2025年05月23日 公開
令和の都市論・消費論を記した書籍『ニセコ化するニッポン』が各所で話題を集めている。本稿では、著者の谷頭和希氏に、渋谷の再開発やスターバックスの事例を挙げながら、"ニセコ化"の背景にある構造、そして"SNS時代の都市論"について話を聞いた。
聞き手:編集部(阿部惇平)
※本稿は、『Voice』2025年5月号より抜粋・編集した内容をお届けします。
――本書『ニセコ化するニッポン』は、北海道のリゾート地「ニセコ」のレポートから始まっています。
【谷頭】一泊170万円のホテルや一杯2000円の牛丼など、インバウンド向けに物価が異常に高くなっているのが、ニセコです。
『ニセコ化するニッポン』というタイトルから「日本中がインバウンド観光客に支配されつつある」と解釈する人もいるかもしれません。それは一部当たっているけれど、一部では不正確です。
本書で問題提起した「ニセコ化」とは、「特定ターゲットへの選択と集中によって、ある場所がテーマパークのようになる」という現象のこと。
ニセコを訪れると、日本であるはずなのに、日本ではない感覚に陥ります。モノの値段だけでなく、看板も英語だらけ。まるでディズニーランドみたいな空間になっている。これはニセコが外国人富裕層をターゲットにしているから起こる現象です。
僕が本書で探求したかったのは、まさに同じような状況がターゲット層を変えながら日本各地で起きているのではないか、という仮説です。
――一方で、第二章以降はニセコについての言及がほとんどないのが興味深く、同時に不思議な点でした。
【谷頭】じつは、ニセコを中心に扱った第一章は全体の構成を固める最終段階で完成させました。ニセコ「テーマパーク化」の象徴的な例ではありますが、事例の一つにすぎません。
――テーマパーク化の一例として、本書では渋谷の事例が取り上げられていますね。
【谷頭】渋谷はこれまで「若者の街」というイメージで語られてきましたが、近年の再開発では新たなターゲットへと転換しつつあります。ITベンチャー企業のオフィスワーカーや外国人観光客にシフトしているのです。商業施設のテナントには「Nintendo TOKYO」や「ポケモンセンターシブヤ」など、海外で人気のコンテンツを前面に押し出したキャラクターショップの出店も相次いでいる。
外国人観光客の目には、現在の渋谷は「日本的なるもの」を体験できるテーマパークとして映っていることでしょう。
――その意味で、年間数十万人の外国人観光客が訪れるニセコは、渋谷以上にテーマパーク化が加速しているということですね。
【谷頭】ご指摘のとおりで、街全体が外国人観光客向けに変貌しつつあります。
――本書は都市のみならず、スターバックスやびっくりドンキー、丸亀製麺などの商業施設からディズニーリゾートに至るまで、考察の対象が多岐にわたっています。
【谷頭】「ニセコ化」の重要なポイントは、特定のターゲットを選択するだけでなく、ターゲットに選ばれなかった人たちの静かな排除が行なわれているという点です。
本書でスターバックスを取り上げたのは、「なぜ自分はスタバをあまり利用しないのだろう」と以前疑問に思ったことがきっかけです。考えてみると、僕はスターバックスに「おしゃれで都会的な人が多い」というイメージを持っていた。でも、似たような考えを持っている人も多いのではないでしょうか? あの不思議な空気感......。僕はそれを無意識に避けていた。
ただ、経営的な視点から見れば、スターバックスの店舗の雰囲気は、徹底的な「選択と集中」戦略と「特別感」の演出によって生み出されているとも言える。つまり、「ブランディング」に成功しているわけです。しかし一方で、ブランディングの成功は必然的に、僕のようにマーケティング上の選択から除外される層が生み出されることを意味します。
