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【天才の光と影 異端のノーベル賞受賞者たち】第24回 ロジャー・ペンローズ(2020年ノーベル物理学賞)

2024年01月05日 公開
2024年06月10日 更新

高橋昌一郎(國學院大學教授)

 

オックスフォード大学とペンローズ・タイル

クルト・ゲーデル
クルト・ゲーデル(1931年)

1973年、ペンローズはオックスフォード大学数学科の教授に就任した。それ以降の彼は、現在に至るまで、ずっとオックスフォードに暮らしている。

1970年代のペンローズは、「非周期的なタイル張り問題」に関して優れた業績を残している。一般に「タイル張り問題」とは、「タイル」と呼ばれる特定の図形を用いて、互いに隙間がなく、重なりもないように平面を敷き詰める問題を意味する。

たとえば、1種類の「タイル」だけで「周期的」に平面を敷き詰めることができる正多角形は、正方形・正三角形・正六角形の3種類のみであることが古代ギリシャ時代から知られている。

一方、平行移動による周期性を持たない「非周期的」タイルの問題は難解で、これで平面を敷き詰めるためには2万種類以上のタイルが必要とされてきた。

ところが、ペンローズは、1974年、わずか6枚のタイルによる「非周期的なタイリング」を発見した。その後、彼は、不可能と思われていた2枚のタイル(辺の長さが等しく角が異なる2つの菱形)による「非周期的なタイリング」を発見して、多くの数学者を驚愕させた。これらの特殊なタイルは「ペンローズ・タイル」と呼ばれている。

さらにペンローズは、3本の角柱が直角に接続しているように映る不可能立体「ペンローズの三角形」や、正方形が90度ずつ折れ曲がって続き、上っても下がる不可能立体「ペンローズの階段」を考案した。これらの立体は、3次元上では制作不可能だが、2次元上では錯覚を利用して描くことができる。

これらの不可能図形は、オランダの画家マウリッツ・エッシャーの作品『滝』や『上昇と下降』などに大きな影響を与えた。

一方、ペンローズも以前からエッシャーのファンであり、彼のタイリングや不可能図形の研究は、エッシャーの作品に触発されたと述べている。ペンローズとエッシャーの幾何学における功績は、世界中で高く評価されている。

 

不完全性定理の解釈

1988年、ペンローズはベネッサ・トーマスと再婚した。彼女はオックスフォード郊外にあるコークスロープ私立学校の校長で、その前には数学教師だった。夫妻の間には、新たに息子が1人生まれているが、プライバシーに配慮するため、それ以上の情報は公開されていない。

1989年、ペンローズは一般解説書『皇帝の新しい心:コンピュータと心と物理法則について』を上梓(じょうし)して、コンピュータと人工知能研究に大きな疑問を投げかけて、周囲を驚かせた。

ブラックホール物理学とタイリング幾何学の専門家として傑出した業績を評価されていたペンローズが、突然まったく別の研究分野に対して、猛烈な批判を始めたのである。

ペンローズが『皇帝の新しい心』で議論の出発点に置いているのは、不完全性定理である。これは論理学における業績であり、私の専門分野でもあるので、少し詳しく説明しよう(以下、拙著『ゲーデルの哲学』講談社現代新書を参照)。

1931年、当時24歳のウィーン大学の天才論理学者クルト・ゲーデルが、「不完全性定理」を証明して、数学界に大きな衝撃を与えた。不完全性定理が、自然数論を含む「全数学」をはじめとする有意味な公理系が「不完全」であることを示したからである。

一般に、①一定の公理と推論規則によって構成され、②無矛盾であり、③自然数論を含む程度に複雑なシステムをSと呼ぶ。このとき、不完全性定理によれば、①Sには真であるにもかかわらず証明不可能な命題Gが含まれ、とくに②Sの無矛盾性を示す命題GはSにおいて証明不可能である。

いかなる有意味なシステムSも、真であるにもかかわらず証明不可能な命題Gを含むことから、全数学を汲み尽くすことはもちろん、自然数論や集合論でさえ汲み尽くすことはできないことが明らかになった。

当然のことだが、この不完全性定理によって、すべての真理を証明することが不可能であることも明らかになった。つまり、一定の公理系によって、すべての真理を汲み尽くすことはできないのである!

