昨今、中国政府は沖縄に対して浸透工作を仕掛けているという。なぜ沖縄が狙われているのか? 国際政治学者の益尾知佐子氏と紀実作家の安田峰俊氏の対談を『Voice』2024年12月号より紹介する。
※本稿は、『Voice』2024年12月号より、より抜粋・編集した内容をお届けします。
【安田】最近の中国の特筆すべき動きとして、沖縄に仕掛けている浸透工作が挙げられます。この点について益尾先生は現状をどう見ていますか。
【益尾】中国は台湾問題に干渉しかねない日本への警戒心を高めています。日本を牽制するため、中国がいま目をつけているのが沖縄で、これは習近平個人の指令らしいです。
2012年に尖閣諸島問題が勃発したとき、中国が主張した理屈は、日本は台湾とともに自国に併合した尖閣を、第二次世界大戦後に中国に返還するはずだったのに、現在に至るまで盗んだままだ――というものでした。
でも日本からすれば、第二次世界大戦後の日本の領土はサンフランシスコ平和条約で決められたものです。ですから当時、日本は中国にそう主張しました。そのときから、中国国内でサンフランシスコ平和条約に関する研究が始まります。そこで彼らが着眼したのが、中国がサンフランシスコ平和会議に出席していなかった点です。
【安田】サンフランシスコ平和会議は1951年9月に行なわれましたが、大陸の中華人民共和国と、台湾の中華民国(国民党政権)のどちらを中国の代表として迎えるのか米英の意見が対立します。結果、いずれも会議には招かれなかった。そのことが現在、中国が条約の内容には肯んじないと主張する根拠となっています。
【益尾】1972年の日中国交正常化の際にも、中国はこの件に触れもしませんでした。しかし近年、中国国内ではこれで日本を攻めろという議論が高まっています。
昨年5月に開催された日経フォーラム「アジアの未来」では、中国社会科学院日本研究所の楊伯江(ようはくこう)所長が「サンフランシスコ体制はつくり替えるべきだ。中国は同条約を認めていない。東アジアのさまざまな問題はこれに起因する」と発言しました。彼と一緒に登壇していた私は「それではまるで中国が既存の国際秩序を壊そうとしているように聞こえますよ」と申し上げたのですがね。
楊氏の発言には、尖閣諸島だけではなく、沖縄に日本の主権が及んでいる現実をも揺さぶろうという意図が込められています。そして実際に、中国は沖縄の政治家や、琉球独立を掲げているような政治団体に接近している。中国大使館や総領事館が公的な外交ルートを使ってやっていますから、これは明確な内政干渉です。また、今年の9月には大連海事大学が「琉球研究センター」の設立準備を始めたと報道されました。
【安田】設立のプレスリリースに「琉球独立を望む声が明らかに高まっている」というディスインフォメーション(意図的な誤情報の流布)めいた文言があるなど、政治的な意図を隠していないことに驚きます。日本が台湾に口を挟むなら自分たちは沖縄について主張するべきだ、といった意見さえ、影響力が強い軍事系の「大V(ダーヴイ)」(インフルエンサー)によって主張されています。
【益尾】中国の統治下にない台湾と、自分から望んで日本に復帰した沖縄を同列に語ること自体に無理がありますが、中国は平気で主張してきます。ただし、これまで「沖縄は日本の一部ではないかもしれない」と言ってきていたのは基本的に歴史研究者や地域研究者でした。でも最近は、国際法の学者が動き始めています。
大連海事大学の「琉球研究センター」の設立準備会では、国際海洋法裁判所の裁判官を務めた著名な法学者である高之国(こうしこく)氏が挨拶し、「『琉球問題』は国家安全と祖国統一に関わり、政治的、歴史的な意義が大きい」と語っています。
高氏はかつて、中国が南シナ海に引いた「九段線」は、中国の歴史的な水域を示したものだという主張を、国際的に正当化するために奔走しました。
