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なぜ日本の避難所は変わらないのか 抜本的な改善に必要な人権意識

2025年12月24日 公開
2025年12月24日 更新

石井美恵子(国際医療福祉大学大学院教授/同災害保健医療研究センター副センター長)

防災庁

災害が起きたとき、避難所は「とりあえず身を守る場所」だと考えられてきた。しかし国際社会では、避難所は人命だけでなく、人間の尊厳や健康を守る場であるという考え方が共有されている。本稿では、難民キャンプの教訓から生まれた国際基準「スフィア基準」を手がかりに、日本の避難所・避難生活が抱える課題について考える。

★本論稿は、意見集約プラットフォーム「Surfvote」と連動しています。

※本稿は、『Voice』2025年11月号より抜粋・編集した内容をお届けします。

 

難民キャンプとスフィア基準

複雑な緊急事態(Complex Emergencies)という言葉をご存じでしょうか。災害医療の分野では、災害の種別によって自然災害、人為災害、複合災害、複雑な緊急事態の4つに分類します。米国では、この4つに人間が技術を開発しなければ発生することはなかった災害として技術災害が加わり、5つに分類されています。東京電力福島第一原発は技術災害と捉えることができるかもしれません。

さて、複雑な緊急事態とは内部紛争と大規模な人びとの避難、大飢饉または食料不足、脆弱または失敗した経済的、政治的、社会的制度、自然災害などに影響されて複雑な緊急事態をもたらすと定義されます。一般的には難民が発生するような事態で、難民キャンプが国際基準を満たさない場合には多くの人びとが生存危機や健康危機に晒されます。

1994年ルワンダ紛争による避難民が難民キャンプで多数死亡したことを受けて、1997年に非政府組織(NGO)グループと国際赤十字・赤新月社運動によって、スフィアプロジェクトが開始されました。1998年に難民や被災者に対する人道憲章と人道対応に関する最低基準を定めたスフィア・ハンドブックが取りまとめられました。

災害や紛争の被災者には、「尊厳ある生活を営む権利があり、援助を受ける権利がある」、「災害や紛争による苦痛を軽減するために、実行可能なあらゆる手段が尽くされなくてはならない」として、尊厳のある生活への権利、人道援助を受ける権利、保護と安全への権利を保障しようとするものです。

 

令和8年度防災庁設置に向けて

2024年11月1日石破茂総理は、発災後早急にすべての避難所でスフィア基準を満たすことができるよう事前防災を進めるとして防災庁設置準備室を設置しました。2025年1月24日第217回通常国会で、赤澤亮正防災庁設置準備担当大臣が「人命と人権を守る防災庁にする」と発言されました。これまでの日本の防災行政では「人命の保護」のみがうたわれ、人権や尊厳への言及はありませんでしたので、日本の防災行政が大きく変わるという期待と希望を感じました。

そして、2025年1月30日に防災庁設置準備アドバイザー会議が開始され副主査を拝命いたしました。約半年間に8回の会議が集中的に開催され、各分野の専門家20名による議論やゲストスピーカーの意見聴取などが行なわれました。

しかし、さまざまな視座、立場があるのだとは思いますが、「避難所なんか良くしたら人は出ていかなくなる」「仮設住宅なんか良くしたら人は居ついてしまう」「水と電気さえあれば災害関連死にはならない」「南海トラフ地震で想定される災害関連死は5万2000人に対して、直接死は最悪で29万8000人に及ぶため避難所環境の改善より耐震化の強化や高台移転などの事前防災が優先」「日本には、1230万人の避難者を救うリソースはない」などの意見が飛び交い、日本の人権意識の危うさを感じざるを得ませんでした。

国際人権では、政府の3つの義務として、①人がすることを尊重し、不当に制限しない尊重義務、②人を虐待から守る保護義務、③人が能力を発揮できる条件を整える充足義務があると定義されます。もし、政府が被災者を救えないとするならば、私たちは国連高等難民弁務官事務所等の国際社会に国内避難民、つまりは難民なので助けて下さいと訴えなければいけない事態となる、ということを意味します。

少子高齢社会、人口減少が進む縮小社会、失われた30年によってGDPも2024年にはドイツに抜かれ4位となりインドにも抜かれようとしているとはいえ、先進国として能力は失われてはいないはずです。

さまざまな議論が展開された末に防災庁設置準備アドバイザー会議の報告書が取りまとめられ、2025年6月4日に赤澤大臣への報告書の手交が行なわれました。この報告書に、迅速な被災者支援の実現、スフィア基準を踏まえた避難生活環境の抜本的改善、避難所運営に係る訓練の実施・標準化が主な取り組み事項として明記されたことは画期的であると評価しています。

