットとして飼われてきた犬、猫、鳥類、さらには野生動物の熊、鹿、サルに至るまで、多種多様な供養碑が各地に建てられています。くじらの追い込み漁で知られる和歌山県太地町には、「くじら供養碑」も存在します。
さらに注目すべきは、日本では人間や動物だけでなく、草木の類、道具・器具といった無生物までもが供養の対象となっていることです。東北地方、とくに山形県の置賜地方には多くの「草木供養塔」が見られます。山仕事に従事する人びとが、伐採した木や刈り取った草に感謝と鎮魂の思いを込めて建立したものです。無生物の供養といえば、折れたり錆びたりして使えなくなった針を豆腐や蒟蒻などに刺して労う「針供養」や、役目を終えた雛人形や市松人形などを納める「人形供養」があります。近年では、使い古したコンピュータを供養する「電脳供養」まで行なわれています。
役目を終えた雛人形や市松人形などを納める「人形供養」
人間以外の存在を供養の対象とするのは、世界的にみても極めて珍しい現象です。なぜ日本では、これほどまでに人ではないものたちを丁重に弔うのでしょうか。
この疑問を解き明かすカギは、日本人が長く抱いてきた世界観(コスモロジー)にある、というのが私の見立てです。
現在、わたしたちは日本で生を享け、日本で生活しています。しかし、地域や時代が異なれば、そこには全く違う空間が広がっています。一歩海外に出れば、日本の常識や価値観が通用しないことがよくありますし、日本国内であっても時代を遡ると、現代人の尺度では理解できない世界が存在しているのです。
では、かつての日本社会を覆っていたコスモロジーと、現代人が共有するコスモロジーの間は、どのような違いがあるのでしょうか。
現代では、「世界や社会は人間によって構成される」という前提が、ほぼ疑うことなく受け入れられています。社会を構成する主体は人間であり、だから動物には選挙権がない、というわけです。しかし歴史を遡れば、この前提は決して自明のものではありませんでした。
たとえば、現代でもその名残が見られますが、中世ヨーロッパの都市では、街の中心に教会が置かれました。日本でも、寺院や神社が地域の要所に設けられていました。公共空間の重要な場所に、神仏のための施設が存在したのです。これは、神や仏が社会の不可欠の一員として位置づけられていたことを意味します。
神や仏だけではありません。死者、そして動物や植物、ときには無生物までもが、世界を構成する要素として認識されていました。人ではなく、神仏や死者のほうがこの世の「主役」とみなされるケースさえありました。人は、社会を構成する無数のピースの一つにしか過ぎなかったのです。
イギリスの作家E.M.フォスターに、『インドへの道』という有名な長編小説があります。イギリス植民地時代のインドを舞台に、英国人とインド人の複雑な人間模様を描いた名作です。
その中で、2人のイギリス人宣教師が、「神の恩寵」の範囲(天国にはだれが入れるのか)について議論するという、興味深い場面があります。
人間は神に似せて造られたから当然、神の恩寵の対象となる。サルは人間に近いから恩寵を受けることができるだろう。ジャッカルはサルよりは下等だけれども、哺乳類だから仲間に加えてよい。では、スズメバチはどうか。オレンジ、サボテン、水晶、さらには体内のバクテリアはどうか……。ここまで話が及ぶと、彼らは「それは行き過ぎだ」として議論を打ち切ります。
ここにあるのは、人間と人間以外を明確に区別するとともに、万物にランク(階層)を設けるという発想です。ヨーロッパのようなキリスト教世界では、神に似せて造られた存在として、人間を特別視する世界観が確立していきます。そして近代以降は、神の存在感が後退する一方で、人間そのものが特権的な存在として前面に押し出されていくのです。
人間は、みずからに内在する理性を発現していくことによって理想の生き方が可能となる。社会もまた人の進化に対応して、際限のない発展を遂げていく――デカルト以降の近代思想は、そのような前提の上に築かれました。人間が中心となり、世界を解釈し、支配していくことを当然とする世界観が、その背景に存在したのです。
それに対して日本列島では、前近代の世界観が後世まで長く影響を残していました。社会は人間だけで構成されているのではなく、神仏、動物、植物から命のないものまでが、世界のあり方に関与しているという感覚です。
そのような世界観のもとでは、あるべき生き方とは、人間のみが主体性を発揮して思うがまま生きていればいいということにはなりません。この世界を構成する人と万物が、いかにうまく調和していけるかという点が重視されることになります。
近代ヨーロッパと日本の世界観の違いを、別の角度から考えてみましょう。近代の西欧で発展した「哲学」では、「人はどう生きるべきか」という問題が真っ向から論じられます。日本でもそういったタイプの哲学が全くないわけではありません。明治維新を経て近代化が進展すると、西欧哲学の影響を受けて人生観が盛んに語られるようになります。西田幾多郎と京都学派の哲学はその代表的なものです。
しかし、近代でもそうしたタイプの哲学は日本の思想の主流にはなりませんでした。日本では伝統的に、いかに生きるべきかが声高に論じられることはなく、寓話や説話のなかに、あるいは祭りなどの儀礼のなかに、人生の知恵が埋め込まれるという形が取られてきました。その流れを受けて、近代になっても「人はどう生きるべきか」というテーマが正面から論じられるケースは少なく、宮澤賢治の文学のように、他者との関係性を描いた物語に深い思索が散りばめられることになったのです。
仮に、個々人における理性の発現と主体性の確立を至上視する西欧近代思想を、「主体性の哲学」と呼ぶことにしましょう。それと対比したとき、万象の調和を重んずる日本のような思想は、「関係性の哲学」ということができるのではないでしょうか。どちらがいいか悪いかという問題ではありません。両者の間では、目指すべき人生のあり方そのものがはっきりと異なっているのです。
日本では、生物・無生物問わず、世界の多種多様な構成員との間に結ばれる「縁」や「関係」をいかに調和的なものにしていくかが、理想の生き方として長く追求されてきました。今も日本列島で営まれる人以外の存在に対する手厚い「供養」は、そうしたプロセスを経て身についてきた日本人の肌感覚の象徴のように思われるのです。
*本原稿は、日本の文明的な性格がいかなるものかを顕在知として表出していくことをめざす「日本文明研究会」の内容を記事化したものです。
更新:08月27日 00:05