
国内外で起きている経済の大きなフェーズ変化。それに対して、合理的かつ整合的に対応した経済政策パッケージが 「サナエノミクス」 だ。その全容とグランドデザインを解き明かす。
※本稿は、『Voice』2026年2月号より、内容を一部抜粋・編集したものです。
自由民主党総裁選での党内支持動向や経済政策ブレーンの顔ぶれから、高市政権の経済政策を、アベノミクスの継続・強化ととらえる論評も多い。その一方で、政権発足前後来の発出文書、さらには日本維新の会との政策合意から窺われる政策理念は、アベノミクスの成果を継承しつつも、それを超えんとする意欲的な政策構想が垣間見える。
両者の相違は、現実の要請によってもたらされたものである。直面している状況が異なるのだ。
第2次安倍政権が誕生した2012年時点の日本経済は、明確な需要不足状況にあった。消費者物価指数を起点とすると、1998年以降の日本経済はほとんどの期間で、物価の下落が需要の萎縮を招き、その需要不足が物価を下落させるデフレ不況状態にあった。内閣府の推計では、通常時のGDPに比べ、2012年末ごろの実際のGDPは2%下回っていたとされる。
総需要の不足に対する経済学の一般的な処方箋は、マクロ経済政策による総需要の支持である。ここから導かれたのが、アベノミクス第一の矢(大胆な金融緩和)と第二の矢(機動的な財政出動)である。一方で、総需要政策は一国経済が「実力通りの供給能力」を発揮するための手段である。長期的な経済成長は第三の矢(成長戦略)が担う。
アベノミクスの三本の矢は、それぞれがある程度独立して当時の課題への改善をめざすという意味で、並列的な政策「プラン」であり、むしろ政策「リスト」と呼ぶほうが妥当かもしれない。この需要政策と供給力強化の二分法は、伝統的な経済理論の特徴であり、さらに当時の日本経済への妥当性の高い経済学的な提案であった。
一方で、高市政権の経済政策はその中心に【危機管理投資】が据えられ、【責任ある積極財政】や金融緩和の継続がそれを支える構造をもつ政策プランである。
現下の日本経済が、デフレ状態にあると考える者はいないだろう。2025年については米価の影響が大きいが、26年中のインフレ率は目標である2%前後の推移が予想される。民主党政権下で一時一ドル70円台にまで高騰し、国内製造業の空洞化を招いた為替レートは、現在では円安の行き過ぎを心配される局面に至っている。
何よりも大きな変化は、雇用情勢の変化であろう。アベノミクス期に雇用者数は540万人、正規雇用は200万人増加した。需要不足によって活用されていなかった労働力という資源が掘り起こされたのだ。
長いデフレ不況の経験からもわかるように、二度と日本をデフレ不況に陥れてはいけない。その意味で、これからも景気に配慮した財政・金融政策運営は必須の営為だろう。先日発表された2025年7-9月期の実質GDPは6四半期ぶりのマイナス成長となったが、内閣府・日銀が推計するGDP・需給ギャップ指数は、ゼロ(需給均衡状態)に近くなっている。過少推計を指摘されることが多い両推計ではあるが、少なくとも現下最大の問題がデフレと失業にはないこともまたたしかである。
インフレと人手不足のなかでの財政・金融政策に求められるのは、需要不足を埋める投薬型の政策ではない。供給制約下での緩和的な政策は、経済に供給能力を超える需要圧力を加えることで、供給能力そのものを向上させることが狙いだ。いわば筋トレ型の経済政策思想と言えよう。
需要圧力や人手不足が供給能力そのものを向上させるとの論理は、履歴効果、または高圧経済論と呼ばれる。人手不足は省力化のための設備投資や研究開発を後押しするとともに、成長産業への人の移動を通じて平均的な生産性を向上させる。2016年に当時FRB(連邦準備制度理事会)議長であったジャネット・イエレンがこれらの効果を強調したことで注目を集めた。
伝統的な経済理論では、長期的な生産性向上と景気変動は、それぞれ別の論理で決まっていると想定されてきた。アベノミクスはある意味で、この二分法に沿った政策構想と言える。一方で、高圧経済論は需要が供給に与える長期的影響を重視する。
財政・金融政策による需要拡大が供給能力そのものを向上させると言うと、拡張政策が経済を成長させ、さらなる財政拡大を可能にするという、夢のような提案のように感じられるかもしれない。しかし、需要超過経済はバラ色の未来ではない。
