1920年代の「狂騒の20年代」と呼ばれる繁栄期、共和党政権は絶頂期を迎えた。しかし、その裏では政治腐敗が蔓延し、世界大恐慌という未曾有の危機も到来...。繁栄と崩壊が表裏一体であることを示す、痛烈な歴史について、書籍『教養としてのアメリカ大統領選挙』から解説する。
※本稿は、神野正史著『教養としてのアメリカ大統領選挙』(秀和システム)から一部を抜粋・編集したものです。
「政治経済に国民生活が困窮するほどの大きな問題がない限り、あるいは共和党がよほどの大ポカをやらかさない限り、共和党政権は安泰」だという原則(※1)を思い出していただければ、この「経済が上向き、文化が華やぎ、生活が豊かになった狂騒の20年代」はずっと共和党政権が安泰の時代になる ── ということが容易に推測できます。
それは現実となり、ウォレン・ガメイリアル・ハーディング、ジョン・カルヴィン・クーリッジ、ハーバート・クラーク・フーヴァーの3代「3期12年」にわたって共和党政権がつづくことになりました。
しかし、「世の中がうまく回っている」ということは、逆の見方をすれば「政治家は特にやることはない」ということです。
特に当時は、資本主義が絶頂を迎えていたことで「アダム・スミスの経済学説(古典派経済学)の正しさが証明された」と信じられ、政府は"小さな政府"を理想として経済に介入するべきではなく(※2)、むしろヘタに政府経済を引っ掻き回せばロクな結果にならないと考えました。
アメリカ合衆国に限らず、洋の東西と古今を問わず、国が安定しているときの国家元首は「無能」になりやすい。(※3)
外交面では、ハーディング・クーリッジ・フーヴァーと3代がそれぞれ「ワシントン会議」「ジュネーヴ会議」「ロンドン会議」を主催してアメリカ合衆国の覇権国家たる地位を築こうと一定の努力をしていますが、こと内政に関してはほとんど無策で、アメリカ合衆国史上絶頂期にあたる「狂騒の20年代」の大統領が3人が3人とも「無能」の烙印を押される大統領だったのも、"たまたま"ではなく"歴史の必然"だったといえましょう。
無能・無策な大統領がつづいても繁栄がつづくとなれば、そこに「政治腐敗」が起こらないわけがありません。(※4)
こたびもご多分に漏れず、贈収賄・横領・職権濫用など「共和党」の政治腐敗は進んで、徐々に統治能力を失っていく中で"破滅"の跫音が近づいてきます。
それこそが「世界大恐慌」。
そもそも資本主義が「かならず好景気と不景気を繰り返す」「恒久的に好景気がつづくことはシステム上あり得ない」などということは中学社会で習うこと。
資本主義はいわば「ゼロサムゲーム(※5)」、好景気が大きいほど長いほど、かならず次に深刻な不景気が襲いかかることは避けられないのに、好景気がつづくとかならず「我が国は破綻は起きない!」「今回は条件が違う!」「この好景気はいつまでもつづく!」などと世迷言をいう似非経済学者がまたぞろ現れて国の行く末を誤らせます。(※6)
このときもそうでした。大統領は無能無策、お抱えの経済学者は"進軍ラッパ"を鳴らしつづける。共和党政権下での"破綻"は起こるべくして起こったといえましょう。
[注釈]
(※1)南北戦争以降「民主党」が政権を獲るのは「共和党」が自滅したときか、国民から見放されたときくらいで、原則として共和党政権がつづくことになる。
(※2)これを「レッセフェール(自由放任主義)」といいます。
(※3)誰が国家元首を務めようが国が安定しているなら、家臣団としては無能元首の方が御しやすくて都合がよいためです。
(※4)繁栄と腐敗は表裏一体、歴史を紐解けば、「長期政権」「繁栄」の中に腐敗が生まれないという例はありません。
(※5)麻雀や花札のように、参加者の利益が他の参加者の損失で賄われるゲームのこと。この場合、長期的観点から資本主義経済を見たとき、好景気と不景気を足せばゼロになるという意味。
(※6)このときのアメリカだけではなく、こうした似非エコノミストはいつの時代にも現れます。たとえば、20世紀末の日本の「バブル景気」のときにも、21世紀初の中国の「不動産バブル」のときにも現れて、国を破滅に追い込んでいます。
"破綻"が翌年に迫った1928年の大統領選でカルビン・クーリッジからハーバート・フーヴァーへとバトンタッチされましたが、共和党政権とその政策方針は維持されます。クーリッジは、最後の教書で自らの政治を自画自讃し、
── 私は現状に満足し、そして将来を楽観している。
...と述べたかと思えば、彼からバトンを受けたフーヴァーもその所信演説で高らかに宣言します。
──我が国は過去いかなる国も成し得なかった貧困に対する最終的勝利を目前としている! 我が国の将来には何の不安もなく、希望に満ち溢れている! アメリカ合衆国はこれより"永遠なる繁栄"を謳歌するであろう!