日本には1741の基礎自治体ごとにさまざまな避難所が設営され、格差が生じたりもしていますので、日本全国どこでも標準化された避難所が設営されるようになることを期待しています。また、基礎自治体の防災担当部門と教育委員会との縦割り行政の影響で実現が難しかった指定避難所への非常用発電機と空調設備の設置も推進できれば、避難所環境の改善が見込めます。

しかしながら、石破総理の退陣が防災庁にどのような影響を及ぼすのか、先行きは不透明であるようにも感じます。ただ、東日本大震災以降、避難所・避難生活の環境改善を訴えてロビー活動を続けてきました。防災庁の設置が示されたことを受け、ようやく避難所と避難生活の抜本的環境改善を実現する超党派議員連盟が結成されました。

2025年8月4日に第一回総会が開催され、日本の避難所・避難生活の課題とイタリアの避難所対策について紹介させていただきスフィア基準の重要性を共有することができました。党派を超えて、国会全体で人権をまもる防災庁の設置を実現するように働きかけていきたいと思っています。

 

日本の避難所・避難生活の課題と健康問題

避難所のトイレ
花壇を掘ってつくったトイレ

日本の避難所・避難生活の課題として、災害関連死の発生ということに注目が集まりがちですが、多くの被災者が健康危機に晒された帰結としての災害関連死であると認識する必要があります。厚生労働省は、避難生活で生じる健康問題として、感染症、慢性疾患の悪化、深部静脈血栓症いわゆるエコノミークラス症候群、生活不活発病、夏季ならば熱中症、冬期ならば偶発性低体温、便秘、心理的ストレスがあると指摘しています。このような健康危機によって、リスクが高い高齢者等が災害関連死に至ってしまうのです。

2004年中越地震では深部静脈血栓症と肺血栓塞栓症、いわゆるエコノミークラス症候群による死者が報告され、2011年東日本大震災では避難所等における生活の肉体的・精神的疲労を原因とする震災関連死が発生しました。災害による直接死を免れた避難者の死は、避難所や避難生活の環境が整備されていれば防ぎ得たといえます。

日本の指定避難所の多くは、生活に必要な環境が整備されていない小中学校の体育館や公民館などです。プライバシーの確保は疎か、ライフラインが途絶し電気も冷暖房もない環境で床に雑魚寝というのが昭和初期から続く日本の避難所です。寒冷地であっても災害発生直後にはブルーシートに毛布が配られ、寝袋が支給されることはありません。上下水道の被害によって建物内にある水洗トイレは使用できなくなり、量的にも質的にも余りにも不十分なトイレ環境となります。

東日本大震災では、学校の体育館横に穴を掘りブルーシートで囲ってトイレとして使用した避難所もありました。2024年能登半島地震では、花壇を掘ってトイレをつくった避難所や、バケツをおまるのようにしてトイレとして使用した避難所もありました。

衛生的で十分な数のトイレがないと避難者は水分摂取を控えます。東日本大震災で深部静脈血栓症が確認された人は、トイレへ行く回数を減らしていたという報告があります。能登半島地震の被災地では、発災から1週間程度の期間における一人あたり一日の水分摂取量は300ml~500mlであったという記録が残されています。

成人に必要な一日の水分摂取量は1500ml~2000mlです。水分摂取不足は、深部静脈血栓症のみならず心筋梗塞や脳梗塞のリスクも高めます。食事の支給も十分ではなく、何とか被災地へ届けられるのは冷たいおにぎりや菓子パンでタンパク質やミネラル、ビタミンなどの栄養素が不足します。

日本の給水車はポリタンク等に給水することを目的に運用されるため、水道の代替システムがなく流水による手洗いや洗浄ができなくなります。水道の代わりにアルコールの手指消毒薬などが設置されますが、皮膚が乾燥するため使用を控えたりします。

また、アルコール消毒では予防効果のないノロウイルスなどによる感染症が避難所で発生することもあります。自衛隊による入浴施設はすべての避難所には設営されないため、東日本大震災から1か月が経過しても洗髪も入浴もできなかった避難所も複数確認され、十分な着替えもない状況で洗濯もできませんでした。

日本の避難所・避難生活の現状がイメージできたでしょうか。テレビで見る避難所と実際の避難所では大きなギャップがあるかもしれません。日本の被災地では、それまで存在した現代文明が一気に失われてしまい、日本の初期文明の時代に遡るようにすら感じられます。

 

なぜ、日本の避難所・避難生活は変わらないのか?

