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「推し活」は単なる消費なのか? 女性のエンパワメントとしての側面

2025年09月12日 公開

田島悠来(帝京大学文学部社会学科准教授)

推し活

社会的な広がりの一方で、負の側面も指摘されるようになった「推し活」。メディア報道や描かれ方の変遷を考察し、「推し活」を問い直す。

※本稿は、『Voice』2024年10月号より抜粋・編集した内容をお届けします。

 

現代社会に溢れる「推し活」

「推し活」とは何か。ある特定の対象(これを「推し」という)を愛で、応援するふるまいを指して使われるこの言葉は、新型コロナウイルス感染症の世界的な規模での感染拡大とほぼ時を同じくして、2020年前後に頻繁に使われるようになった。

第164回芥川龍之介賞を受賞した宇佐見りんによる小説『推し、燃ゆ』(河出書房新社)をはじめ、「推し活」の実践者を描き出すコンテンツは、マンガ、アニメ、テレビドラマ、映画、CMと多様なメディアジャンルに及び、枚挙にいとまがない。

新聞や雑誌、テレビの情報番組で特集が度々組まれるなどメディアで取り上げられる機会が増加していることに起因し、さらにはそのことによってこの言葉の社会的な浸透が促されてもいる。

2021年にはユーキャンの新語・流行語大賞にノミネートされ、メディアのなかだけではなく、街中で、コンビニやカフェで、身近な人との会話のなかで、「推し」や「推し活」、「推し〇〇」というフレーズを見聞きすることが日常化した現代社会を私たちは生きている。

この間、「推し」の対象も、坂道グループやSnowManといった所謂「アイドル・グループ」のメンバーに留まることなく、スポーツ選手や俳優、アーティスト、YouTuber、アニメ等のキャラクター、さらにはスイーツやコスメと、3次元(生身)の人のみならず、2次元、2.5次元、モノに至るまで多岐にわたっていっている。

むろん、「好きな人を応援する」という活動や行為それ自体は、最近始まった新しい事象であるわけではない。これまで趣味の範疇として個々人が自らの意思と責任をもって勝手気ままに行なってきたことであり、いわば、従来は「個人的なこと(プライベートなこと)」であると見なされていた。

また、特定の対象に狂信的に傾倒する人びとは「ファン」とカテゴライズされるが、日本社会ではとくに「オタク」という呼称から捉えられてきた。そして、「オタク」はメディアを通して長らくネガティブで偏ったイメージを植え付けられてきてしまったがゆえに、公言することが憚られてきたきらいがある。

つまり、ファン活動やオタク的趣味は、「人様に隠れてこっそりとやる必要があるもの」であり、「オタク」であることは忌避されるか隠蔽するべきものという認識が根強くあった。

このように既にあったものが、昨今「推し活」という文脈に沿って真新しさを帯びてコーティングされていった背景には、一つには、SNSや動画プラットフォームといったソーシャルメディアの普及により、こうしたふるまいが顕在化されていった状況がある。

時期的には、コロナ禍におけるステイホーム期間が、SNSをチェックしたり、動画を視聴したり、さらには関連情報やコンテンツを自ら発信したりといった在宅で可能なソーシャルメディアを駆使したファン活動を後押しした点も要因として挙げられる。「好きなこと」を積極的に発信することで他者と共有できるようなメディア環境が整ったことは大きい。

しかし、これほどまでに「推し活」が社会的広がりをもっていったのには、やはりマスメディアが深くかかわっている。筆者は、メディア文化研究の視座から、近年頻発する「推し活」関連のメディア報道やメディア表象(「推し活」の描かれ方)を分析し、現代社会において「推し活」やその実践者への関心がこれほどまでに高まっているのはなぜなのかについて考察している。

詳しくは後述するためここでは結論だけ先取りして言えば、「推し活」の主人公としてマスメディアを通じて可視化されているのは女性たちであり、「推し活」にポジティブな意味付けが行なわれていることが導き出されている。

一方、ここ2年ほどは、「推し(活)疲れ」というキーワードのもと、過度な「推し活」からくる経済的、精神的な負担が問題視されており、実践者の低年齢化や関連事件の発生もあって、「推し活」の影の部分に焦点が当たり始めている。「推し活ブーム」とでも呼ぶべき状況へのある種バックラッシュが同時並行的に起こっていると言えよう。

本稿では、主にはマスメディアを通じてつくられている「推し活」のイメージを紐解くことで、「推し活」が個人的なことを超えた事柄として社会に組み込まれていくプロセスに着目する。

なお、「推し活」の類義語として、「オタ活」や「推し事」があるが、「オタ活」は活動を行なう主体が「オタク」であることを前提とした言葉であること、「推し事」が「お仕事」を捩っており、行為の労働的な側面を過剰に意識させる言葉であることというニュアンス的な違いがあるため、使用頻度も高く相対的にフラットな意味合いであると言える「推し活」という言葉をここでは統一的に用いることにする。

