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コロンブスの交換がもたらした「豊かな食事」 現代人が享受する物流発展の成果

2025年04月17日 公開

玉木俊明(京都産業大学経済学部教授)

物流

人々は、どういうときに豊かさを感じるのだろうか。株を多数保有していること、資産を多くもっていること、また、商品を所有することなど、豊かさの基準は一つではない。

本書では、世界史の「物流」に視点を当てることで、これまで気づいていなかった豊かさの歴史を見る。本稿によって、私たちの享受する豊かさがどのように革新してきたのか知ることができるだろう。

※本稿は『物流で世界史を読み解く 交易、移民問題から食文化の革新まで』より抜粋・編集を加えたものです。

 

コロンブスの交換

物流で世界を読み解く

歴史家がしばしば使う言葉に、「コロンブスの交換(ColumbianExchange)」というものがある。これは、クリストファー・コロンブスによるアメリカ大陸の発見後にはじまった、ヨーロッパ、アフリカ、アジア、アメリカ大陸間での植物、動物、食品、人口(含む奴隷)、病原体などの広範な交換を意味する。

いうまでもなく、この交換は、新旧世界間での文化や生態系に重大な影響を与えた。

新世界から旧世界へと移植されたものとして、トウモロコシ、ジャガイモ、トマト、タバコ、カカオなどがあり、ヨーロッパから新世界に移植されたものに、小麦、サトウキビ、米、コーヒーなどがある。

ヨーロッパから新世界に持ち込まれた病気(天然痘、麻疹、インフルエンザなど)は、免疫のない先住民に甚大な被害をもたらし、新世界の人口は急激に、しかも大きく減少した。

先住民が急激に減少したこともあり、西アフリカから黒人奴隷が輸送された。彼らがサトウキビの栽培、砂糖の生産に従事した。

新世界の文明は、旧世界とは異なっていた。まず、大河の近くに文明が築かれたわけではない。むしろ新世界の文明は、高地に位置した。そのため新世界の栽培植物は、旧世界の栽培植物と大きく異なっていた。

しかも新世界は南北に長く、寒帯から熱帯まで、多数の気候区が存在する。そのため、新大陸では多様な栽培植物が誕生することになった。

大航海時代になると、ヨーロッパ諸国の船で新世界産品は世界中に運ばれることになり、それは長期的には世界の人々の生活水準の向上に貢献することになった。現在、世界の栽培作物の6割は、アメリカの先住民が栽培していたものであった。新世界原産の野生種の植物がなければ、現在の世界の食事ははるかに多様性のないものになっていたはずである。

 

豊かになる世界輸送方法の発展

大航海時代には帆船で、19世紀になると蒸気船が、さらにその後はディーゼル船やガスタービン船が使用された。世界は、急速に小さくなり、それを促進したのは、18世紀から20世紀半ばにかけては、イギリス船であった。イギリス船は植民地と宗主国の経済的関係を弱め、世界の物流を促進した。つまり世界中の商品が、世界中で売られるようになりはじめたのである。

たとえば1880年には、イギリス領ジャマイカの最大の砂糖市場は、イギリスのロンドンやリヴァプールではなく、アメリカのシカゴとボストンとなっていた。またオランダの植民地のジャワ島から輸出されるココアの大半は、アメリカ人が消費した。

一人あたりコーヒー消費量が世界で一番多かったのはオランダであったが、世界一のコーヒー産出国はブラジルであった。

19世紀にはグローバリゼーションが進み、世界の人々の消費は多様になり、世界のさまざまな地域で似た食品が見られるようになった。すでにこの時代に、世界的な規模でサプライチェーンが存在するようになっていたのだ。

穀物もまた、遠隔地から輸入されるようになった。1830年には、ロンドンの小麦は約3,900キロメートル離れた地域から輸入されていたが、1870年になると、その距離はおよそ2倍になった。

 