しかしこの「九段線」は、2016年に常設仲裁裁判所で明確に否定されます。その後、高氏は鳴りを潜めていたのですが、今回、沖縄絡みでふたたび表舞台に帰ってきた。つまり中国は沖縄に関して、歴史戦のみならず法律戦を仕掛けてきている。これはじつに厄介な動きです。
【安田】私が9月に上梓した『中国ぎらいのための中国史』(PHP新書)の「孫子」の章でも紹介しましたが、中国では江沢民政権下の2003年に「三戦(サンヂャン)」という作戦概念が提唱されました。
すなわち「輿論戦」「心理戦」「法律戦」という3つの非軍事的な手段を戦略レベルで運用し、孫子の兵法でいう「戦わずして勝つ」ことをめざす考え方です。中国はいま沖縄に対して、国際法などを用いて自国に有利な国際環境をつくり出す法律戦に踏み込んでいるわけです。
【益尾】その図式に綺麗に当てはまりますね。とはいえ中国側はかなり大っぴらに、沖縄の政治家や政治団体、そしてメディアに積極的にアクセスしていますから、孫子の兵法に則るのであれば、もっと慎重に工作を進めるべきという気もします(苦笑)。
【安田】近年の中国の動きは、現実的な戦略目標の達成より、官僚社会内部での「やってる感」アピールという動機もあるのでわかりにくい(苦笑)。ちなみに、米国はこうした中国の浸透工作について、どこまで把握しているのでしょうか。
【益尾】十分には情報収集できていないでしょう。ただし、中国は潜在的敵国に対して、世界各地で認知戦を仕掛けていますから、西側諸国が警戒を強めているのは事実です。こちらにとっては、認知戦の事例が多くなればなるほど、国際的な連携を組んでその手法を分析しやすくなる。中国の露骨な動きのおかげで、浸透工作を研究する研究者のネットワークが形成され始めています。
【安田】昨年6月4日付けの『人民日報』で、古書の版本を収蔵する中国国家版本館を訪問した習近平主席が、16世紀の明の官僚の琉球王国への出張報告書『使琉球録』を閲覧し、中国国内にある琉球墓と琉球館などについて言及したことが報じられました。
ちなみに習近平は福建省で勤務していた若手時代、友好省県提携を結んでいた沖縄県を何度か訪れたり、逆に日本側の友好訪問団を接待したりした経歴があります。なかでも福州市にあった琉球王国の中国側出先機関・琉球館については、1991年に習近平がみずから復元プロジェクトの旗を振ったという過去があります。
習近平は当時、琉球史を独学していたようで、今回の発言はその思い出話でした。ただ、独裁者である彼が沖縄について語り、それが『人民日報』で報じられるとなると、政治的には違う意味をもちます。
【益尾】おっしゃるとおりです。
【安田】この一件が、中国の対沖縄政策の転換を決定づけたと見られます。翌月には玉城デニー沖縄県知事が訪中しましたが、席次は従来よりも高かった。さらに、東京の中国大使館や福岡の中国総領事館の高官がしばしば沖縄を訪れたり、沖縄県庁からの訪問を受け入れたりするようになった。とくに今年春ごろまではほぼ毎月のように接触が見られました。習近平発言のすこし前まではこうした接触はほぼ見られませんでしたから、中国側のギアが明らかに切り替わったことがわかります。
一方、玉城知事は昨年11月に台湾を訪問する前、わざわざ「沖縄県は『一つの中国』政策を念頭に地域外交をしている」と、中国側に配慮した発言を行なっている。
「一つの中国」については、他にも日中共同声明の範囲を越えた言動が見られます。これは日中友好団体の日本国際貿易促進協会が沖縄県庁に食い込んで、彼らの中国認識を刷り込んでいるためですが、結果的に中国による沖縄の取り込みをアシストするかたちがつくられている。
中国自身の非常に興味深い動きとしては、今年3月、沖縄を管轄する中国駐福岡総領事館の総領事が楊慶東(ようけいとう)氏に代わったことが挙げられます。
日本に赴任する中国の総領事は、通常ならば中国外交部の「日本語閥」の専任ポストに近いのですが、今回の楊氏はモンゴル語専攻。日本のプロパーではありません。そんな彼が、なぜ福岡総領事に抜擢されたのか。