イタリアの避難所
イタリアの避難所

イタリアでは、1960年代に大規模災害が相次いだことや改革の70年代という時代思潮などから1970年12月8日法律第996号「被災人民の救援・救助、災害防護に関する規定」が成立しました。

1992年2月24日には法律第225号「災害防護国民サービス設置法」が成立し、市民保護局の設置や避難所の設営・運営に関する標準化も推進されました。48時間以内に家族単位でプライバシーが保たれるテントが設営され、水洗トイレ・シャワー・手洗いが設備されたトイレカーの設置、食中毒やアレルギーにも配慮したキッチンカー、冷蔵庫・冷凍庫、洗濯乾燥機などが配備されスフィア基準に基づいた対応がなされます。

避難所の設営・運営に被災地の行政職員は関与しません。行政職員も被災者であり、援助を受ける権利があるとして、100時間程度の教育・訓練を受け、国に登録された企業等に勤務する専門職やボランティア団体に所属する人びとなどが被災地外から支援に行き避難所の設営・運営にあたる体制となっています。

避難所のキッチンカーキッチンカー

日本では1995年阪神・淡路大震災の教訓から、災害拠点病院の整備やDMAT体制の整備等、災害医療体制の整備が図られましたが、Health(保健)という広い概念での体制整備には至りませんでした。なぜ、日本の避難所環境は変わらないのか、または変われないのでしょうか。

被災者支援の本質は人道支援であり、人命救助、苦痛の軽減、人間の尊厳の維持及び保護のための支援と定義され、人間の安全保障の確保のための具体的な取り組みの一つであるとされます。身近な人間の安全保障として、火災発生時に住民や地域を守るための組織として総務省・消防庁があり、各地域には消防署があります。消防車や救急車を税金の無駄だとは認識しないのが一般的です。

しかし、イタリアのような避難所の設営・運営の話となると、予算の確保はどうするのかという意見が多く聞かれます。イタリアの市民保護局の年間予算は4000億円くらいで、日本の人口比で試算すると6000億円程度になるそうです。日本の国家予算レベルで実現不可能な金額とは到底思えません。

イタリアの災害対策・対応の専門家らは、哲学のない災害対応はうまくいかないと指摘します。イタリアでは高校の必修科目に哲学があり、Well-beingの語源とされるベネッセレということを大切にしているそうです。

さらには、情緒的ではなく合理的な思考に基づき、被災者(避難者)を幸せにすることをめざしています。被災によるストレスに晒された人びとに、快適な生活環境や温かい食べ物を提供して回復を促進しようとする試みなのです。個人の回復の促進は、地域の復旧・復興の促進にも繋がります。

日本では、災害時だから仕方がないとして我慢を強いる傾向があるように感じます。政府には助ける義務があり、その助けを要求する権利が人権であるという認識が欠如しているのではないでしょうか。

日本の人権教育は、自分の人権を守り、ほかの人の人権を守ろうとする意識・意欲・態度であるとして、優しさや思いやりをはぐくむことを目的とした「優しさ・思いやりアプローチ」が強調されています。これでは災害対応も自助・共助・ボランティア頼みとなり、被災者の権利としての公助への要求に繋がらないのではないでしょうか。さらには、公助は施しという感覚が潜んでいる印象もあります。

令和7年度の防衛関係予算は、防衛力整備計画等を踏まえて8兆7005億円(対前年度比+9.4%)が計上されています。

戦争は人間の叡智によって「始めない」ことができるかもしれませんが、自然災害を人間の力で「発生させない」ことはできません。自然災害の発生に対して何の責任も罪もない人びとが、それまで当たり前にあった人生や日常生活が奪われ、人権も尊厳もまもられずに「がまん」を強いられる社会からの脱却を防災庁に求めていきませんか。

日本には福祉避難所という概念がありますが、これは日本の避難所が福祉的ではないことの証左でもあります。国際的な避難所とは本来福祉的な場であり、すべての人びとは、適切な居住への権利を有すると定義されます。日本国憲法第25条には、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」と示されています。被災者にも保障された権利であるはずですし、誰もが当事者となり得るのです。

日本の避難所で何か月ものあいだ、生活したいと思いますか? 避難所環境の抜本的な改善には権利としての人権教育が必要なのかもしれません。

 

【石井美恵子】
医学博士(危機管理医学・医療安全学)。1995年、米国で危機管理システムや災害医療を学び、教育や医療支援活動に従事。日本災害医学会理事、避難所・避難生活学会理事 、防災庁設置準備アドバイザー会議副主査、外務省女性参画推進室女性・平和・安全保障に関する行動計画評価委員、東京都防災会議委員等、日経WOMAN 「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2012」 大賞受賞。

 

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