2026年03月18日 公開

世界中の「政治の中心」であり続けた経済成長。 しかし、私たちはこの冷戦期に生まれた思想を、 現代に至るまでアップデートできていないし、 なかには「脱成長」を提唱する識者も存在する。 私たちがめざすべき「成長のかたち」とは――。(取材・構成:大野和基)
★本論稿は、意見集約プラットフォーム「Surfvote」と連動しています。
※本稿は、『Voice』2026年2月号より、内容を一部抜粋・編集したものです。
――(大野)日本も含め、各国の政治リーダーは経済成長の必要性とその手段について国民に向けて声高に訴えることにより、支持を得ようとしています。つまりは経済成長を目的化してきたわけですが、そうした潮流の歴史的背景をどのように整理されていますか。
【サスキンド】経済成長は今日では「政治の中心」にありますが、じつのところ、それを追求するという考えが生まれたのはごく最近のことです。1950年代以前には政治家や政策立案者、経済学者などを含め、経済成長についてはほとんど語られていませんでした。
経済成長が今日のような優先事項となった経緯は興味深いものです。第2次世界大戦後、戦争で疲弊したイギリス政府は、自国の経済規模の程度を把握する術をもっていませんでした。そこでイギリスの偉大な経済学者であるジョン・メイナード・ケインズが、経済規模を測る信頼できる指標に着眼した。それが私たちもよく知るGDP(国内総生産)です。
その後の世界で、GDPの増加を容赦なく追求すべきという考えが一般的になったのは、実際の戦争(hot war)ではなく米ソの冷戦(cold war)の結果です。アメリカとソ連は実際に戦火を交えませんでしたが、ならばどちらがこの競争に勝利しているかをいかに見極めればよいのか。その指標として、互いの経済成長の度合いを参照するという感覚が芽生えたのです。
冷戦とは資本主義と共産主義という、経済活動を組織するまったく異なる二つの思想と手法のあいだで行なわれた争いであり、こうして「経済成長政策の時代」が始まりました。
その後、20世紀の終わりに冷戦は終わりを迎えましたが、戦争からの必要性は薄れたものの、経済成長の思想は依然として残りました。なぜならば、経済の成長が人間の繁栄の多くの尺度と結びついていると考えられたからです。こうして私たちはいまに至るまで成長にこだわり続け、追求すべき優先事項に掲げ続けているのです。
――あなたは新著『GROWTH』(上原裕美子訳、みすず書房)で、自然環境の破壊や、地域の文化やコミュニティの荒廃など、かつてないほど大きくなっている経済成長の代償を指摘されています。経済成長至上主義の功罪については、どのように認識されているでしょうか。
【サスキンド】まさに本書の核心ですね。いまお話ししたように、経済成長は人類の繁栄を測る多くの尺度と関連しています。だからこそ、私たちはさらなる成長を切望しているし、政治指導者たちもそれを実現させようとしてきた。他方で、経済成長は伝統的に気候変動などによる生態学的破滅に結びつくとも語られてきました。
ただし私が本書で主張しているのは、そうした論調でさえも、成長にまつわる「真のコスト」を過小評価しているのではないか、ということです。
経済成長が呼び起こすデメリットは、何も気候変動だけではありません。社会における不平等の拡大とも関連づけられるし、AIなどの技術の発達は私たちの仕事や政治にも破壊的な影響を及ぼすかもしれない。とくに経済成長と密接な関係にあるグローバル化は、特定の産業の喪失や、地域のコミュニティの壊滅とも関連します。経済成長は、近年指摘される社会課題のほぼすべてとつながっているのではないか。
もちろん、成長がもたらすメリットもあるので、私たちはいま相反する二つの方向から同時に引っ張られているようなもので、まさにジレンマに直面している状況だと表現できるでしょう。
――日本でも「脱成長」を掲げる識者が一定の支持を集めています。しかし「脱成長」は、ともすれば人びとをいまより貧しくする可能性があるかもしれません。この点について、あなたはどう考えますか。
