組織に問題があるとき、「抜本的な改革」を推し進め組織をリフレッシュしようと考えるリーダーが多いだろう。しかし、そのようなラディカルなアプローチではかえって事を大きくしてしまい、取り返しのつかない結末を迎えてしまうことも…。
保守の元祖と言われているイギリスの政治家エドマンド・バークは、18世紀の古典『フランス革命の省察』の中で、すでに「抜本的改革」の問題を見抜いていたという。
現代にも通用する叡智のかたまりともいえる彼の保守思想の中から、「抜本的な改革」に代わるより効果的なアプローチを紹介する。
※本稿は、中野剛志著『奇跡の社会科学』(PHP新書)から一部を抜粋し、編集したものです。
政治勢力や政治信条の分け方に、「保守」と「革新」、あるいは「保守」と「リベラル」というのがあります。その「保守」の元祖と言われているのが、18世紀のイギリスの政治家エドマンド・バーク(1729~97)です。
1789年にフランス革命が勃発した時、バークは『フランス革命の省察』を著して、フランス革命のあり方を激烈に批判しました。
フランス革命は、ただ王政を打倒するというものではなく、社会を合理的なものへと抜本的に造り変えようとするラディカルな運動でした。これに対して、バークは、社会を合理的なものへとラディカルに変えようとすること自体に反対し、その理由を雄弁に語りました。
この『フランス革命の省察』によって、バークは「保守主義の父」とみなされるようになりました。バークが「保守」の元祖となったのは、社会を抜本的に変えることに反対したからです。その理由は、簡単です。それは、社会は複雑なものであるのに対して、人間の理性には限界があるからです。
つまり、人間は、社会というものを十分に理解していない。社会だけではなく、1人の人間についてすら、複雑で精妙なので、よく分かっているとはいえません。普通に考えて、よく分かっていないものを抜本的に改革したところで、それが成功するはずがないでしょう。
バークが革命とか抜本的改革とかに反対したのは、人間の理性というものが不完全であるからという、その1点に尽きます。ラディカルな改革が失敗する理由は、「社会も人間も複雑微妙だから」です。
社会の複雑さ、人間の微妙さに耐えられない人たちが、抜本的改革をやりたくなるのだと言ってもよいでしょう。
実際、フランス革命は、自由・平等・博愛の理想を実現するため、社会を抜本的に変えようとしましたが、その結果政治は不安定化し、社会は大混乱に陥り、挙句の果てには、ロベスピエールによる恐怖政治やらナポレオンによる侵略やら、自由・平等・博愛とはおよそ正反対の結果をもたらしました。
フランス革命以外にも、例えばロシア革命、中国の文化大革命、カンボジアのポル・ポト派による革命など、マルクス主義の理論にしたがって、国家を抜本的に変えようという革命は、ことごとく、悲惨な結果をもたらしてきました。それはマルクス主義の理論が、複雑な経済や社会を理解する上では、はなはだ不完全なものだったからです。
現代の日本でも、1990年代や2000年代、政治、経済、行政から教育に至るまで、「構造改革」という標語の下、さまざまな改革が行われました。
「日本を抜本的に変えないといけない」と叫ぶ改革派の政治家を、国民も支持しました。しかし、その結果日本は、衰退の一途を辿りました。平成の時代に行われた一連の構造改革のうちで、成功したものが1つでもあったでしょうか。
日本が衰退したのは、抜本的改革を怠ったからではなく、その反対に抜本的改革をやりまくったからなのです。18世紀末に、バークが『フランス革命の省察』で警告したことを理解していれば、こんなことにはならなかったことでしょう。
しかも、その抜本的改革に邁進してきた自由民主党が、「保守」と呼ばれているという始末ですから、情けない話です。
更新:12月22日 00:05