 

女性向けメディアによる「推し活のススメ」

「推し活」に対するメディアの報道が加速するなかで、もっとも目立って「推し活」を扱うのは女性向けメディアである。たとえば、「推し活」をキーワードとして雑誌記事検索を行なうと、芸能誌やテレビ情報誌を皮切りに、ファッション、ライフスタイル、コスメ、経済、文芸などあらゆるジャンルの女性向け雑誌において「推し活」関連の記事が掲載されていることがわかる。

さらに、若年層向け雑誌に限らず、女性週刊誌や中高年向けの雑誌においても「推し活」関連の特集が組まれ、幅広い年齢層や趣味嗜好、ライフスタイルにある女性に向けて「推し活」に関わる情報が発信されている。

こうした記事では、「推し活」の利点や効能が強調されるとともに、ファッションモデルや作家、タレントが登場し自らの「推し活」体験を語ることで、"おしゃれ"で"高尚"かつ、誰もが行なう価値あるものというイメージをもって「推し活のススメ」がなされていく。

また、「推し活を通じてかけがえのない推し仲間と出会った」「推し活は多くの人とつながるためのコミュニケーションツールである」と、「推し活」をしていなければ日常生活のなかで出会うこともなかったかもしれない他者とつながることに、「推し活」が有効であることが提示される。

さらに、雑誌以外のメディアにおいても、「推し活」によって生まれる社会との接点に光が当たる。

たとえば、「推し活」の実践者が「徳を積む」(「推し」にふさわしいファンであるために日々の善行を心がけようという「推し活」の行動のベースにある考え方のこと)目的で行なったボランティア活動や寄付行為が結果的に社会のためになっていることに言及されたり(たとえば、「[推し活のススメ]自分を変える 人生が変わる」『読売新聞』2021年4月29日朝刊)、アニメ作品の舞台になっている地域や場所を訪れたり(これは「聖地巡礼」と呼ばれる)、移住したりすることが地域活性化に寄与していく様子が報じられている(たとえば、NHK『あさイチ』「人生&社会が変わる! すごいぞ"推し活"パワー」2021年1月6日放送)。

「推し活は社会貢献につながる」としてメディアが推奨していっている様子が窺える。そして、いずれも当事者としてメディアに登場するのは女性である。

ファン活動を行なったり、オタク的趣味をもっていたりする女性たちに対し、好意的な印象を与えるよう方向付けがなされていると解釈できる。そして、それは女性オーディエンスに向けて行なわれていることである点を踏まえれば、「『推し活』は個人にとってもまた社会的にも有意義なものである」という意味を付与する「女性による女性のための推し活の啓発」として捉えられるのではないだろうか。

「オタク」に対するステレオタイプ化された負のイメージが根強くあったことは既に述べたが、なかでも女性に関しては、「オタク」がアプリオリに男性を想定した呼称であることもあって、「女性オタク」(この言い方がまず「オタク」を男性と自明視していることの表れである!)は不可視化されたり排除されたり「オタク」をめぐるカテゴリーのうちにも「私たちではない」ものと周縁化される存在としてあった。

さらには、「アイドル」のファンとしての「女性オタク」について言えば、異性(生物学的な意味)の「男性アイドル」を疑似的な恋愛感情を抱いてみることが一般的であり、それゆえ、ライバル関係にあるファン同士のあいだには交流が生まれないのではないかといった一元的な捉えられ方を強いられてきた部分もある。

たとえば、旧ジャニーズ事務所に所属するタレントのファンは「ジャニオタ」と呼ばれるが、「ジャニオタ」特有のふるまいとして同担拒否(「担当」とは「推し」のことで、「推し」が同じことを「同担」という)、すなわち、あえてつながりあうことを避ける傾向にあることに注意が払われてきた。

以上を勘案すれば、マスメディアという公共性のある空間で女性たちが自身の趣味的な事柄について発信し、それが多くの人びとに受容されるような環境が整ったこと自体が、社会的には大きな変化であると言えよう。そして、「推し活」の文脈においては、他者との関係性、つながりあうこと、そしてつながりあうことの意味のほうに関心が向いている。

女性向けメディアによる「推し活」の報道は、ファン活動において周縁化されてきた「女性オタク」を「推し活」の中心的な担い手として可視化し、位置づけ直すメディア実践と言えるのではないか。

 

