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中国・韓国との和解をどう実現するか? 歴史認識問題への向き合い方

2025年09月26日 公開

波多野澄夫(国立公文書館アジア歴史資料センター長/筑波大学名誉教授)

歴史認識問題

多面的でリアルな「戦争論」の展開を欠いた戦後日本。そして1990年代に入ると、中国や韓国などとの「歴史認識問題」に直面する。なぜ問題はこれほどまでに複雑化しているのか。そもそも私たちは「大東亜戦争」といかに向き合うべきか。前後編にわたって解説する。

※本稿は前後編の後編です。『Voice』2024年9月号より抜粋・編集した内容をお届けします。

 

世界史的に特殊だった「村山談話」と「菅談話」

現在でこそ鳴りを潜めているが、日韓のあいだでは今後も、いわゆる元徴用工問題や従軍慰安婦問題などが間欠泉のように噴出する可能性は排除できない。

そもそも、なぜこのような厄介な問題が生まれたのか。一つの原因は、1930年代後半からの極端なまでのヒトとモノの大量動員による総動員体制づくりが、植民地にまで及んだからである。とくに朝鮮半島における強引な徴用や慰安所の増設は多くの被害者を生んだ。

もう一つは、敗戦と植民地の放棄――すなわち帝国の解体が同時に起きたからである。この二つは、本来的には別個の問題であるが、日本の場合は敗戦と同時に植民地を手放すことになり、これが問題を複雑化した。

戦争とは国家間の争いであるから、生じた損害や損失はおのずから敗戦国が補償する。ところが、植民地の解体に際しては事情が異なる。植民地体制のもとで、個人が受けた被害は、国と国のあいだでは解決できないために、国と個人の問題にならざるを得ない。後述するように、この種の問題が戦後補償問題として顕在化するのは1990年代である。

ところで日本は、1951年にサンフラシスコ講和条約を結び、これを基点に東南アジア諸国とのあいだで二国間の平和条約・賠償協定を結んでいく。これらの条約網の束を「講和体制」と呼ぶとすれば、講和体制は一つの共通原則で貫かれていた。それは、戦争による被害や損失の請求権は、国家はもとより個人を含め、相互に放棄するという原則であった。戦争に伴う個人(国民)の被害や損失を国家に集約させ「一括処理」したとも言い得る措置であった。

こうして講和体制は、戦争に起因する諸問題を解決し、今後起こりうる問題も封じ込め、アジア太平洋の国際秩序の安定をもたらす基盤となる。この講和体制の枠組みは、1965年の日韓請求権協定や1972年の日中共同声明にも及ぶものとされ、今日に至っている。

この間、韓国との国交正常化交渉では、日本政府は韓国とのあいだでは戦争状態は存在しなかったので補償・賠償の問題は生じないという立場であった。韓国が自分たちを戦勝国の一員と主張したことで交渉はこじれたが、15年もの交渉の末に、ようやく1965年に日韓基本条約・請求権協定が結ばれた。

要するに、講和体制の定着で、戦争や植民地支配による被害は個人としても国家としても相互に補償を求めることは不可能になったのだ。ある自民党議員が「子孫に財政負担をかけない努力の成果」と誇ったのも故無しとしないのである。

ところが、1990年代に入ると、慰安婦問題や強制労働問題など、中国や韓国の個人被害者から日本の裁判所に提訴される事案が急増した。これが、いわゆる「戦後補償問題」である。それまで、この種の問題の顕在化を抑えていた冷戦が終焉し、また国内では自民党支配の揺らぎが講和体制の安定に動揺を与えたのである。

1980年代後半からアジア各国に民主化の風が吹き始め、韓国でも市民や女性団体の声が大きくなったことが背景にある。中国の民主化は滞ったが、それでも1989年の天安門事件の余波で政府が民意を無視できなくなった時期である。さらに、こうした動きを後押ししたのが、人権や人道を重んじる、いわば「国際社会の倫理化」という趨勢であった。

戦後補償問題に直面した当時の宮澤内閣は、講和体制の枠組みを維持しつつ、国家補償ではなくあくまで「道義的」観点から新たな「歴史政策」を模索する。「経済大国」としての責任という配慮も働いた。

その後、村山内閣時に、慰安婦問題に対処するための半官半民の「アジア女性基金」(正式名称「女性のためのアジア平和国民基金」)が立ち上げられた。総理大臣のお詫びの手紙と「償い金」の支給が柱であったが、とくに韓国は納得しなかった。国家補償推進派からは、アジア女性基金の事業は責任の所在を曖昧にするものという批判を浴びた。

世界史においては、植民地支配を謝罪して正式に償ったという事例は皆無であろう。フランスではオランド大統領の時代にアルジェリアとのあいだに同様の議論が起きたが、フランスは正式な補償には応じなかった。

さらに言えば、「村山談話」や日韓併合百年の「菅談話」などの対応は、世界史の流れから見ると特殊である。世界に先駆けて日本の誠意を示した事例とも言えるが、帝国日本の戦争は、3割におよぶ植民地の異民族の協力なくしてはなし得なかったという事情に配慮した結果と受けとめることもできる。

