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インド太平洋と台湾――許されざる戦略の空白

2022年10月25日 公開

墓田桂(成蹊大学教授)

中国福建省厦門
中華民国(台湾)の小金門島から見た対岸の中国福建省厦門。手前にあるのは台北政府が実効支配する獅嶼島(写真:筆者)

明白な重要課題であるにもかかわらず、これまでインド太平洋戦略の文脈のなかで語られることが少なかった台湾と台湾有事。新著『インド太平洋戦略』が話題の著者による提言。

※本稿は『Voice』2022年11月号より抜粋・編集のうえ一部加筆したものです。

 

台湾不在という現実

「世界が専制主義か民主主義かの選択に直面している今日、2300万人の台湾の人びとに対するアメリカの連帯は、かつてないほど重要である」

2022年8月3日、アメリカのナンシー・ペロシ下院議長は台湾を訪問した際、ツイッターにこう記した。ペロシの訪台が結果的に中国を利したと批判する向きもあるが、東アジアの民主主義国家に対するアメリカの連帯を議会の立場で示そうとしたのは事実である。

そのペロシは「台湾の指導者との議論は、パートナーに対するわれわれの支持を再確認するとともに、"自由で開かれたインド太平洋地域の推進"を含め、われわれの共通の利益を促進する」(引用符は引用者)ともツイートした。

台湾の存立を守り、同国を中国による強制的な統一から守ることは、自由で開かれた国際秩序を守ることにほかならない。日本が唱えてきた「自由で開かれたインド太平洋」の根幹に関わる問題とさえ言える。

中華人民共和国と対峙する政府が所在し、半導体の世界的供給を担う先進工業国である台湾は、自由と繁栄の砦としての象徴的意味ももつ。

他方で、アメリカや欧州連合(EU)を除けば、各国のインド太平洋戦略において台湾の役割は明確に位置付けられてこなかった。少なくともインド太平洋に関する日本の外交政策において台湾が明示された形跡はない。

「1つの中国」政策、さらには中国と安定的な関係を築こうとする日本政府の意向を考えれば、台湾の不在は驚くに値しない。

だが、インド太平洋戦略で台湾問題を扱わないことは、現在の緊張を考えれば瑕疵とも言える状態である。戦略的な空白は日本の平和を保つうえで望ましくはない。

そこで本稿では、インド太平洋戦略の全体像を示すとともに、台湾との関係で同戦略を検証し、日本が果たすべき役割について考える。

 

「インド太平洋」を舞台とする地政戦略

インド太平洋
(c) Kei Hakata & Brendon J. Cannon

台湾問題を考える前に、近年の戦略思想を彩るインド太平洋概念について触れておきたい。インド洋と太平洋にまたがるインド太平洋地域にはアメリカ、中国、日本、インドの主要国に加え、オーストラリア、東南アジア諸国、さらには中東や東アフリカの国々が存在する。

世界の経済成長の原動力となっており、米中の戦略的競争とも相俟って、世界の重心となりつつある。

興味深いことに、「インド太平洋」という地理的概念は、現代の国際政治の動向に即して急速に定着した。言うなれば「地理化された政治的現実」である。その背景に、台頭する中国に対抗しようという地政戦略的な意図があったことは否定できない。

その地政戦略とは2つの大洋から中国を牽制するというものであり、裏手からのユーラシア戦略とも映る(地図参照)。もちろん日本を含め、どの政府もこうした背景を口にすることはないが、各国の思惑を内包した「戦略の地理」としてインド太平洋概念が定着したのは事実だろう。

この用語はすでに海洋学などの分野で使われていたものの、外交政策の文脈で用いられるようになるのは21世紀のことである。2000年代に入ると戦略研究家たちが「インド太平洋」に言及し始める。

政府レベルでもインド太平洋の言葉が使われ始め、2010年代を通じて定着していく。なかでも日本はインド太平洋を念頭に置いた外交政策を積極的に採り入れていた。

2007年8月、日本の安倍晋三首相(当時)はインド議会で「2つの海の交わり」の考えを示した。

「インド太平洋」の語こそ使っていないが、安倍が述べるように「図らずも、『インド太平洋』という新たな地理概念を世に出し、それまで存在しなかった海洋アイデンティティを造形することとなった」(『インド太平洋戦略』〈ブレンドン・J・キャノン/墓田桂編著、墓田桂監訳、中央公論新社〉序文より)。

さらに2016年8月、安倍首相は「自由で開かれたインド太平洋戦略」(後に「構想」に修正される)を打ち上げた。この影響は大きく、アメリカのドナルド・トランプ政権がみずからの外交政策に採り入れるに至った。次のジョー・バイデン政権にも引き継がれ、冒頭のペロシ発言にも言及されるように、党派を超えた共通認識となっていく。

政治レベルでは日米豪印の4カ国によるクアッド協力が定着し、今年5月には東京で2回目の対面での首脳会議が開催された。この4国間の枠組みも安倍が提唱したものだが、インド太平洋の「基軸国」とも言える日米豪印のグルーピングは戦略を推進するエンジンとなっている。

オーストラリア国立大学のローリー・メドカーフ教授が指摘するように、インド太平洋は<地域>であり<アイディア>である。そのアイディアとは戦略に関わるものでもあり、理念を唱えるものでもある。

日本をはじめとしたクアッド諸国は、価値と規範を強調することで、ルールに基づく国際秩序を中国の覇権主義から守ろうと腐心してきた。インド太平洋を舞台とする大戦略の根底には、自由と開放性の価値に裏打ちされた、原則に基づく地域主義を築こうとする各国の意志が見てとれる。

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