楊氏の経歴を調べると、もともと外交部の渉外安全事務司で働き、海南省三沙(さんさ)市の副市長に転じています。この三沙市は普通の都市ではなく、中国が占拠した西沙(せいさ)・南沙(なんさ)諸島を管轄する行政区で、一般住民もほとんどいません。
要するに、楊氏は外交部のインテリジェンス部門と、南シナ海の進出戦略の第一線で働いてきたという興味深い経歴をもつ人物です。彼が福岡総領事に据えられたことは、中国側の沖縄工作の意図を明確に示すものと見ていいでしょう。
【益尾】三沙市は海上民兵の会社を運営していますね。今回の人事は、中国側からの大きなメッセージとして受け止める必要があります。中国の沖縄浸透工作に対して、日本はもっと警戒を高めるべきです。
【安田】すくなくとも私の目には、沖縄県庁の警戒感の薄さははがゆい思いがあります。県庁筋に近いところからは「中国とはこれまでも(歴史的経緯からも自治体外交でも)仲良くしてきたから」「沖縄の平和の思いを伝えたい」といった、ホンワカした話も聞こえます。
しかし、中国との友好関係を深めることと、そのほかの国々と同じような関係を築くことはまったく違う意味をもつ。このことに無自覚であるように思えます。
先の大戦における沖縄の悲しい歴史と、現在の深刻な基地問題について、日本本土の無関心は大きな問題です。沖縄側に本土と異なる考え方があり、行政と世論とを問わず平和を求める感情が強いのも当然です。それでも、県側が中国と無防備に「交流」する自治体外交は、あまりにリアリズムを欠いていて危険です。
【益尾】私も沖縄の歴史や厳しい現状は大いに理解できます。でも沖縄がもしも中国との交渉や関係性をテコに、東京からよりよい条件を引き出そうとしているのなら、それは沖縄を米中新冷戦の最前線に位置付ける発想です。戦闘機や船で、日本や台湾威嚇しているのは中国です。
沖縄には、中国の人たちは東京に対する自分たちの不満をわかってくれるという声があります。でもそうやって工作員と交流して喜んでいると、いつしか相手に取り込まれてしまいます。沖縄が中国の明確な工作に緊張感を抱いていないことに、私はかえって危機感を覚えます。
【安田】沖縄県が事実上の対中接近を行なっていることは、地方自治の理念のもとでは制約しにくい。ただ、私は今回の深圳事件に際する日本政府側の対抗処置として、たとえば全国一斉で中国との姉妹都市外交の一定期間凍結を呼びかける、くらいの措置を検討してもよかったと思うのです。
全国一斉なら、沖縄県に「国から介入された」というしこりを残さず済みますし、そもそも沖縄以外の地域の、中国との自治体外交はさほど活発ではない場合がほとんどです。
【益尾】現実的に考えれば、自治体に与えられた権限を制約することは難しいでしょうね。私個人は、国際秩序が岐路に立ついまだからこそ、日本側から露骨な反中シグナルを送ることはやめたほうがよいのでは、と思います。中国は過度に反応しますから。
面白いと思うのが台湾の事例です。台湾は蔡英文(さいえいぶん)総統時代、安全保障を確保しつつ、他方で自分の経済や国民生活を守ろうとしていました。そのため、異なる分野の利益のバランスをとることに腐心していたのです。
米国は中国の台湾侵攻が「2027年までに起きる可能性が高い」と言っていましたが、その米国に対しても戦争の可能性を過度に強調すべきではないと説得したようです。安全保障のリスクを強調しすぎると、台湾への投資が減って経済が崩壊しかねませんから。
現在は国際秩序の移行期で、さまざまな脅威が存在しています。そのうちのどれか一つだけにフォーカスすると、全体としてはむしろ平和を損ねてしまうかもしれない。それぞれの脅威を適切に抑止しつつ、私たちの日常生活を運営し続ける工夫が必要です。
だからこそ、対中政策についても冷静に議論し続けるべきだし、そのためには私たちが中国の行動原理をよく理解する必要がある。隣国である中国とは長期的に付き合わざるを得ないのですから、彼の国をよく理解し、その力を利用しながら自分の体を守っていくやり方しかありません。