この先の歴史を知る我々には、半年後に迫った"破綻"を目前にしてのこの言葉は滑稽ですが、彼自身はまさに人生の絶頂にあったでしょう。
しかし、フーヴァーの無能ぶりはすぐ後ろに迫りくる"破綻"の跫音にまったく気がつかなかったことではなく、実際に"破綻"が起こりそれを目の当たりにしてもなお、それが"破綻"だと理解できなかったところにあります。
実態からかけ離れた株価は、彼の所信演説の翌月(4月)からすでに小刻みに下落しはじめていましたが、当時の高名な経済学者(※7)は「まだまだ上がる!」と主張し、フーヴァーもこれを放置、やがて「暗黒の木曜日(10月24日)」を迎えることになりましたが、「古典派経済学が正しい」「経済は自由放任一択」と信じて疑わないフーヴァー大統領はその現実を目の当たりにしてもなお、有効な経済策を打ち出そうとしません。
──なに、ちょっと"風邪"を引いただけだ。アメリカ経済は依然盤石、"風邪"など放っておけばすぐに治る。
彼が実施しためぼしい対策といえば、「スムート・ホーリー法」「フーヴァー・モラトリアム」くらいのものでしたが、時代遅れとなった古典派経済学に基づく政策はむしろ経済を悪化させるだけに終わりました(※8)。
したがって経済は悪化の一途を辿り、銀行だろうが上場企業だろうがお構いなしにバタバタ倒れ、町には失業者・ホームレスがあふれ、破産者・自殺者の数など数えきれず、経済の悪化は彼が退陣する1933年3月までつづくことになります。
[注釈]
(※7)アーヴィング・フィッシャー。彼自身も自分の資産を株に注ぎ込んでおり、破産寸前に陥っています。彼のこうした強気発言は「保身(株価が下がれば自らの資産に損失が出る)」という側面もあったかもしれません。
(※8)政界も財界も「こたびの破綻が古典派経済学の不備による」という認識がまったくなく、あくまで「古典派」のやり方で経済対策を立てるため、はなからうまくいくはずがありませんでした。
さて、何度も見てきました「民主党が政権を握るのは共和党が勝手にコケたときだけ」という原則は今回も働き、共和党が大コケした1932年の大統領選で勝ったのは民主党のフランクリン・デラノ・ルーズヴェルトでした。
これまで、共和党は頑なに18世紀に生まれた旧い経済学説(古典派)に執着し、それで破綻したのですから、彼は古典派の不備を批判して20世紀に生まれた新説「ケインズ経済学」に拠った改革を行おうとします。
しかし、旧い時代から新しい時代へと切り替わるとき、どうしてもそれが理解できない"老害"らが改革を握りつぶそうとしてくるのは避けられません。(※9)
このときも、ルーズヴェルトはただちにケインズ的経済改革「ニューディール政策」に着手しますが、古典派の正義を信じて疑わない抵抗勢力から非難・糾弾・妨害の限りを受け、ニューディールの柱のひとつ「全国産業復興法」に至っては最高裁まで戦って違憲判決を受けたほど。
しかし、ルーズヴェルトの不屈の精神によってこれら抵抗勢力と戦い、経済は復調の兆しを見せてきたため、その成果を受けて2期目の大統領選(1936年)ではルーズヴェルトが記録的圧勝(※10)を果たします。
しかし、2期目は抵抗勢力の頑強な妨害もあって思ったほどの経済的成果を挙げられず、経済は停滞、その結果、共和党の支持も復調の兆しを見せたものの、いまだ「世界恐慌を引き起こした戦犯」という烙印は拭えず、3期目の大統領選(1940年)もルーズヴェルトが勝利。
4期目の大統領選(1944年)は戦争特需(第二次世界大戦)で経済復興が進んだため、これも勝利。
こうして彼は、アメリカ合衆国史上唯一「4期務めた大統領(※11)」となりましたが、それは彼が優秀だったからというより(優秀でないとは言いませんが)、時代背景が「世界大恐慌から第二次世界大戦」という激動の時代だったためといった方が正解に近いでしょう。
[注釈]
(※9)旧い伝統政策から新時代を支える革新政策への移行は"一足飛び"というわけはいかず、かならず"新旧の壮絶な綱引き"が行われる期間がある。
(※10)全国48州(当時はまだアラスカとハワイが準州でした)のうち、対立候補(ランドン)が勝ったのはたったの2州、他46州すべてでルーズヴェルトが勝利するという圧勝でした。
(※11)「3期務めた大統領」すらフランクリン・ルーズヴェルト以外ひとりもいません。
更新:11月21日 00:05