前大阪市長の松井一郎氏は、政治家に必要な資質として「喧嘩力」を挙げる。政治家が政策を推し進める力・喧嘩力の観点から、松井氏が優れていると思った人物とは一体誰だったのか。また、現政権、そしていまの政治家に対して思う事を語っていただいた。
<聞き手:Voice編集部 中西史也、写真:大島拓也>
※本稿は『Voice』2023年6月号より抜粋・編集のうえ、一部加筆したものです。
――著書『政治家の喧嘩力』(PHP研究所)では、政治家に必要な資質として「怒り」があることを挙げられています。なぜ怒りが重要なのでしょうか。
【松井】大阪都構想(大阪市を再編し、代わりに4つの特別区を新設する改革)に懸けてきた我々の取り組みもそうですが、大きな感情の原動力がなければ改革は行なえません。
二重行政によって財源を無駄遣いし、大阪府民・市民にしわ寄せが及んでいる状況を放置していていいはずがない――。僕と橋下徹さんが維新を立ち上げた根底には、そんな「怒り」がありました。だからこそ、強いエネルギーのもとに大阪を変えることができたわけです。
しかし残念ながら、いまの政治家、とくに国会議員の大多数に怒りがあるとは思えない。議員バッジをつけることに固執し、恵まれた待遇と生活を謳歌しています。そして何の成果も出さないまま議員を辞めていく。
議員として生き残るために政党を渡り歩いている政治家などは、怒りをもたず「身分」にすがる典型です。
――本書では、怒りという原動力に基づく政治家の「喧嘩力」の重要性を訴えています。「喧嘩力」とはどういうものなのでしょうか。
【松井】簡単に言えば、政策を進めるために交渉し、組織をまとめ、実行する力のことです。喧嘩と言うと、勝つために激しくぶつかる印象をもたれるかもしれませんが、勝つ喧嘩もあれば負ける喧嘩もあるし、勝ち方・負け方にもバリエーションがあります。
たとえば維新にとって大阪都構想は一丁目一番地の政策でしたから、理念自体を曲げることはありえません。2019年4月の大阪府知事・市長のダブル選挙では、都構想に反対だった公明党と真っ向から対立し、我々が勝利して二度目の住民投票を支援してもらいました。
もしも我々が負けていれば住民投票は実施できなかったわけで、相応のリスクも伴っていた。しかしあそこで都構想を諦めれば、白旗を揚げて降伏するようなものです。
――2019年3月に二度目の住民投票を巡る維新と公明党の協議が決裂した際、松井さんは「(再び住民投票に挑戦しなければ)死んでも死にきれない」と言われていましたね。
【松井】維新という政党、ひいては僕自身の政治家としての存在意義が懸かった闘いでもありました。だから、あのときは何としても勝つしかなかった。
ただし、政治の世界では闘いが終わったあとも、政治家や役人たちと関係を継続する必要があります。実際に我々は当時、激しく闘った公明党とその後の4年間、付き合ってきました。
どうしても譲れないときは、100対0の勝敗になる場合も覚悟する。一方で、51対49での勝利をめざしたり、自分たちの思いどおりの法案でなくとも議会の付帯決議をつけたうえで可決するシナリオを優先したりすることもあるわけです。
――松井さんは、卓越した「喧嘩力」をもつ政治家として菅義偉前首相の名前を挙げています。どういった点が優れているのでしょうか。
【松井】意外と語られていないのが、菅前総理の正確な情報収集力です。いつ寝ているのかと思うほど昼夜を問わず臨戦態勢でアンテナを張り、幅広い識者と会合して話を聴いている。「喧嘩力」と言うと政策を実際に進める力を想起されるかもしれませんが、正確な情報なくして「喧嘩」はできません。
また菅前総理は、情報を吟味して決断するまでの判断、そして実行するスピードが段違いに速い。