【安田】中国では歴史が現代に生きています。詳しくは拙著『中国ぎらいのための中国史』で書きましたが、外交戦略にも彼らの歴史への意識が感じられる。たとえば中国の一帯一路政策は、近年流行の地政学などでは、ランドパワーの国である中国がシーパワーも手に入れようとする野心的な試みであると説明されがち。もちろんその見方に異論はないですが、それだけでは説明が不十分というのが私の考えです。
昨年5月、広島でのG7サミットの裏で、陝西省西安市で「中国・中央アジアサミット」が開催され、ホスト役の習近平が一帯一路(陸のシルクロード)のもとでの協力関係の進展を呼びかけました。西安は往年の唐の首都・長安です。レセプション会場は唐の宮殿を模した巨大施設、歓迎式典も唐代風で催されています。
ただ、首脳が出席したカザフスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンの5カ国は、かつて唐の最盛期、その国土の一部が「西域(さいいき)」として唐の影響下にあった地域です。
長安はシルクロードの起点であり、唐の皇帝は「天可汗(テングリ・カガン)」という遊牧民風の称号ももっていて、西域諸国の朝貢を受ける立場にあった。中央アジアの旧西域諸国の"君主"を、中国の帝王たる習近平が「長安」に招いて唐代風の儀礼で接待する行為は、唐代の「天可汗」的な朝貢関係の結び直しという意図を強く感じさせます。
一帯一路のもう一つの柱「海のシルクロード」も、前近代の朝貢の匂いがします。明代、宦官の鄭和(ていわ)が永楽帝(えいらくてい)のもとで7回にわたり大艦隊を率いて南海遠征を行ない、東南アジアからインド、中東、東アフリカにまで朝貢網を広げたことがあるのですが、現在の「海のシルクロード」のルートは鄭和艦隊の寄港地とかなり一致する。
今年1月、モルディブのムイズ大統領が訪中した際、習近平が「600年以上前の明代に、鄭和がモルディブを訪れた」と語ったように、習近平は「海のシルクロード」諸国との交流で、しばしば鄭和を持ち出します。
習近平政権の一帯一路政策からは、かつての王朝時代の朝貢国を中国の潜在的な勢力範囲として位置付け、西側的な国際秩序とは異なる"中国の特色ある"国際関係を復活させようという思想を感じます。
今日話題にあがった沖縄に対する浸透工作についても、かつて琉球王国が500年にわたって中国に朝貢していたから、現在も勢力下にとどめたい、という意識が多少なりとも関係しているでしょう。中国史を紐解けば、現在の中国を見るうえでも役立ちます。
【益尾】習近平は、中国人の心のなかにある歴史上の中国像を理想にしているのでしょう。彼が、周辺国がおのずと頭を垂れるような偉大な中国を甦らせたいと考えていることは、最近の動向や状況証拠からも窺えます。
ちなみに、習近平が歴史に固執するのは、その経歴が影響しているのかもしれません。彼は文化大革命の影響もあって、小さいころにまともな学校教育を受けられずに育ちました。その後は村長なども歴任しながらキャリアを積み、ある意味では中国の土着の文化の影響を色濃く受けた人物です。
そんな自分に対して、強い誇りも抱いているでしょう。ですから彼の言説のなかには、マルクス主義への深い洞察はあまり見られませんが、中国で一般に語られる歴史的な中国像が頻繁に登場します。
【安田】習近平は首都である北京で生まれ、文革中には父親の故郷でもある陝西省で暮らしました。中華文化の根源で、皇帝のお膝元のような場所で育ち続けた人物です。もちろん、30代以降には福建省で働くなど別の世界も知るわけですが、強大な王朝時代への憧憬は大きいのでしょう。それが「中華民族の偉大な復興」のようなスローガンにもつながる。
彼の思想や理想を知るうえでも中国史への理解は必要不可欠であり、また政治やビジネスなど場面を問わず、現代中国や中国人と付き合ったり対峙したりするうえでの「武器」にもなるのです。
更新:12月16日 00:05