供給能力をフルに活用した状況での財政支出拡大は、民間経済の活動を停滞させることがある。労働者の人数が限られている状況を想像されたい。政府が大規模な公共事業を行なうと、その事業に人手をとられるため、民間の建設業はさらに深刻な人手不足状況になる。官需が民需をクラウド・アウトしてしまうのだ。供給余力に乏しい経済では、「何かをすることは何かをできなくなること」という関係が成り立つ。
ここが、需要不足経済との大きな違いだ。デフレ不況と失業が喫緊の問題となっているとき、財政支出や成長政策の「中身」は最重要課題ではない。どのような事業であっても、何も生産しない失業状態よりは生産性は高いからだ。
供給能力と需要との大小関係は、産業によって異なる。需給ギャップやGDPギャップの推計値は、それらの平均を示すものにすぎない。供給能力不足産業の需要を急拡大しても、その産業での人手不足をさらに深刻化させるだけだ。その一方で、需要不足産業への支援は、ともすると衰退企業の温存につながる。
需要不足産業から供給能力不足産業へ、低生産性企業から高生産性企業へと人材・資金を移動させる必要がある。高圧経済は需要圧を用いて、民間経済の自発的な産業構造転換を促すものだ。各種補助金、税制はこのシフトを促進するもの、少なくともそれを阻害しないものでなければならない。
「責任ある積極財政」の司令塔である片山さつき財務大臣の正確な肩書は、「財務大臣、内閣府特命担当大臣(金融)、租税特別措置・補助金見直し担当」である。昨年(2025年)11月25日には、内閣官房に「租税特別措置・補助金見直し担当室」が設置された。
租税特別措置(租特)は、住宅ローン減税から経済特区での立地誘導まで、多岐にわたる本則以外の税制の総称である。分類法によって数は前後するが、現在約200種の租特が講じられている。そのなかには、衰退産業保護を目的にしていると疑われるもの、大企業に有利なものもある。補助金と合わせて、これらを成長志向の税制に整理していく必要がある。
経済産業省の本年度税制改正要望にも、その端緒が見られる。中小企業向けの投資減税制度を、規模を問わずに適用する提案は、これまで中小企業向けと大企業向けに分断されていた租特を簡素化するとともに、いま利益を上げている企業にこそ、投資を積み増すインセンティブを与えることが期待される。
歳出削減のための補助金・税制改革ではなく、需要維持のための政府支出拡大でもない。成長促進型への組み換えを主眼とする見直しは、政権がめざす「責任ある積極財政」の内容を示唆している。
さらに、財政におけるもう一つの課題は社会保障、なかでも医療・介護における人的制約である。高齢者医療や介護を高生産性産業ととらえるには無理がある。今後さらに増加する医療・介護需要に対し、それと比例的に従事者数を増やしていくことは、日本経済の平均的生産性の足かせとなるだろう。
人手不足は業界のDX化を進める契機となる。しかしながら、社会保険によって賄われる医療・介護事業の価格や従事者規定は、個々の事業所の判断で決められるものではない。診療報酬体系や設置基準を決めるのは政府である。いかに少ない従事者でのサービス提供を続けることができるか、さらには急増する医療・介護需要をいかに緩和していくかは、福祉問題である以上に経済問題である。
日本維新の会との政策合意では、社会保険改革に多くの紙幅が割かれている。その一方、両党合意にあるOTC類似薬(湿布や鎮痛剤などの医薬品)の保険適用除外について、厚生労働省は早速に保険適用の継続を示唆している。巨大な労働需要をもたらす同産業といかにうまく付き合っていくかは、高市政権に限定されない、人口減少時代の経済政策の要点となるだろう。
「責任ある積極財政」と並ぶ経済政策の看板が、危機管理投資である。昨年10月21日の政権発足と同時に発出された18閣僚指示書では、全閣僚共通指示として「官民手を携えて先手を打って行う『危機管理投資』を肝として、日本経済の強さを取り戻す」とうたわれる。
この危機管理投資の理論的支柱となるのが、現代サプライサイド経済論(Modern Supply Side Economics :MSSE)である。米バイデン政権の経済政策を表す用語として登場したが、現在は、より広い経済政策思想を表す単語となりつつある。同趣旨の政策思想は、定まった邦訳はないが、生産主義(Productivism)、安全保障経済論 (Securonomics)と呼ばれることもある。
需要圧力によって民間の自発的な産業転換を促進する発想に対し、MSSEはより能動的に政府による人材育成、インフラ整備、産業育成を志向している。
