2021年05月27日 公開
2021年07月12日 更新
かつて旧ユーゴ連邦の一部であったセルビアは、2008年に独立宣言をしたコソヴォの独立を認めず、自治州だと見なす姿勢を崩していない。そんな強権国家が最近中国とかなり親密な関係にあるという。
※本稿は、安田峰俊著『中国vs.世界』(PHP新書)より一部を抜粋・編集したものです
セルビアはバルカン半島に位置する内陸国だ。後述するコソヴォ地域を除いた面積は、北海道とほぼ同じ。700万人あまりの人が暮らしている。
もとはチトー率いるユーゴスラビア社会主義連邦共和国の一部だったが、冷戦崩壊後の連邦解体を経て、セルビアとモンテネグロなど旧連邦の残存部が1992年にユーゴスラビア連邦共和国を結成。
この連邦はその後「セルビア・モンテネグロ共和国」と改名され、さらに2006年にモンテネグロが独立したことで、現在のセルビア共和国が出来上がった。この国と中国との関係は、ユーゴ側の社会主義体制が崩壊するまで一貫して疎遠だった。
そんな対中関係が大きく変わった契機は、皮肉にもセルビアの国際的な孤立だ。1998年、かねてから独立の動きがあった南部のコソヴォ地域のコソヴォ解放軍(KLA)の軍事行動に対して、ミロシェビッチ率いるセルビア人主体のユーゴ連邦軍が激しく反撃。
結果、西側諸国を中心に、セルビア勢力がコソヴォ地域のアルバニア人に対してジェノサイドを進めているとする認識が広まった。ビル・クリントン政権下のアメリカからのセルビアへの圧力も強まった。
対してロシアと中国はアメリカの一極支配の強まりを警戒し、ユーゴ情勢への介入に激しく反対する。両国は国連安保理での拒否権発動までおこなって抵抗したが、その甲斐いもなく1999年3月からNATOによる空爆が開始された。
中国としては、アメリカが域外の民族紛争(コソヴォ問題)に公然と軍事介入をおこなう前例を作ることは、ゆくゆく自国のチベット・ウイグル問題にも影響しかねないリスクだった。
当時の中国政府のユーゴ紛争に対する関心は高く、他国の外交関係者や民間人が続々とセルビアから退去するなかで中国だけは人員を増派。中国は米軍の動向を徹底して分析し、さらにはユーゴ政府を政治的・外交的に支援することと引き換えに、ユーゴ連邦軍が得たアメリカの軍事情報の提供を求めていたとされる。
やがて、こうした中国の暗躍のなかで大事件が起きる。1999年5月7日深夜11時45分(北京時間:同8日早朝5時45分)、米軍のB-2爆撃機が、ベオグラード市内にある駐ユーゴ中国大使館を5発のミサイルで「誤爆」したのだ(五八事件)。
この攻撃で大使館内にいた『人民日報』と『光明日報』の中国人記者ら3人が死亡し、20人以上が負傷。中国国内の世論は一気に沸騰する。当時の中国の江沢民政権は、軍や世論の反発を背景に、アメリカ側による謝罪の申し出を受け入れず、中国国内の各地では対米抗議デモが発生した。
(本書がこのミサイル攻撃について、あえて「誤爆」とカッコ書きで表記しているのも、当時の中国では全国民の9割以上が、この爆撃が「セルビアを支援する中国政府に対するアメリカからの意図的な報復」だったとみなしていたためだ)
デモの一部は官製動員だったとみられているが、暴徒化した一部の参加者によって北京のアメリカ大使館にペンキや生卵・石などが投げ込まれた。さらに全国的にマクドナルドやケンタッキー・フライドチキンの店舗が破壊されたり、コカ・コーラを飲んでいた女子学生が吊るし上げられたりと、後年の反日デモの雛形ともいえそうな事件が頻発した。
この五八事件で悪化した米中関係は、2001年4月に海南島の上空で、人民解放軍の空軍機と米軍偵察機の衝突事件が起きたことで最悪の状態に陥る。だが、同年9月11日にアメリカ同時多発テロが発生したことで、米中両国は協調方針を取るようになり、ユーゴの一件はいつの間にかウヤムヤになった。
当時の中国にしてみれば、五八事件は屈辱の事件だった。自国の大使館がいきなり軍事攻撃を受けて死者を出したにもかかわらず、アメリカ側への配慮ゆえに、納得のいくレベルでの責任者の追及や事情説明を求めることができなかったからだ。
ただ、中国とセルビアは五八事件を契機に、ユーゴ内戦をめぐるアメリカの「不当」な介入の被害者同士という、これまでには存在しなかった結びつきを持つことになった。破壊された中国大使館の跡地には、後年になりセルビア政府により記念碑も建てられた。
中国とセルビアの関係は過去10年間で一気に緊密化し、2016年には両国間で包括的戦略的パートナーシップが結ばれた。セルビアは欧州各国のなかでも中国との関係が最も良好な国家のひとつで、中国からの数十億ドル規模の融資によるインフラ整備や、経済関係における結びつきも目立つ。
そもそも、近年の中国は中欧・東欧地域を、欧州における自国の橋頭堡として位置付けてきた。2012年からは同地域の16カ国を対象とした中国―中・東欧諸国首脳会議(「16+1」協力システム)も開催している。
なお、この「16+1」のうち、セルビアを含むバルカン地域の5カ国はEU未加盟国だ。西欧社会からは、中国が欧州の新たな枠組みを作ることで従来のEUの基盤が揺らぎかねないとする懸念も出ている。
2013年秋、この「16+1」の第2回会議で中国側が提案したのが、ハンガリーのブダペストからセルビアのベオグラードまでを結ぶ高速鉄道の建設計画だった。
この路線は従来、いわば欧州の裏街道を通るもので単線のゆっくりした鉄道だった。だがオルバン政権が強権的な統治を敷くハンガリーは、セルビアと並ぶ欧州の親中国家だ。ブダペスト・ベオグラード鉄道は中国が入り込みやすい路線だった。
中国が建設を計画する新鉄道は名前こそ「高速鉄道」だが、実際は旅客の輸送よりも貨物輸送が主たる用途で、事業規模は総額30億ドル(約3200億円)に及ぶ。
中国は一帯一路構想のもと、債務危機によって買収したギリシャのピレウス港とこの高速鉄道を接続し、中欧・東欧圏への中国製品の輸出をより容易にさせる計画だという(ただし、ハンガリー国内での反発もあって実際の工事は遅れているようだ)。
更新:12月04日 00:05