 

責任と結果に拘る中国の歴史観

歴史認識問題で難儀な点は、いまや領土問題と結びついていることだ。中国とのあいだには尖閣諸島問題、韓国とのあいだには竹島問題が厳に存在し、彼らはもはや、これらの問題は日本の植民地支配や侵略戦争と結びつく問題として認識している。たとえば、1998年の画期的な日韓共同宣言の和解の枠組みが機能しなくなったのは、2005年に竹島問題が浮上したからである。

2006年から09年にかけて、私は日中歴史共同研究に参加したが、歴史問題が外交問題化するのを抑えるという点では、当時の枠組みには意味があったと評価している。たしかに直接的な解決策には結びつかないかもしれないが、歴史について共同で研究したり議論したりする対話のプラットフォームを残しておくことは、紛争のエスカレートを防ぐ意味でも効果が見込めた。

ところが、その後の共同研究の継続について、日本側は外務省が準備していたが、中国側が応じなかった。研究の成果についても、彼らは国民に対して公表することについて非常に憚った。その結果、戦後部分の公表については合意が得られなかった。

中国側がとくに問題視したのが、東京裁判に関する記述だったと理解している。連合国(戦勝国)の一員として判事を送っている以上、彼らが、あの裁判は「侵略戦争」を糾弾する「正義の裁き」であったという立場を譲ることはあり得ない。もう一つ、公表を憚ったのは天安門事件の解釈であったと思われる。

さらに中国について言えば、現在の習近平政権下においては、状況の改善は望むべくもない。現政権が展開している歴史政策をふまえると、日中関係史も共産党史との関連で解釈され、日本と中国それぞれの描く日中戦争史が大きく乖離する点が懸念される。中国あるいは韓国でも、指導部の立場が研究の分野にも大きく影響することは肝に銘じなければいけない。

日本と中国そして韓国とのあいだで、もっとも違うのは「歴史」に対する考え方であろう。とくに中国は20世紀以降の戦争の時代を語るうえで、何よりも結果を重視する。

たとえば、1937年12月の南京事件では、日本側としては唐生智(とうせいち)という南京防衛司令官が徹底抗戦を叫びながら逃亡したことなどをふまえると、中国側にも責任の一端があるという理屈が成り立つが、彼らにそれは通用しない。あくまでも「虐殺」を繰り返した責任は誰かという「結果」のみが重要なのであり、プロセスを重視する日本側の見方とは溝がある。

 

いかに「和解」を手繰り寄せるべきか

私は先般、早稲田大学を拠点とする「和解学の創成」に関する共同研究に協力したが、そこでの教訓は「和解」とは達成目標と言うより、双方の持続的努力が必用とされる一種のプロセスにほかならないということだ。

とくに、「政府間の和解」、すなわち日韓国交正常化(日韓基本条約)や日中国交正常化(日中共同声明)などは、とりもなおさず政治的妥協の産物にほかならず、国民レベルの和解には程遠く壊れやすいということである。満足度の低い集団や個人が合意を忌避する可能性はつねに存在する。現に日中、日韓の歴史認識の問題はいまも解決に至っていない。

条約(法的)レベルの和解を国民レベルにまで定着させるためには、絶えざる双方の努力が必要である。だからこそ、双方向の対話を促す持続的なプラットフォームを形成しておくことが必要だと考えるのだ。

歴史認識問題とは、過去の事実がどうであったかというより、過去の事実に対する「現在のわれわれ」の認識にかかわる問題である。とすれば、たとえば、今日の日韓関係は、被害者と加害者という一種の強迫観念から逃れるべき時点にたどりついているように思われる。

一例に、日韓の歴史摩擦は、現実的な利害ではなく、過去の歴史に対する認識の問題によってもたらされるという特徴がある。利害の対立は調整や妥協が可能であるが、歴史の認識の隔たりは、植民地に対する理解の仕方を変え、共通の認識基盤をつくり出すことが重要である。

そのためには、戦前日本が非西欧地域で唯一、近代化に成功した国であるとすれば、韓国は植民地を経験した国のなかで例外的に、政治経済の発展という面で成功を遂げた国という、両国の国際的な位置づけが、まず必要に思われる。そのうえで、双方が共有できる未来を構想することが、日韓関係を築く礎となろう。

戦後70年(2015年)の誕生日に際し、同年4月のパラオ訪問をふまえ、明仁天皇(現在の上皇陛下)はこう発言された。

「年々、戦争を知らない世代が増加していきますが、先の戦争のことを十分に知り、考えを深めていくことが日本の将来にとって極めて大切なことと思います」

この問いかけに、日本人はどれだけ真剣に向き合ってきたのだろうか。私が、「大東亜戦争」という言葉に固執するのは、その大規模動員が徴用工や慰安婦を生み出したとしても、それらの「負の遺産」を含めて、多様な戦争の実態を次世代に伝える、いわば「通路」として意味を認めるからにほかならない。

その「通路」は、私たちが何を反省し、また民族として何を継承し、あるいは顕彰すべきかを考える「通路」にもなるだろう。

 

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