【サスキンド】あえて端的に言うならば、もしも「脱成長」を本気で追求するのであれば、それは人類がみずからにもたらすもっとも破滅的な自傷行為の一つとなります。「脱成長」とは、世界の一人当たりGDPを現在の水準のまま凍結することを意味するかもしれない。それはつまり、世界の何十億の人びとを極度の貧困のまま放置することにつながる。
「脱成長」を掲げる人びとが、その考え方が気に入らないと言うのであれば、豊かな先進国に住む人びとの所得を大幅に削減する方法などを見つけなければいけません。しかし、あらゆる事情や権利に鑑みたとき、それは現実的に考えて可能な選択肢と言えるでしょうか。
実際にもしも成長が鈍化すれば、政治的な不満や社会的な怒りがこの世界を覆うでしょう。その波紋が広がれば、各国でさまざまな混乱が起きることは火を見るよりも明らかです。もしかしたら、当面や今後10年など時限的に成長を抑えるという論調であれば、いくらかは検討の余地があるかもしれません。しかし、将来ずっと成長を停止すべきという主張であれば、それは想像力の欠如と言わざるを得ない。
とはいえ、「脱成長」を掲げる人びとの主張にも耳を傾ける価値があります。先ほどお話ししたように、経済成長は並外れた代償を伴います。その現実から目を背けずに、何らかの対策を講じなければいけないという指摘については、私も強く賛同するところです。
――あえて言い換えるならば、「脱成長」を提唱する人びとは、成長のデメリットを叫ぶことに重きを置きすぎていて、現実的な対策の議論が不十分ということでしょうか。
【サスキンド】多くの人が「成長」という概念について考えるとき、経済を列車に喩えると、運転士としてハンドルを引いてスピードを上げるか、奥に倒してスピードを落とすか、について議論しています。
すなわち、列車の前には線路が敷かれていて、基本的には前にしか進まないように、私たちが直面している唯一の問いは「成長をさらに望むのか、それとも抑えるのか」の二者択一であるかのように認識されている。しかし、私に言わせればそれは間違った比喩です。
私たちは列車ではなく、海上を進む船に乗っていると考えるべきです。マストに帆を張ってスピードを上げることも、その反対に下げることもできるだけでなく、進む方向について裁量権を与えられている。それこそがこの本で言いたかったことでもあります。
私たちは「成長を増やすか、あるいは減らすか」ではなく、「どのような成長を望むか」を議論するべきなのです。人類がより豊かになるとともに、自然環境をはじめ私たちが価値があると考えるものを守るような成長を追求することは、本当にできないのでしょうか。私は可能だと信じています。
成長の「質」を変えなければいけない
――本書の核心は「成長のジレンマ」をいかに乗り越えるか、という点だと思います。私たちは実際にどのようなアイデアを具体的に描き、それを実行に移すべきでしょうか。
【サスキンド】冒頭でご指摘いただいたように、いまや世界中の政治家や政策立案者が経済成長を実現することを目的とした政策を掲げて、国民の支持を得ようとしています。このときに大きな問題となるのが、経済活動における成長の要因について、多くの政治家が非常に古い見方に基づいて認識している点です。
たとえば、道路を広くしたり、鉄道網を張り巡らせたり、住宅を建てやすくしたりするなど、物質的な面だけを見て成果を上げようとしているケースが散見されます。たしかに、これらは成長を損なうものではありません。しかし、私たちがいま問うべきなのは、どうすればさらなる技術の進歩を生み出すことができるのか、いかにして資源をより適切かつ効果的に活用できる社会をつくれるのか、などのはずです。
そのためには、私たちは目に見えたり手で触れられたりする具体的なモノの世界から、目に見えないアイデアの世界に焦点を移したうえで、成長のあり方を追求しなければいけません。こうお話しすると、賛同していただける読者が多いかもしれませんが、実際にいま政治の世界で議論されているのは、往々にして物質的なモノに成長の源泉を求めるアプローチばかりです。
次に意識すべきなのが、成長の「質」を変える努力です。私たちが大切にしている価値を守るような成長を追求するには、どうすればいいのか。私が考えているのは、まず社会におけるインセンティブを変えなければいけない、ということです。