2011年12月に僕が大阪都構想の必要性を菅前総理に力説し、必要な法律づくりの協力をお願いしたところ「それ、やろうよ」と即決。特別区を設置するための法整備を進める自民党のプロジェクトチームの座長を引き受けてくださり、その後の法整備につながりました。
――菅前総理の盟友だった安倍晋三元総理の「喧嘩力」はどう評価されていますか。
【松井】安倍元総理も菅前総理と同じく、政治家としての怒りをもち、「喧嘩力」に優れた方でした。とくに第二次安倍政権では、前の民主党政権でガタガタになっていた日米関係を立て直し、アベノミクスで日本経済を活性化させました。マクロの大きな政策では安倍総理自らが旗を掲げ、ミクロな政策は菅官房長官が迅速に実行していく。まさに理想的なコンビでした。
安倍元総理は第一次政権で不本意な形で退いてしまったからこそ、沸々と溜まっていた怒りが第二次政権での迫力につながったのだと思います。
――岸田文雄総理の「喧嘩力」についてはいかがでしょうか。
【松井】やや心もとないですね。人の話をよく聴くことは良いことだけれども、「石橋を叩くことを検討する」ほどの慎重さで、決断までに時間がかかりすぎる節があります。
ウクライナに訪問したのも、G7の首脳として最後だったでしょう。「喧嘩力」のうちの決断・実行の側面が不十分だと言わざるをえません。
また、政策においていろいろとキャッチコピーは掲げるのだけれども、具体的な中身がイマイチ見えてこない。世論を見極めるのも重要ですが、世論を自らつくっていく姿勢はあまり感じられません。
岸田総理が訴える「異次元の少子化対策」のたたき台には、全国公立小中学校の給食費無償化も盛り込まれるようです。
でも給食費の無償化は、大阪市では2020年度からすでに実施していますからね。家庭にただお金を渡しても貯蓄に回ってしまいますが、給食費の負担がなくなれば可処分所得が増えてその分が消費につながります。
ほかにも「喧嘩力」において、国よりも地方自体体のほうが勝っている事例は少なくないでしょう。
――大阪で松井さんと共に改革を実行してきた橋下徹さんの「喧嘩力」はいかがですか。
【松井】橋下さんは、良い意味で決断が速すぎるくらい(笑)。彼は直観的に「喧嘩」の本質を理解していて、譲れない部分では徹底的に闘うけれども、それ以外の面では交渉して妥協する柔軟さも持ち合わせている。ある意味、橋下さんほど「喧嘩力」という言葉がしっくりくる人物はいないかもしれません。
――今年4月の地方選挙の結果も受けて、日本維新の会が今後、野党第一党に躍進するシナリオにも注目が集まっています。国政政党としての日本維新の会には、これから何を期待していますか。
【松井】当然、まずは野党第一党をめざすのでしょう。僕が日本維新の会の代表を務めていた昨年7月の参院選で、維新は比例代表の得票では立憲民主党を上回り、野党でトップでした。
小選挙区を含めた全体の議席で野党第一党に躍り出れば、国会運営の日程で与党と交渉してプレッシャーをかけられるようになります。
いまの政治には「喧嘩」が足りません。怒りを原動力に、喧嘩をしてでも改革を断行する気概ある政治家がもっと増えてほしいものです。
――松井さん自身は政治家を引退して、もう「喧嘩」はされないのですか。
【松井】もう、政治家時代に散々「喧嘩」してきたから、気力も体力も残っていませんよ(笑)。これからは波風を立てず、凪のように生きていきたい。政治の責任ある仕事をすることはないし、維新とも距離を置いて、名誉職として関わることもありません。
――後進に託されるわけですね。
【松井】政治家にも引き際があるわけですよ。橋下さんも、大阪都構想の一回目の住民投票が否決されたあとにスパッと辞めました。議員という身分に決してすがらない。これだけは僕も肝に銘じてきたし、いまの政治家に最も忘れてほしくないメッセージですね。
更新:12月21日 00:05