1936年、ケンブリッジ大学の天才数学者アラン・チューリングが定式化した「チューリング・マシン」の概念によって、不完全性定理は「すべての真理を証明するチューリング・マシンは存在しない」という形式に拡張された。

チューリングによれば、アルゴリズムで表現できるすべての「思考」は、チューリング・マシンの「計算可能性」と同等である。

つまり、人間の「思考」がアルゴリズムに基づいて機能するのであれば、人間はチューリング・マシンと同等ということになる。そして、チューリングは、「思考はアルゴリズムに還元できる」ことから「人間はチューリング・マシンである」と結論づけた。

これに対して、ゲーデルは「人間精神は、いかなる有限機械をも上回る」と考え、「人間精神は脳の機能に還元できない」と述べている。1961年、オックスフォード大学の哲学者ジョン・ルーカスは、このゲーデルの見解を再評価して、脳機能すべてをアルゴリズムに還元することは不可能だと主張した。実は、ペンローズは、この議論を出発点にしているのである。

ルーカスとペンローズの反論は、「決定問題」と「停止問題」にも関係しているので、少し説明しておこう。

「決定問題」とは、任意のシステムSにおいて、Sの命題Xが証明可能か否かを決定するアルゴリズムの存在を問うものである。1937年、プリンストン大学の論理学者アロンゾ・チャーチは、この問題を否定的に解決した。

つまり、特定の命題をSが導くか否かを事前に知ることはできないわけで、「任意のチューリング・マシンが何を導くかを事前に決定するアルゴリズムは存在しない」ことになる。

「停止問題」とは、任意のアルゴリズムが有限回のステップの後に停止するか否かを決定するアルゴリズムの存在を問うものである。チャーチと同じ1937年、チューリングは、この問題も否定的に解決した。

つまり、任意のアルゴリズムが停止するか否かを事前に知ることもできない。よって「任意のチューリング・マシンがいつ停止するかを事前に決定するアルゴリズムは存在しない」ことになる。

これらの定理が、チューリング・マシンの「限界」を示している点に注意してほしい。ゲーデルは、いかなるマシンもすべての真理を導けないことを示し、チャーチは、マシンが何を導くのかを事前に決定できないことを示し、チューリングは、マシンがいつ停止するかを事前に決定できないことを示した。

ゲーデルとルーカスとペンローズの主張は、一言で言うと、「チューリング・マシンの限界を示すこれらの定理を証明した人間は、チューリング・マシンよりも優れている」ということになる。

つまり、ゲーデルとルーカスとペンローズは、チューリング・マシンの「不完全性・非決定性・停止定理」を証明するためには、「アルゴリズムに還元できない思考力」が要求されると考えるわけである。

もし人間がチューリング・マシンであれば、数学的真理に到達する数学者の思考も、一定のアルゴリズムに基づくものになる。その場合、ペンローズによれば、数学者全員が同等の普遍的アルゴリズムに従っている必要がある。そうでなければ、数学者は、彼の理論を他者に伝達することもできず、数学の普遍性も説明できないからである。

ところが、人間ゲーデルは、その普遍的アルゴリズム自体に対する不完全性定理を証明し、他の数学者もその帰結を理解することができた。この点を矛盾とみなし、「人間はチューリング・マシンを上回る存在」だと結論づけるわけである。

さて、不完全性定理の証明は数学的に厳密に構成されていて、これを疑う専門家はいないだろうが、ゲーデルとルーカスとペンローズの結論を疑う専門家は数多い。

というのは、高度に進化したアルゴリズムが不完全性定理を証明する可能性を否定できないからである。おそらく現在の多くの専門家は、「人間はチューリング・マシンである」というチューリングの見解に賛同しているはずである。

 

「量子脳理論」と「ノーベル病」

1994年、ペンローズは『皇帝の新しい心』の続編に相当する一般解説書『心の影:失われた意識の科学の探求』を上梓して、さらに奇妙な「量子脳理論」を唱えるようになった。この新作で彼が注目するようになったのは「意識」の問題である。

ペンローズによれば、「人間の意識はアルゴリズムに基づいていない」ため「従来のチューリング・マシンのようなタイプのデジタル・コンピュータではモデル化できない」ことになる。それでは、人間の意識はどこで生まれるのか?