「推し活」とは消費なのか

ただ、こうした状況とは裏腹に、「推し活」のいわば負の側面も顕出している。詐欺事件や「パパ活」といった社会問題と「推し活」を結び付けて警鐘を鳴らすような語り口も見受けられる(たとえば、「男性地下アイドル『推し活』過熱、潜むリスク 有料のハグやデート、300万円つぎ込む少女も 保護者らの相談増える」『日本経済新聞』2023年7月25日朝刊)。

未成年が巻き込まれる事件や保護者からの相談の増加を受けて、2022年10月には、警視庁から東京都内の中学校、高校向けに「その『推し活』大丈夫?」という注意喚起のためのチラシが配布された。

また、男性向けの週刊誌では、「女の『危ない推し活』最前線」「子供をホテルに預けてホスト狂い」「パート代からメン地下課金」(『SPA!』2022年8月9日号)や「オンナの裏現場『私が体を売る理由』交縁女子6人を直撃インタビューin大久保公園」(『SPA!』2023年6月13日号)といったように、ホストやメンズ地下アイドルにハマる女性に迫るルポが度々掲載されている。

「推し活」にまつわるサービスや商品が巷に溢れ、その市場的な価値が声高に叫ばれるようになるにつれ、「推し活」の経済面での効果に注目が集まる傍ら、エンターテインメント産業、メディア業界側によって主体性を奪取された消費者として、実践者の中心に据えられた女性たちを大きなカテゴリーで捉えようとする向きも強まってきている感が否めない。

もちろん、わたしたちが物事を多面的に捉えられるよう、また顕在化していない問題を問題として認識し社会にとって不健全な状態を解消していくための争点とは何かを提示していくことは、メディアの社会的な責務として重要である。

ただ、「『推し活』=消費=女性の領域」といった単純化や、実践者を声なき受動的な存在として括ったうえで哀れみやどこか好奇の目をもって「われわれではない他者」としてまなざすようなあり方には違和感を覚えずにはいられない。「推し活」の実践者は、あくまで「搾取されている可哀そうな消費者」に過ぎないのだろうか。そもそも「推し活」とは単に"消費"なのか。

 

当事者たちの語り

これまでの研究活動のなかで筆者が言葉を交わしてきた「推し活」を行なう当事者や、そうした当事者性を有する担い手によって紡がれた「推し活」を題材としたここ最近の書籍群、たとえば、オタク女性ユニット「劇団雌猫」の一連の活動成果や、藤谷千明著の『推し問答! あなたにとって「推し活」ってなんですか?』(東京ニュース通信社、2024年)、「女オタクの現在」と題した『ユリイカ』(青土社、2020年9月号)のなかでの「推し活」実践者による語りに目を向けると、上記のような大きなカテゴリーで「推し活」やその実践者を括ってしまうことはできないことに気づく。

一人の人間のなかにもさまざまな感情が渦巻くじつに捉え難い実践者像が浮かび上がるのである。「推し」を「好き」だからこそ生まれる葛藤や、「好きなこと」であったはずの「推し活」が「しんどくなる」という矛盾を抱え、「推し」や運営側を俯瞰したり、「推し活」を行なう自分自身のふるまいを省みたり、それを他の人と共有し、語り合い、時に共感しあいながら、互いを鼓舞していく。

そして、「推しを消費する(その日常や人格までもコンテンツ化して楽しむ)」ことに対して自覚的である、もしくは自覚的であろうと努める姿が印象的である。

 

エンパワメントする鎧

「推し活」を実践する女性たちは、「推し活」という元来は「推し」と自分との関係性を追求するという至極個人的な動機から出発して、「推し」を媒介にしながら他者と出会い、つながり、語り合うための共通言語を手にし、自ら行動に起こしたり、他の誰かと協同的に物事を成し遂げたりしながら社会の一員となって、何かを想像/創造することが可能になる。

現代の日本社会における「推し活」とは、そのようにして、「好きなこと」を「好きである」と声を発していくことをエンパワメントしてくれる鎧のようなものなのではないだろうか。そして、その鎧を身に着けることによって、社会に参加していくことを誘ってくれるもの。

ソーシャルメディアの発展や女性向けメディアによってなされる「女性による女性のための推し活の啓発」と見なしうる実践も、そうした状況を促進しているわけだが、それがどこか強迫観念のようになり、「推しをもつべきである」、「推し活はこうあるべきである」といった規範化を招きかねない点には留意しておく必要があろう。

趣味縁という概念がある。文字どおり、趣味によってつながる人間関係を意味している。趣味縁によって連なった人びとが対等な立場で意見を交わしあい信頼関係を築き上げることができ、さらにそうした集団が社会に数多く存在するようになると、政治的にも高いパフォーマンスが期待できるという考え方がある。

趣味縁的な枠組みから「推し活」を見るならば、「個人的なこと」はいつしか「社会的なこと」へとつながり、社会を動かす原動力になる可能性を秘めているのではないだろうか。

 

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