これまで技術の進歩といえば、私たちの暮らしをいかに豊かにするかが目的とされてきましたが、すでにフェーズは変わりつつあります。象徴的な例がやはり環境問題で、人びとはこのテーマを議論するときにかなり暗く悲観的になりがちですが、実際には近年、技術革新によって成長のあり方が根本的に変革されたことで、はるかに楽観的な見方もできます。
たとえば、二酸化炭素の排出量を削減するために代償として支払わなければいけない年間GDPは、この10年、20年のあいだで劇的に少なくなっています。私たちは環境へのダメージを軽減しながら経済成長を可能にするグリーン技術を、物凄いスピードで発達させてきました。世の中の望ましい規範や法律、慣習が私たちの暮らしを豊かにするのはもちろんですが、環境問題を解決する技術を開発・導入することを奨励する流れを生み出してきたのです。
このような技術の活用は、社会の不平等の解消や地域のコミュニティの維持など、環境問題以外の分野でも進んで実践していかなければいけません。これこそが「異なるタイプの成長」なのです。
――あなたが本書で用いた言葉を借りれば「directed growth or technological changes」(方向づけられた成長や技術変化)ですね。
【サスキンド】そうです。私たちがいま自問しなければいけないのは、どれだけ技術を向上させるかではなくて、どのような技術を欲するのか、ということです。実際に環境問題の分野では、その考えのもと再生可能エネルギーの技術が劇的に進化しました。私たちはより豊かになるだけでなく、二酸化炭素の排出量も削減できる技術を開発してきたのです。社会として、技術進歩の望むべき方向性を決めて、その結果として私たちが享受する成長の性質を変えなければいけません。
――具体的にはどのような取り組みが考えられるでしょうか。
【サスキンド】私はこれまでに、技術が仕事と社会に与える影響について研究し続けてきました。たとえば自動化が労働市場に与えるインパクトを見ていくと、二つの可能性が浮かび上がります。
一つは多くの人間の仕事が取って代わられることで、これは読者の不安を掻き立てて興味を引く見出しになるので、大衆紙などでよく目にする類の話でしょう。それに対して、自動化されない仕事を人間が行なうことについては、むしろ需要を高める可能性もあります。つまりは、ある種の有益な補完効果が生まれるかもしれない。
私たちが問うべきなのは、科学者やビジネスリーダーに対して、どのような技術を開発するように社会のインセンティブが機能しているか、という点です。わかりやすく言えば、労働問題においても私たちのことを助ける技術を開発するために必要な、規則や規制のあり方を検討しなければいけないのです。
――AIの導入や自動化によって、経済成長だけではなく、労働者がよりよい暮らしができる未来を築かなければいけないはずですが、そのために政府が最優先で果たすべき役割は何でしょうか。
【サスキンド】出発点として、成長とはそれ自体が目的であってはならないことを、政府は自覚しなければいけません。成長は目的を達成するための手段であり、その目的とは人類に物質的にとどまらない繁栄をもたらすことです。そのためにいかに技術を進歩させるかが、21世紀を生きる私たちに課せられたミッションと申し上げてもよいでしょう。
そのうえで、ご質問いただいた政府が果たすべき役割が何かといえば、技術の進化がもたらす繁栄をいかに分配するのか、その然るべき仕組みを整えることです。これは政府にしかできない仕事のはずです。
20世紀の国家では、賢い人びとが中央政府機関に座り、遠くから経済を指揮・統制しようとしてきましたが、もはや時代は大きく変わりました。そうした「巨大な分配国家」ではなくて、たとえ労働市場がその役割を効果的に果たせなくなった場合でも、国家が社会のなかで不平等が生じないように、繁栄の分配においてより大きな役割を担わなければいけません。
――あなたは本書で、市民が集まって大切な事柄について議論する新たな制度の必要性を指摘されています。民主主義のアップデートにもつながる議論と思いますが、市民参加の拡大がなぜ重要だと思うか、あらためて教えてください。