彼によれば「脳細胞の中にある微小管で計算不可能な量子作用」が生じ、そこに「意識」が生じるというのである。

ペンローズは、「臨死体験」も彼の「量子脳理論」で説明できるという。

「脳内の意識は、通常の宇宙に存在する素粒子より小さな物質であり、時空や重力の影響を受けない性質を持つ。この意識は、通常は脳内に存在するが、身体の心臓が止まると脳から出て拡散する。そこで身体が蘇生すれば意識は脳に戻り、身体が蘇生しなければ意識は宇宙に存在し続けるか、あるいは別の身体と結び付いて、生まれ変わるかもしれない」

この説明の「意識」を「魂」と置き換えれば、まるで仏教の「輪廻転生」と類似した発想になることがわかるだろう。

というわけで、ペンローズの「量子脳理論」は、多くの専門家から「完全な誤謬(ごびゅう)」「非論理的」「重大な欠陥のある妄信」であり、「トンデモな理論」だと大きな批判を浴びている。

たとえば、タフツ大学の認知科学者ダニエル・デネットは、次のように述べている。

「ペンローズによく考えてみてほしいことがある。ゴキブリの細胞にも、私たち人間と同じ微小管が存在する。その微小管にすばらしい量子的意識が存在するのであれば、ゴキブリにも人間と同じような意識があるというのか?」

ハーバード大学の宇宙物理学者ローレンス・クラウスは、次のように批判している。

「ペンローズは、量子力学が根本的に意識に関係するかもしれないと主張して、多くの非科学あるいは疑似科学のニューエイジ流行に活気を与えてしまった。『量子脳理論』という言葉を聞いたら、ウソだと疑う方がよい。多くの専門家がペンローズの理論に疑念を抱いている。そもそも人間の脳は、独立した量子力学系ではないからだ」

ペンローズとブラックホールに関する共同研究を行ったホーキングも、「意識は神秘的な問題であり、量子も神秘的な問題であるため、ペンローズはそこに何か関連があるに違いないと思い込んでいる」と、ペンローズの推論の形式自体を手厳しく批判している。

すでに本連載第20回で述べたように、エモリー大学教授の心理学者スコット・リリエンフェルドは、ノーベル賞受賞者が「万能感」を抱くことによって、専門外で奇妙な発言をするようになる症状を「ノーベル病」と呼んでいる。

そして、残念ながら、本連載の最後を飾るペンローズは、ノーベル賞を受賞する以前から、ノーベル病に罹患していたように映る。

 

【連載おわり】

『天才の光と影』(PHP研究所)
※本連載をまとめた書籍『天才の光と影 ノーベル賞受賞者23人の狂気』がPHP研究所より発刊されました。

 

著者紹介

高橋昌一郎(たかはし・しょういちろう)

國學院大學教授

1959年生まれ。ミシガン大学大学院哲学研究科修了。現在、國學院大學文学部教授。専門は論理学、科学哲学。主要著書に『理性の限界』『知性の限界』『感性の限界』『フォン・ノイマンの哲学』『ゲーデルの哲学』(以上、講談社現代新書)、『20世紀論争史』『自己分析論』『反オカルト論』『新書100冊』(以上、光文社新書)、『愛の論理学』(角川新書)、『東大生の論理』(ちくま新書)、『小林秀雄の哲学』(朝日新書)、『哲学ディベート』(NHKブックス)、『ノイマン・ゲーデル・チューリング』(筑摩選書)、『科学哲学のすすめ』(丸善)など多数。情報文化研究所所長、Japan Skeptics副会長。

X(旧 Twitter):https://twitter.com/ShoichiroT

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