仮に、精密機器製造業が成長産業になったとしよう。製造ラインを支える水の利用、出荷のための交通網なしでは、いかに需要があっても産業は成長しない。さらに日本においても、深刻な問題となりうるのが人材の問題だ。製造業の好適地は大都市部でないことも多い。東京一極集中の是正なしには、工場は人手を確保できない。製造工業に従事するだけの知識がある労働者なしの成長産業は絵に描いた餅となる。
AI(人工知能)やロボットの活用は、企業の判断で進めることができる部分もあろう。しかし、インフラ整備や人材育成は一企業の努力では如何ともしがたい。
1970年代から80年代の(旧)サプライサイド経済論は、減税と規制緩和を中心に富裕層・企業行動から生産力の向上をめざした。一方で、MSSEは人材育成とインフラ整備によるボトムアップ型の構造をもつ。
補正予算に増額が盛り込まれた大学向けの理系学部新設・文理融合学部転換支援は、その一環と言えよう。今後は文部科学大臣への指示である「高等専門学校(高専)や専門高校の職業教育充実」がどのような具体性をもったものになるかに注目していきたい。
一方で、MSSEに見え隠れする「政府による産業育成」という思想には懸念も多い。高度成長期の日本の産業政策については、1990年代から2000年代の研究成果によって、成長産業支援よりも衰退産業保護の色彩が強かったこと、通商産業省(現経済産業省)などは民間の成長を追認したにとどまることなどが指摘された。あくまで過去の日本における経済成長の主役は民間であった。また、2000年代にはじまる産業クラスタ政策が顕著な効果を得ていないという批判も多い。
過去に成功例に乏しい、政治家・官僚による産業育成が「今度こそ」成功すると考えることは難しい。筆者自身も危機管理投資は人材育成とインフラを中心とし、成長産業の能動的な育成に重点を置きすぎないように留意すべきだと考えているが、この筆者の見解には再反論も多いだろう。
2010年代には韓国や台湾、さらには中華人民共和国の経済成長に関して、政府の産業政策の有効性を示す分析が増えてきた。明確な成長産業、または「成長させる必要のある産業」がある場合には、政治による経済誘導は有効なことがある。
国内におけるデフレからインフレへの移行が始まったこと以上に、世界経済は大きな転換点を迎えている。そのきっかけはコロナ禍とウクライナ戦争である。
1990年代以降の世界経済は、グローバル化の時代であった。企業活動は国境を越え、グローバル・サプライチェーンを通じた効率的な経済活動が称揚された。
しかし、コロナ禍による生産活動の寸断は、世界中に張り巡らされた緻密なサプライチェーンの脆弱性を露わにした。グローバル・サプライチェーンは、緻密であるがゆえに複雑であり、平時の効率性の対価としてショックに弱い構造をもつ。名前も知らない海外生産拠点の生産中止が自社の活動の足かせとなる状況は、長期的な意味では合理的とは言えない。
さらに、ロシアによるウクライナ侵略は、権威主義国家との経済的なリンクが、大きなリスク要因であることを示した。これは、グローバル化時代の寵児であった中華人民共和国と強く結びついたサプライサイド構築の危険性を示す。西側諸国はサプライチェーンの国内化、同盟国・友好国を重視した再構築を迫られている。
グローバル化の時代から経済新時代への移行において、日本には西側諸国の生産拠点、技術センターの役割が期待される。喫緊の課題としての半導体生産網の構築、造船能力の拡充、レアアース採掘など現代の日本経済には「成長させる必要のある産業」が数多くある。このような経済安全保障上の必要性に迫られた産業政策を、いかに中長期的な成長の種とすることができるかに危機管理投資の成否はかかっている。
サナエノミクスは、国内外における経済のフェーズ変化に対応した経済政策パッケージである。一方で、内外経済の変化は激しく、その構造は複雑化している。人手不足を梃子とした産業構造の高度化を進め、世界経済の変化に対応した国際分業の一翼を担うという政策方針は、かなりのナローパスであることはたしかだ。しかし、困難な道であると同時に、日本経済にとって残された数少ない道の一つであることを意識する必要もあろう。
サナエノミクスの政策構想は、その賛否をさておくとして、合理性・整合性をもつ提案である。その一方で、いずれの政策もより細かな具体策の巧拙が結果を大きく左右する構造をもっている。
神は細部に宿る。個々の政策が政策構想の実現に向けて合理的に立案され、遂行されるか。高市政権の実行力が問われていくだろう。
更新:03月06日 00:05