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戦後77年、「大東亜戦争」を経て日本が失ったものとは

2022年08月08日 公開

細谷雄一(慶應義塾大学法学部教授)

大東亜戦争

終戦から70年以上が経過した。慶應義塾大学法学部教授の細谷雄一氏は、先の戦争を「主体的に総括し、それを世界史の中に埋め込むことが重要だ」と語る。自国の戦争を、世界史として捉えなおす重要性について論考する。

※本稿は『Voice』2022年9⽉号より一部抜粋・編集したものです。

 

「先の大戦」とは何か

戦争が終わって70年以上が経過した現在においても、日本においてこの戦争をどのように論じ、どのような性質であったかを位置づけるのは容易ではない。

そもそもこの戦争の呼称さえも定まっていない。「大東亜戦争」から、「太平洋戦争」へ、そして「日米戦争」や「アジア太平洋戦争」と、さまざまな呼称が存在する。

いずれの呼称を用いても、日本国民の間でコンセンサスを得られるようなものはない。したがって日本の首相や明仁天皇(現在の上皇)は、「先の戦争」や「先の大戦」という呼称を用いて、歴史を語っている。

だが、日本史や世界史を論じるうえで「先の大戦」という呼称はいかにも都合が悪い。それは国際的に通用する呼称ではないからだ。

昨年に刊行された『決定版 大東亜戦争(上・下)』(新潮新書)は、波多野澄雄・筑波大学名誉教授(内閣府アジア歴史資料センター長)のほか、赤木完爾・慶應義塾大学名誉教授、川島真・東京大学教授、戸部良一・国際日本文化研究センター名誉教授、庄司潤一郎・防衛研究所研究幹事(現・主任研究官)というこの分野の最高峰の歴史家に加えて、松元崇・元内閣府事務次官と兼原信克元内閣官房副長官補という実務家が、「先の大戦」を多角的に検討している。そしてそこではあえて、「大東亜戦争」という呼称を用いている。

この本の「はじめに」のなかで、波多野教授は「なぜ、『大東亜戦争』なのか」を説明する。波多野教授は「先の大戦」が本質的に「複合戦争」であることを重視する。

そして、「『先の大戦』は、評価を急ぐより、『大東亜戦争』がカバーした幅広い領域における多様な営みや、その奥深さや豊かさを理解することが必要ではなかろうか」と論じている。

波多野教授は、「大東亜戦争」が「西欧の植民地支配の是非を死活的な争点として戦争に突入したのではなかった」と喝破して、そのような帝国日本が掲げた「戦争目的」の問題性を抽出する。

このように、波多野教授は、戦前日本の軍が説明したような「東亜解放」の論理を擁護するためにこの呼称を用いているわけではないことがわかる。

むしろ波多野教授は、戦後日本の知識人である竹内好の言葉を参照しながら、「大東亜戦争には固有な性格があった」として、「日本人がアジアを主体的に考え、アジアの運命の打開を、自分の責任でアジアを変えようとした」ことに注目する。

すなわち、戦後の日本人は、そのように「アジアを主体的に考える」ことを回避してきたのであり、それを自らの意思で総括する作業を怠ってきたのだろう。

「複合戦争としての『先の大戦』は、朝鮮や台湾を含む帝国圏の全般に及んだ」ことに波多野教授が注目しているように、我々はそのような「複合的」な「帝国日本」の戦争という視野から、「先の大戦」を自らの責任で、主体性をもって、総括することが求められているのだろう。

 

世界観をめぐる戦いに敗れた日本

そのような波多野氏、さらには「先の大戦」の呼称問題を長年検討してきた庄司氏の問題意識を継承して、このたび、筆者を編著者として『世界史としての「大東亜戦争」』(PHP新書)と題する書籍を刊行することになった。

この本は、「複合戦争」としての「大東亜戦争」を、日本、アメリカ、イギリス、中国、ドイツ、ソ連、フランスといった世界史的視座から論じるとともに、帝国日本、インテリジェンス、民主主義、ファシズム、知識人という位相からも光を当てている。

まさに「先の戦争」の「複合性」を、多様な視座から光を当てて、その全体像を浮かび上がらせる試みであって、かつてこれほどまで多角的、複合的に「先の大戦」を学術的な基礎をもとに概観したことはなかったのではないか。

それでは、「複合戦争」として「大東亜戦争」を考える場合には、どのような特質が見られるのであろうか。第一に、この戦争は、パワーをめぐる戦争であると同時に、価値観、正義観、そして世界観をめぐる戦争でもあった。

いわば正義と正義が衝突して、自らが擁護する価値観を守り、拡大するための戦争でもあった。アメリカやイギリスは、1941年8月の大西洋憲章、1942年1月の連合国宣言、そして1945年6月の国連憲章によって、自らが擁護する価値観を体系的に論じ、幅広い支持を取りつけた。

そして、いわゆるリベラルな国際秩序と呼ばれる米英が中心となって形成した国際秩序は、その後、国連体制の発展と、ブレトンウッズ体制を基礎とした戦後国際経済体制の発展として、世界に拡大していく。

冷戦の終結と、ソ連および共産主義体制の崩壊は、そのような米英が擁護した価値観が、「鉄のカーテン」を超えてグローバルに浸透する契機となった。

他方で、日本はそれに対抗して、「東亜解放」をスローガンに掲げた。また1943年の大東亜共同宣言で、米英中心の価値観に抵抗した、日本が家父長的な指導的地位に立ち、アジア主義的なイデオロギーを掲げた秩序構想を提唱する。

日本はパワーの面で連合国に敗れただけではなかった。正義観や世界観をめぐる戦いに敗れた日本は、「正義」も失ったのである。

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