同じ原理で、現在日本各地で、外国人観光客には魅力的で快適だけれど、日本人にとっては居心地が悪い場所が増加しています。「インバウンド観光客が多すぎて、日本人の肩身が狭い」といったような不満の声は、ネット上でよく見かける常套句になりました。
このような「目に見えない排除」という視点から現代の都市空間を見渡すと、ニセコから渋谷、スターバックス、ディズニーリゾートに至るまで、個々の事象がニセコ化という統一的な現象として浮かび上がってきます。
ニセコの状況は、まさに日本の縮図と言えます。ニセコのニュースに接したとき、「ニセコ化」という概念を通して、日本の都市空間で起きている変化をより明確に説明できると考えたのです。
――谷頭さんの視点が独特なのは、ニセコ化に伴う静かな排除や分断の現象を全否定することなく、フラットに論じているところです。
【谷頭】全否定しないスタンスは、本書の執筆時に意識した点です。私見ですが、私より上の世代の論客には、排除や分断と聞くと、即座に「悪」と倫理的な判断を下し、否定的な論調で批判を展開する人が多い気がします。
ニーズの多様化や細分化が進む現代社会にあって、都市や商業施設が「選択と集中」で特化した空間を創出することは、空間に賑わいを生み出すという意味で経済合理性に適っています。誤解を恐れずに言えば、排除や分断はもはや抗えない時代の潮流という感覚が僕の中にはあるんです。
そうであれば、大事なのは排除や分断を即座に否定するのではなく、排除や分断を生み出す状況を正面から受け止め、現実的で前向きな提言を行なうことです。
本書で述べたように、なるべく多くの種類、属性の異なる人びとが「選択」可能な施設や街をつくることも、ニセコ化に対応する一つの方策です。
――本書の結びで谷頭さんは、「SNS時代の都市論」という概念を提示しています。静かな排除や分断の問題は、都市以上にSNS空間において顕著に見られる現象とも言えませんか。
【谷頭】そう思います。SNS的な感覚が都市という物理空間にも反映され始めているというのが、本書の裏テーマでした。
好ましい情報以外を遮断するフィルターバブルや特定の意見が繰り返し強化されるエコーチェンバー現象により、SNS上でも同じ考えや思想を持つ人びとが結びつき、無数の閉鎖的コミュニティが増殖しています。
「目に見えない時代状況を可視化したものが都市である」と言われますが、SNS時代の時代感覚が近年の都市空間に如実に表れていると感じます。
――ニセコ化へのフラットな見方は、デジタルネイティブ世代の谷頭さんのSNSやインターネットそのものに対する公正な評価とも密接に結びついているようにも見えます。
【谷頭】そうですね。インターネットについては悲観的な見方が多すぎると思っていて。
僕と同じ90年代生まれの文芸評論家で、今年3月に共著(『実はおもしろい古典のはなし』笠間書院)を出した三宅香帆さんの著作を読むと、文体や内容に「明るさ」がある。
彼女の本がベストセラーとして広く受け入れられているのには、現代の読者が本に「暗さ」より「明るさ」を求めていることもあるのかもしれない。
あらゆる空間やコミュニティが閉鎖的になるニセコ化の時代、「いかに多くの人に読まれる本を書くか」という課題に向き合うことも、自分たち世代の書き手に課せられた一つの使命だと、僕は思っています。つまり、さまざまなコミュニティを結びつけるものとしての評論の役割ですね。
だからこそ、批評の世界も内にこもるのではなく外に目を向け、より広い読者に届けるための視点と努力が必要だと考えています。少し偉そうに聞こえたでしょうか(笑)。
【谷頭和希(たにがしら・かずき)】
都市ジャーナリスト・チェーンストア研究家。1997年生まれ。早稲田大学文化構想学部卒業、早稲田大学教育学術院国語教育専攻修士課程修了。「ゲンロン 佐々木敦 批評再生塾 第三期」に参加し宇川直宏賞を受賞。著作に『ドンキにはなぜペンギンがいるのか』(集英社新書)、『ブックオフから考える 「なんとなく」から生まれた文化のインフラ』(青弓社)などがある。
更新:05月24日 00:05