2026年05月11日 公開

短く刺激的な情報ばかりが消費される時代に、あえて"長いコンテンツ"を届けるメディアとして「音声」が再評価されている。可処分時間の奪い合いが激化するなかで、コンテンツのあり方はどう変わるのか。Podcastプロデューサーの野村高文氏に話を聞いた。
★本論稿は、意見集約プラットフォーム「Surfvote」と連動しています。
※本稿は、『Voice』2026年3月号より、内容を一部抜粋・編集したものです。
――野村さんはかつて『Voice』の編集者として活躍されたのち、外資系コンサルティング会社やウェブメディアの編集部を経て、2022年に制作レーベルを起ち上げられました。現在ポッドキャストを中心としたコンテンツの制作に携わっておられますが、独立した背景について、あらためて教えていただけますか。
【野村】大きく三つの観点から音声コンテンツに魅力や可能性を感じたからです。
一つ目は、純粋にビジネスとして十分に成立すると考えたことが理由です。私が独立を決意した5年前には、海外ではすでにポッドキャストというジャンルでの大きな成功譚が世界を駆け巡っていました。2020年にジョー・ローガンがスポティファイと200億円を超えるとされる額で独占配信契約を結んだと知ったときには、かなりの衝撃を受けましたね。
その前年の2019年には、ポッドキャストの制作会社ギムレット・メディアが、非公開ですが相当高い金額でスポティファイに買収されました。米国のマーケットが音声コンテンツの世界を、有力な「投資先」として目をつけていたわけです。よく米国のトレンドは10年遅れて日本に届くなどと語られますが、これらの動きを見て、遠くない将来に日本でも音声コンテンツが流行すると確信しました。
二つ目は、個人的な体験の話になります。私はウェブメディア編集者時代、TBSラジオ「荒川強啓デイ・キャッチ!」に週に一度、ニュースを解説するコメンテーターとして出演していました。そんなある日、タクシーに乗っていると、私の声を聞いた運転手の方から「お客さん、ラジオ出ていますよね?」と話しかけていただくことがあったのです。音声コンテンツは私が想像する以上に、人びとに届きやすく、記憶に残りやすいメディアであると肌で感じた印象的な出来事でした。
三つ目はいまも強く抱いている問題意識なのですが、私は紙やウェブの編集者時代には、何千字という「長いコンテンツ」を制作してきました。しかし年々、そうしたコンテンツは受容されにくくなっています。言うなれば、細切れの状態で消費されている。そんな状況で「長いコンテンツ」を届けるには何をするべきか、一編集者として独立前から真剣に考えていました。そうした思いもあり、音声コンテンツでチャレンジしたいと思い立ったのです。
――長いコンテンツを届けるうえで、音声という媒体はどこに強みがあるのでしょうか。
【野村】長いコンテンツが受容されなくなった理由を考えると、スマホの登場によって、我々が短い時間しか集中できなくなっていることが背景に挙げられるのではないでしょうか。スマホの画面を見ていると、断続的に表示されるプッシュ通知に象徴されるように、じっと集中して一つのコンテンツを見たり読んだりすることは難しいですよね。新たなテクノロジーによって、我々はそのように「作り変えられてしまった」とさえ言えるのかもしれません。
こうお話しすると、「スマホを置いて、紙の本を読めばいいじゃないか」という意見もあるかもしれません。でも世の中には本を読んでいる最中でさえ、スマホが気になる人が少なくないはずです。
ところが、スマホから受容するコンテンツで唯一、画面を見続ける必要がない媒体がある。それが音声です。画面を見ずに受容するという特性は、そのまま音声コンテンツの特性や可能性につながります。まず、ポッドキャストを流しながら料理や洗濯などの家事や運動、移動ができます。
また、つまらないからといって聴いているコンテンツをすぐ変えることも比較的少ない。ショート動画をスワイプするように番組を変える構造ではないし、料理している最中ならば、その途中にスマホは触らないでしょうから少なくとも20分や30分は一つの番組を聴いてもらえる。いまの時代、コンテンツを届ける側にとって、それだけまとまった時間を確保してもらえることが、どれだけ貴重なことか。以上から、私は音声こそが長いコンテンツを届けやすいメディアだと考えています。
――そもそも、長いコンテンツを届けることの意味について、どのように考えているのでしょうか。
【野村】誰しもが目の前の課題を解決するため、ヒントや答えを得ようとネットを検索したことがあるでしょう。結果、課題を解決したり、生産性を向上させたりする価値は否定されるべきではありません。ですが私は、そうして情報を得るだけでは、「自分がいまいる空間」の外には出られない、と思うのです。よりわかりやすく言えば、ネット検索を通じていまの自分の課題は解決されても、人生や物事の見方を変えるような情報と出会うことは難しいように考えているのです。
私が大切だと思うのは、偶然見聞きした情報を日常生活のなかに取り込むことです。以前であれば、本や映画などの長いコンテンツからさまざまな気づきを得ていたはずですが、スマホが普及して集中力が続かなくなっているいま、音声コンテンツがその役割を担えるのではないでしょうか。
――長いコンテンツを届けるうえで、たとえば動画は有効なメディアではないのでしょうか。
【野村】もちろん可能性はあるはずです。ただ、少なくとも現在は目立つサムネイルでいかに人目を引いてクリックさせるか、という世界でしょう。私自身がつくりたいものとは違う、というのが率直な感想です。
ユーチューブとポッドキャストを比較すると、前者はアルゴリズムに評価されるか否かで再生回数にバラつきが出ます。すると制作側は、ユーザーが求めるコンテンツのみ量産することになる。それに対して、ポッドキャストは良くも悪くも毎回の再生回数は大きく変わりません。すると、自分が大事だと思った情報を比較的躊躇せず発信できるし、世の中に対してアジェンダをセッティングしやすい。コンテンツをつくるうえではマーケットインとプロダクトアウトのいずれも重要ですが、これらを両立しやすいのが音声というメディアなのです。
――長いコンテンツを届けてアジェンダをセッティングするという意味では、論壇誌が本来めざすべき方向性とも重なりそうです。
【野村】私もそう思いますね。かつて『Voice』を編集していた経験も、いまこうして音声コンテンツを制作するうえでの問題意識につながっています。アテンションに左右されることなく、本当に必要なことを議論するという意味では、論壇誌とポッドキャストは役割が近いのかもしれません。
――昨今メディアでは情報が氾濫することの危険性が強調されていますが、野村さんは本書で「情報を我慢することが正解だとは思わない」と指摘されています。私たちはこれから、どのように情報と向き合うべきでしょうか。
【野村】情報自体はニュートラルだと思うんです。良い影響も悪い影響も及ぼすことがある。一方で、食べ物と一緒で、生きていくうえで必要不可欠で、完全に情報を遮断して生きることは現実的ではないでしょう。いま問われるのは、食事で言えばダイエットと同じく、「口に入れるもの」の質ではないでしょうか。
刺激が強かったり、わかりやすかったりする記事は読んだ瞬間は気持ちよくなります。しかし次第にそうした情報に振り回されてしまったとき、はたして健全な状態と言えるでしょうか。我々自身が情報に対して主導権を握ったうえで、質の良いものを選ぶべきでしょう。そう考えたとき、長いコンテンツを届けうる音声メディアは、これからの時代に少なくない役割を果たせるはずです。
更新:05月12日 00:05