2023年07月27日 公開
一方、自民・公明の二党だけでは改憲の発議はできない。『安倍晋三 回顧録』(中央公論新社)の中でも安倍は、「自民党内をまとめ、公明党を説得し、維新を含めた野党に協力を得なければ、憲法改正は無理です」と語っている。
野党の中から賛成してもらう相手として、日本維新の会の存在が念頭にあることがわかる。安倍は常々こう語っていた。
「橋下(徹元大阪府知事)さんというのは大したもんだよ。突破力と発信力がある。憲法改正のときは力になってもらわないといけない」
安倍は大阪で「都構想」を巡り自民党と維新が激しく対立しても、橋下や松井一郎前府知事との協力関係を切らず、大阪・関西万博の誘致やカジノを含む統合型リゾート(IR)の実現に向けて支援を続けた。
関係の維持のみならず、野党内では憲法改正に慎重な立憲民主党ではなく、維新に勢力を拡大してもらいたいという思惑があった。
2016年、安倍は盟友の渡辺喜美元行革担当相が、「おおさか維新の会」から参院選に出馬することも仲介した。
みんなの党の解党後に落選して行き場を失っていた渡辺だが、経済政策では安倍に近く、国政政党としての維新の知恵袋になってほしいという思惑があった。
だが渡辺はそんな安倍の思いとは裏腹に、翌2017年に維新を飛び出して無所属となり、去年の参議院選挙で立候補断念、政界引退に追い込まれた。
私は渡辺の不出馬が決まる直前、安倍に連絡を取ってみた。「渡辺さんに再び手を差し伸べないのか」と尋ねると、安倍はやや寂しそうにこう答えた。
「仕方ないよ。彼はもうちょっと維新で我慢していれば、いまごろ維新の中心的存在になっていたはずだ。もったいない」
その2週間後、安倍は遊説先の奈良で凶弾に倒れた。2日後の参議院選挙では日本維新の会が躍進。比例票では785万票と、立憲の677万票を上回った。維新が野党第一党になるという安倍の描いた画図が、安倍が亡くなってから現実味を帯びてきたのである。〈文中敬称略〉
更新:12月02日 00:05