【サスキンド】私たちはこれまで成長を測定可能な問題として捉え、GDPという数字を追求してきました。しかしこれからは、環境や格差などの問題を解決することについても真摯に検討しなければいけない。これはある意味では、私たちは国家として、ひいては人類として何を重視するべきかという命題にもつながる話で、言うなれば道徳的な議論でもあります。
当然、一人ひとりで考え方は違うはずで、皆が100%納得するということは難しいでしょう。ですから私は、「バランスのとれた不満の状態」をつくるべきと考えているんです。必ずしも全員が結果に満足しているわけではなくとも、結果の決定について自分が何がしかの貢献はしたという正当性を感じられるような状態をめざすべきではないだろうか。そこで大きな役割を果たす必要があるのが政治なのです。
ただし私がいま懸念しているのは、世界中の政治指導者を見ると、はたして何を重視するべきなのか、そのうえでどのような不満が生まれるのか、という議論に市民をまったく巻き込んでいません。それは大きな誤りです。
社会として何を追求するべきかという道徳的な問題については、市民をもっと参加させたうえで考えなければいけないし、そのうえで生まれる不満に対していかにバランスをとるのか、政治が責任をもって考えなければいけません。そこで必要不可欠になるのが、国民のさらなる政治参加なのです。
――日本では、人口減少と高齢化が「成長の限界」の証拠として語られがちです。人口動態が厳しい社会においても、成長に代わる繁栄の概念は実効性をもちうるとお考えでしょうか。
【サスキンド】20世紀において、国の繁栄は労働力のスキルと能力への投資意欲にかかっているという考えが生まれました。いわゆる「人的資本の世紀」です。それに対して私は、21世紀における世界に関する最高のアイデアは、賢い人間の頭脳からではなく、AIのような高性能化するテクノロジーから生まれるだろうという考えを深めています。
これはもしかしたら、きわめて挑発的な問いかもしれませんが、同時にきわめて重要なテーマでもある。実際、本書でも記しているように、人間ではなくAIが驚くべき発見をして、イノベーションと生産性の向上を推進している事例はすでに数多く存在しています。
そう考えると、今世紀が進むにつれて、従来重視されてきた人口動態への関心や懸念は、経済成長を考えるうえではそれほど重要でなくなるかもしれません。今後の経済成長は、AIのようなますます高性能化するテクノロジーへの投資意欲から生まれるものになるのではないでしょうか。
さらに言えば、本日申し上げてきたように、成長の概念そのものを考え直すべき局面ですから、少なくとも従来の価値観で人口減少のデメリットを捉えるべきではないでしょう。
――かつて世界2位を誇った日本経済は長期停滞を続けており、国内ではその点が大テーマとして議論され続けていますが、意識を変える必要がありそうです。
【サスキンド】まさにその通りです。経済活動に関する旧態依然とした考え方に囚われてはいけません。私たちがめざすべき成長は、新しいアイデアの発見から生まれるのですから。そしてそれは技術進歩から生まれる。ですから、日本の政治指導者や政策立案者にとっての課題は、新しいアイデアを生むイノベーションを起こすことであり、そのための仕組みや制度を整えることです。
――ところで、日本では女性で初めて高市早苗氏が首相に就きましたが、彼女はマーガレット・サッチャーを尊敬していると公言しています。日本ではサッチャーはポジティブに評価されていますが、あなたが住むイギリスでもそうでしょうか。
【サスキンド】率直に言えば、尊敬と批判の両方が入り交じっていますね。彼女が首相になった一九七〇年代の終わりは、イギリスはまさに混乱状態にありました。彼女はその状況下において、素晴らしいビジョンのもとに並外れた仕事をした。
一方で弱者に対してはある意味冷酷で、社会格差を広げたのも事実です。たとえば、炭鉱や重工業の拠点を大量に閉鎖し、多くの地域が衰退を経験しました。また、福祉の削減によって貧困層が苦しんだ、という評価も非常に根強いですね。
その意味では、サッチャーはイギリス史上もっとも評価が分かれる首相の一人と言っても過言ではありません。少なくとも日本で語られているように、尊敬という言葉だけが当てはまる女性としては認識されていないことはたしかです。
更新:03月20日 00:05