コンテナ荷の誕生

さて、そうなると次の問題は「大量の物資をどう輸送するのか」である。

19世紀には、船に積載された商品はばら積みされており、スペースに無駄があったばかりか、船から荷降ろしをしたりさらにまた船に載せるたびに莫大な時間がかるという問題点があった。それを解決したのが、コンテナ船だったのである。

コンテナのようなものが、19世紀から20世紀前半にかけてまったくなかったわけではないが、世界最初のコンテナ船の会社が誕生したのは1956年のことであった。そのため20世紀後半には貨物輸送量が大きく増加することになった。コンテナ荷は、世界の物流に革命的な影響をおよぼした。世界中でさまざまな商品が入手できるのは、コンテナ荷がどんどん使われるようになったからである。

船から陸に降ろされたコンテナ荷は、簡単に鉄道やトラックに載せることができた。それは、簡単にスーパーマーケットまで輸送され、人々が食すことができた。世界の味はまさに一体化したのである。

 

長距離に耐えられる輸送方法 ― 缶詰と瓶詰の発展

蒸気船やコンテナ船が発展しようとも、食品を長持ちさせる方法が発展しなければ、世界中にさまざまな食品を輸送することはできない。そのために必要だったものとして、缶詰と瓶詰の発明があった。

じつは乾燥させた棒鱈、燻製の鮭、塩蔵肉は、イギリス産業革命の頃にはすでに存在していた。

しかし、新鮮な食材からえられた調理と比較するなら、それはかなり劣った味しか提供できなかった。美味な食事の提供により、人々は生活水準が上昇したと感じる。美味なる料理を提供するためには、生鮮品に匹敵するほどの新鮮味が必要とされた。遠隔地から輸送される美味なるものを保存することが、非常に重要なことになっていった。

缶詰や瓶詰という長期保存技術が開発されることになったのは、おそらくそのためである。缶詰は、1804年にフランスの料理人ニコラ・アペールによって発明された。ナポレオンの軍隊のために、長期間保存可能な食品を提供しようとしたのである。

1810年には、イギリスのピーター・デュランドが、金属製容器に食品を入れる缶詰を発明し、これがこんにちまで続く缶詰の直接の起源になった。缶詰は軍用食として使用された、アメリカの南北戦争(1861〜1865年)で大いに利用されることになった。

ガラス瓶を使用した本格的な商業的な食品保存方法としては、1858年にアメリカの発明家ジョン・L・メイソンがメイソン瓶を発明したことが重要とされる。

これらの発明により、食品の長期保存が可能となったばかりか、食品の安全性と利便性が飛躍的に向上することになった。というのも、高温殺菌と真空密封の原理を採用していたからである。美味な食べ物が、世界で流通することになった。

 

物流発展の成果を利用するわれわれ

遠い外国から日本の消費者にまで食料が届くのは、船舶が大型化し、たくさんの食品がコンテナ船で運ばれ、それが鉄道やトラックなどに積み替えられ、スーパーマーケットやコンビニエンスストアなどを通じて、家庭まで届けられるからである。冷凍食品、食品添加物などが、そのために必要とされる。こういうシステムがあるからこそ、現在80億人以上の人類が、地球という惑星で生存することができるのである。

グローバリゼーションの開始をいつの時代に求めるかにもよるが、われわれが現在経験しているグローバリゼーションは、おそらく大航海時代に起源を有し、ヨーロッパ人、とりわけイギリス人が世界中に商品を輸送し、その影響が現在まで続いているということなのである。

たしかに、気候の相違によって栽培される作物は異なる。しかしわれわれは、世界のどんな地域の食品も日本にいて味わうことができる社会を形成することに成功した。

その連鎖は、きわめて精巧にできており、連鎖全体を把握している人はいないだう。連鎖とは、煎じ詰めれば物流ネットワークがこれまでになく発展したからこそ成り立っているのであり、それは、過去数千年にわたる物流の進化の所産である。

われわれは、その成果を利用して豊かな生活を営むことができているのだ。

 

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